時流遡航

第37回 原子力発電所問題の根底を探る(3)(2012,05,01)

アルゴンヌ原子炉学校の第一期研修生だった技術官僚の一人は1961年にフランスの日本大使館にも派遣され、同国の重水炉や再処理技術関連の研究情報の収集になどにも従事した。また、その際にラプソディやフェニックスなどの高速増殖炉研究についても知見を深め、日本独自の高速増殖実験炉「もんじゅ」建設への道筋をつけた。その頃になると国内では動力炉調査団が発足し、原子炉開発課の設置と前後して動力燃料炉開発事業団が設立された。政財界の強い意向を汲んだ当時の中曽根康弘総理が、原子力関係予算の大幅増大へと舵を切ったために、国内各地への原発導入が一気に促進されるようにもなった。
循環冷却剤のナトリウム漏れ事故を起こし現在では進退がままならなくなっている高速増殖実験炉「もんじゅ」も、建造後の航海実験で放射線漏れ(放射能漏れではない)を起こし、最終的には原子炉が撤去された原子力商船「陸奥」(現在では海洋開発研究機構所属のディーゼルエンジン船「みらい」として運行)も、ある意味ではこの時代の「夢の跡」とでも言うべきなのかもしれない。現代の視点からすれば、それらの抱える問題点を批判することは容易だが、政財界やメディア関係者は言うに及ばず、多くの原子力関係の専門家を含めたその時代の科学者や技術者が、さらにはそのような人々の見解に導かれた大多数の国民がある種の夢を見せられ、それに浮かれていたことだけは間違いない。

「進めや進め」の原子力政策

早々とその夢から覚めてしまっていた人もあったのだろうが、それとてもほとんどの場合は反原発のスローガンを掲げて自己アピールを図ることを「仕事」とするレベルの目覚めであり、真の意味での覚醒ではなかった。五指にも足らぬほどの数だけであるなら、生活も地位も擲ち、身の危険さえも顧みずに反原発の論陣を張った専門家もいたが、それらは極めて例外的な存在にすぎなかった。そもそも、著名な国立大学に当時新設された原子力工学関係の学部は、原子力の応用技術研究を前提としたもの、換言すれば原子力を肯定的なものとして捉えその発展を支えることを目的としたものであった。それゆえ、大学の研究者であれ、メーカーの技術者であれ、技術官僚であれ、さらには原子力行政関係の委員会メンバーであれ、それらの学部出身の専門家に原発の停止や中止を含めた厳格かつ客観的な原子力規制の意見や判断を求めることは土台無理だったのであろう。

ジェネラルエレクトリック、ウエスティングハウス、ガルフアトミックなどと強力かつ親密な関係を築いていた正力松太郎国務大臣やその意向に従った中曽根康弘総理大臣、さらにはのちの田中角栄総理大臣らが電力業界に及ぼした影響力は絶大で、原発導入の是非の議論はむろん、導入後に予想される安全保守の問題についてさえも真剣に検討される余地など当初から全くなかったと言ってよい。初期の原子力委員会のメンバーには湯川秀樹博士なども名を連ねていたが、同博士は、国の原子力政策がウランやプルトニウムを燃料とする核分裂炉の導入推進のみに限られ、重水素を用いた安全な核融合炉の将来的な開発研究を目指すものではないことを知って、ほどなく委員を辞任したのだという。

湯川博士の原子力委員辞任の真意など今更知る由もないのだが、原発行政推進の御用機関としての原子力委員会の実態を逸早く察知したうえでのことだったのかもしれない。現在90歳に近い前述の元技術官僚などは、時代が変わり、さらには福島原発の大事故が起こった今となっても高速増殖炉運転の意義を唱え、「陸奥」のような原子力商船再建の可能性を訴えかける。日本の高度な技術をもってすれば、多少の小さな事故や技術的不備はあったとしても高速増殖炉の実用化は可能だと述べ、さらに、「陸奥」の放射線漏れは放射線隔壁強度関連のデータを米国から貰えず試行錯誤で遮蔽壁を造ったのが原因で補修不可能となり原子炉撤去に至ったが、その過程で十分なデータは得られたので原子力商船の再建造は問題ないと訴えかけている。少々補足しておくと、原子力艦船や原子力商船は正常運行時には放射能を原子炉外に放出することはない。核分裂反応に伴って発生する放射線のほうは船底部から海中に放出されるが、そのエネルギーは海水の水分子によって吸収され消滅する。だから乗務員居住区を守る放射線隔壁が完璧ならば特に問題はないというわけなのだ。

この技術官僚の持論などは、かつての時代においては一つの見識としてそれなりの意味を有していたのだろうが、この種の見解の向こうには、「原子力の夢」を追いかけていた当時の日本という国の全体像が垣間見えるような気がしてならない。ちなみに述べておくと、現在の原子力安全・保安院に繋がる原子力安全課が設置されたのは1969年の「陸奥」の建造以降である。原子炉の国内導入後しばらくは原子力安全課が存在しなかったという事実は、図らずも、「まずは原発ありき」で国を挙げて「進めや進め、いざ進め」の状況だったことを端的に物語ってもいるだろう。

日本と欧米の「前提」の相違

欧米の科学技術政策にも多々問題があるのは事実だが、欧米のそれには日本人が学ぶべきところも少なくない。米国のNASAなどの場合がその典型であるが、欧米での大規模な科学技術プロジェクトや科学技術政策遂行に際しては、「人間は過ちを犯すものである」ということが大前提とされている。NASAの宇宙開発事業などにおいては、以前から告白制度というものが設けられており、特定事業に関連する研究者や技術者は自分がミスを犯してしまったと気づいた場合、直ちに匿名でそのミスの内容を事業の管理責任者に告白することによって重大なリスクの発生を早い段階で回避し、事業への悪影響を最小限に抑えるようになっている。余程のことがないかぎりミスの告白者が責任を問われることはない。複雑多様に高度な専門技術が絡み合う巨大プロジェクトの場合には、この種の告白制度は極めて重要な働きをするが、そんな制度を持つNASAでさえも、宇宙船チャレンジャー号やコロンビア号などの悲劇的な爆発事故を避けることはできなかった。

その一方、「人間は過ちを犯してはならない」という非現実的な「完全主義」が建前の我が国では、必然的に、ミスを犯した場合それを隠し内輪で揉み消すことが習慣化することになる。そのためプロジェクトの遂行過程で修正困難な問題が蓄積し、結果的にプロジェクトそのものの失敗や想定外の大事故を招くことになってしまう。日本古来の職人気質の美徳でもある完全主義には利点もあるが、最先端技術が複雑に交錯し、誰しもが全体像を把握することの困難な宇宙産業や原子力産業のような巨大プロジェクトに完全主義を持ち込むことは禁物なのだ。福島原発事故の背景にはそのような事情が見え隠れしている。

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