時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――その概観考察(14)(2018,07,15)

(パパートによる教育用プログラミング言語開発)
 ジャン・ピアジェのもとで発達心理学を学び、深くその影響を受けた門弟のひとりにシーモア・パパート(1928~2016)という人物がいました。南アフリカ出身でMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者でもあったパパートは、「心の社会」の筆者としても名高いマーヴィン・ミンスキーと共に、人工知能開発の先駆けとなる諸々の基礎研究を行い、コンピュータを媒体として人間の知覚や思考のメカニズムを総合的に探究する「認知科学」という学術分野の開拓に貢献しました。ジャン・ピアジェから「彼ほど私の考えを理解してくれた者はいない」と称えられたというパパートは、実際ピアジェの門弟中で最も活躍し成功を収めた人物として知られているようです。MITのミンスキーからも「存命中の数学教育者(・・・)のなかで最も偉大な存在」と評されたとも言われています。
 発達心理学の分野において、「人間の知識は、すべて成長の過程を通じて構成されるものである」とするピアジェの「構成主義」の研究を基にして、パパートは「構築主義」とも呼ばれる独自の教育論を展開しました。その要旨は、「折々の状況下で手に入るものを寄せ集め、それらをもとに何が生み出せるかを試行錯誤させ、その過程を通じて最終的に独創的な事物を創造せしめること」とでも言ったところになるでしょう。この概念は、「寄せ集めのもので自らを創り出す」とか「物事を自ら繕い補修する」という意味のフランス語「ブリコラージュ」に由来しており、既成理論や既存の社会理念を絶対視しそれらに従って事物を生み出す考え方とは対照を成しています。したがって、構成主義や構築主義に基づく教育とは、子どもらを主体的な学習へと誘(いざな)い、自主的でチャレンジングな試行や様々な遊びを通じて、問題発見やその解決法の探究を促す教育手法のことを意味しています。
 その教育理念を教育現場に即したかたちで端的に述べれば、「教師中心の授業」から「生徒中心の学習」への移行、すなわち、教師が生徒を「教え育てる」ことを意味する「教育」から、生徒のほうが自ら「学び育つ」ことを意味する「学育」へと転換を図り、教師は背後で生徒の自主的成長を支えようというわけなのです。実を言うと、この「学育」という造語、まだパソコン通信の時代に入ったばかりの80年代初頭期、後述するコンピュータ教育用プログラミング言語「LOGO(ロゴ)」によるソフトウエア開発とその応用研究に関わっていた私が、たまたま思いつき、それとなく用い始めたものでした。
 敢えて補足しておきますと、「学育」の重要性を謳うだけなら容易なことなのですが、教育現場で実際にその理念を遂行しようとすると、具体的な実践方法をどうするかなど様々な難題が生じてきます。それぞれの生徒には大きな個性差があるうえに、興味の対象も思考の働く方向も、さらには諸事象についての理解速度やその深化の度合いも一様ではありません。したがって、1対1の教育現場ならともかく、教師1人が多数の生徒を相手にする場合には、放っておくと収拾がつかなくなってしまいます。そもそも、「学育」を実践するには想像以上に多くの時間とそれなりの設備や機材が必要になることも覚悟しなければなりません。そうしてみると、「教育」と「学育」のどちらを優先するにしても、双方の教育理念の程よい融合が不可欠だということにはなってくるのでしょう。
(LOGO言語の機能と有意性)
 ピアジェの唱えた発達心理学やそれに基づく教育論に深く賛同したシーモア・パパートでしたが、彼はその著作のなかで興味深いことを述べています。それは、「ピアジェの理論は実に素晴らしいものである。ただし、ひとつだけ残念だったのは、ピアジェがその教育理念を具体的に実践する方法を持ち合わせていなかったことである」という趣旨の記述です。そして、そんなパパートがMITにおいてミンスキーとの人工知能の共同研究を進める傍らで精魂を傾けることになったのが、ほかならぬコンピュータ教育用プログラミング言語「LOGO」の開発と普及だったのです。それは、ピアジェの発達心理学に基づく教育理論を具体的に実践するために、数学的あるいは論理的な思考力の育成に的を絞って開発された極めて独創的なプログラミング言語なのでした。
 LOGOという教育用プログラミング言語は、当時の「PASCAL」という数式や関数値演算用ソフトに人工知能用ソフト「LISP」とグラフィック専用ソフトの優れた特性を組み合わせて開発されたものでした。そして、それには、幼児から大学生・一般成人に至るまでの人々が、それぞれの思考水準に応じて、図形処理や言語処理を始めとする各種プログラミング、さらには数学や物理学の基礎学習などを楽しく進めることができるような、極めて独創的な機能が具わっていました。当時世界に普及し始めたばかりのパーソナルコンピュータという新ツールを用い、画面上において幼児や学童らに様々な思考錯誤の体験を積ませ(すなわち具体的操作の段階を十分に踏ませ)、そのうえで徐々に抽象的な概念に対応する形式的思考の段階へと移行できるように配慮した、ピアジェ理論の実践ツールとしての教育用プログラミング言語だったのです。プログラミングの過程で起こる様々なバグや想定外の画像表示、さらにはそれらの事態の修正や原因究明の過程などが教育上重要な意味を持つとパパートは繰り返し強調してもいたのです。
もちろん、高校生や大学生らが具体的な試行を繰り返したうえで数学や物理の特定公式へと辿り着くことや、逆に、ある高度な公式が実事象とどのような関係があるのかの考察・試行を繰り返し、その公式の持つ意味を習得することなども可能なのでした。そして、先進国においてはLOGOは優れた教育用プログラミング言語として様々なかたちで変容を遂げながら発展していくことになりました。レゴブロックで知られるレゴ社と共同で開発された、LOGOプログラムで動くおもちゃのロボットなどもその事例のひとつです。
 国内でもLOGO教育熱の高まった80年代半ばには、来日したパパートの講演会が開かれました。当時のMICRO誌,科学朝日誌,PCマガジン誌などでLOGO関係の連載記事を執筆していた私も招聘され、パパートに直接質問をしたりもしたものです。また、「LOGOと学習思考」(JICC/現宝島社)その他のLOGO教育書の著述にも携わりました。アジアではシンガポールが真っ先にLOGO教育を全面的に導入し、インドがそれに続きました。一方、日本は、当時の学校制度の問題、教育学者らの回避や無理解、文科省の先見性の欠如などが原因でLOGO教育熱は一過性のものに終わり、結果的に欧米諸国やシンガポール、インドなどに大きく遅れをとることになりました。最近になってようやく小中学校でのプログラミング教育の重要性が認識されるようになってきましたが、率直なところ世界の趨勢から随分と取り残されてしまっているような気がしてなりません。

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