時流遡航

《時流遡航》夢想愚考――我がこころの旅路(18)(2017,11,01)

(渡辺淳さんとの交流を回想する――①)
 たまにだが、人生におけるひとつの奇遇のもたらす掛け替えのない重みとそれに続く劇的な展開が、出合い直後のわずか4、5秒間の視線のやりとりによって決定づけられることがある。この折の渡辺さんとの出合いの場合がまさにそうであった。何の力みも何の身構えもせず、裸のままの姿でこの人となら話せる――一瞬視線を交わしただけでまだ相手の名前さえも知らないのに、私の胸中には即座にそんな確信が芽生えたのだった。
ただ、そうは言っても、眼前の人物のもつ本当の姿を私なりの心の眼ではっきりと捉えるには、いま少しの時間が必要だった。中島敦の「名人伝」の一節ではないが、達人と呼ばれる人は常人とは異なるある種の鋭い気を放つ。それが、名人と呼ばれる域に達すると、気を殺すというか、そういう気配をまったく感じさせない何処にでもいるごく普通の人の姿に戻ってしまう。なんの前触れもなく、このような相手に出合った場合には、つい見かけの姿に騙されて、その正体を見抜けぬままに終わってしまいがちである。正面からその素性を訊ねてもはぐらかされてしまうことがほとんどで、結局のところは、相手のさりげない言葉や身振る舞いの端々からその人となりを洞察していくしかない。
 竹の皮を竈で茹でる作業を見せてもらいながら、そのあとに続く竹紙や人形面用竹粘土の製作工程を一通り説明してもらったあと、話は自然に火や水にまつわるお互いの昔の体験談へと移っていった。たしか、私のほうも、少年の頃、半農半漁の寒村で火や水を使う仕事の手伝いをしたり、田畑の耕作や漁のまねごとをしたり、竹細工などの手仕事をしたりしながら育ったことを話したように記憶している。そして、互いのそんなやり取りのなかで、その人がかつて炭焼きをしておられたという話が出たのだった。
田舎の山奥の雑木林の中で炭焼竈の実物は何度も見かけたことがあったので、懐かしく思いながらその苦労話に耳を傾けるうち、私は、先刻、一滴文庫本館の絵画展示室で目にした深い草叢の間を蛾の飛び交う不思議な絵の一隅に、古い炭焼竈が描かれていたのを思い起こした。そして、目の前に佇むこの人物が何者なのかをはっきりと悟ったのはその瞬間だった。
 実を言うと、心の片隅に、もしかしたらというほのかな予感は湧き上がりつつあったのだが、絵の中の炭焼竈のことを連想するまで、その予感にはいまひとつ確信がもてずにいた。私は、内心、確認の意味を込めながらも、表向きはさりげなく、「そういえば、まだお名前を伺ってはいませんでしたが……私は本田と申します」と持ち掛けた。すると、「渡辺と申しますが……」という返答が予想にたがわず戻ってきた。やはりそうだったのか……この人があの絵の作者の渡辺淳さんだったのだ――思いもかけぬ廻り合いに胸の内では深い感動を覚えながらも、私はその返事を極めて自然に聞き流した。
 過剰な賛辞をいきなり述べるのはどうかと思った私は、先刻、竹人形館の二階で見た月夜の河原の絵やランプの絵に深い感銘を覚えたことなどについては、その場では一切触れなかった。たとえそれが心の底からの賛辞ではあっても、そういったものをやたら繰り出すのは、却って逆効果になってしまうことがすくなくない。単なるおべっかだと受け取られたりしないためにも、ここは慎重に振る舞ったほうが賢明だと考えたようなわけだった。
 水車工房でのやりとりが一段落すると、渡辺さんは、もうすこし詳しく竹人形の説明をしてあげるからと言って、私を再び竹人形館へと誘い、竹人形の製作工程に携わる人々の苦労や文楽公演の舞台裏の大変さなどについていろいろと話してくださった。それらのなかで妙に印象的だったのは、竹人形の手の指が四本しかない理由についての説明だった。竹人形の手の指を五本にすると、実舞台上で光をあてて人形を動かすときに指の部分やその影が六本にも七本にも見えて、まるで妖怪の手みたいな感じになってしまうのだという。いろいろと試してみた結果、四本指にするのがいちばんよいということに落ち着いたものであるらしかった。
(アトリエ「山椒庵」へ向かう)
 再度の竹人形見学を終えて外に出ると、相変わらず冷たい秋雨が降り続いていた。渡辺さんは私を休憩室に案内し、自らお茶を出してくださった。そして、旅の途中だそうだが、今日はこれからどうするつもりなのかと問いかけてきた。丹後の伊根あたりまで行こうと思っていたが、生憎の空模様だし日暮れも間近なので、適当なところに駐車しそこで車中泊をするつもりだと、私は答えた。するとすぐに、それじゃ自分のアトリエに一晩泊まっていかないかと勧められた。アトリエとは名ばかりで、実際は谷奥の古い空き農家を借りてすこし手を加えたばかりのボロ家住まいなので、トイレは汲み取り式で風呂は五右衛門風呂だし、猫どもが家中を駆け回っているけれど、それでもよければというのだった。
 汲み取り式トイレ付きの古い農家の風情を味わいながら宿泊させてもらえるなんてそんな有難いことはない。あの懐かしい五右衛門風呂のおまけまでついている。お猫様ならたとえ怪猫でも大歓迎だし、お化け屋敷の風情があればもうそれ以上に言うことはない。万一、この、声なきものの声が聞こえ、姿なきものの姿が見えるらしい不思議な人物に捕って喰われるようなことがあったとしても、それはそれで本望だ。また、うまくいけばあの月夜の河原の絵やランプの絵の裏に隠された秘密を垣間見ることができるかもしれない。そう考えた私は、渡りに舟とばかりにその申し出を有難く受け入れることにした。こうして、30年前の晩秋のその日、若州一滴文庫で運命の出合いを果たした私は、誘われるがままに渡辺さんのアトリエ「山椒庵」を訪れ、一晩そこにお邪魔させてもらうことになった。
 駐車場に戻り渡辺さんと一緒に車に乗り込む頃にはもうすっかり日は暮れていた。一滴文庫のすぐそばを流れる佐分利川沿いに、上流に向かって20分ほど車を走らせると、川上という集落に入った。本道から分かれて左手の山ふところに続く小さな沢伝いに暗い細道をのぼりつめると、谷に抱かれるようにしてぽつんと建つ茅葺屋根の一軒屋が車のライトに浮かび上がった。あたりはもうすっかり暗くなっていてよくは見えないが、すぐ脇に渓流がながれているらしく、車を止めるとすぐに、そのせせらぎの音が心地よく耳元に響いてきた。車を降り、案内されるままに軒先に立った私は、何よりもまず、渡辺さんの言葉が謙遜ではなかったことに深い敬意を表したくなった。言葉に飾りのない人は、逆にまた「ボロ家ですが……」といったような過剰な謙譲の言葉で己の華美を隠したりするようなこともない。どうやら、今夜は、佐分利谷の心優しいお化けたちと一緒に楽しいひと時を過ごせそうな気配である――率直にそう思った私はすっかり嬉しくなった。

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