時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(23)(2016,01,15)

(最先端光科学研究施設SACLAの意義)
 SPring―8学術成果集の刊行に関係したことが契機となって、それからほどなく同じ理研播磨研究所敷地内で新たに稼働するようになった世界最先端の高輝度光科学研究施設SACLAをテーマにした「第2回SACLAシンポジウム」において講演をさせられる羽目になった。会場は丸の内の東京国際フォーラム・大ホールで、今から3年ほど前の12年12月のことである。現時点では世界最高の解析能力を誇るXEFL(X線自由電子レーザー)・SACLAの機能やその作動原理に関しては本誌の11年7月15日から3回にわたってその詳細を紹介させてもらったので、ここではその解説は省かせてもらうことにしたい。SACLAについてはもともと部外者で一介の素人の身に過ぎない私は、「アマチュアの目から見たSACLAの夢」という演題のもとでその講演に臨み、一般参加者の方々にもなるべく深く先端光科学世界を理解してもらえるように、極力言葉を選ぶように努め話の展開にもそれなりに配慮を加えた。
 またこの講演の中では、SACLAの優れた機能自体には直接関係ないような事柄についても敢えて言及することにした。このSACLAの建設と運営において中心的役割を果たした石川哲也理研播磨研究所長(兼SPring―8センター長)が、かつて私に、「SACLAという施設は、何のために役に立つかではなく、それが存在することによって先々未知の何かが起こったり生まれたりすることを期待して建設されました。最高に機能の高い設備の建設を実現しておけば、優れた研究はあとからついてくるわけです」と話してくれたことがあった。この石川さんのさりげない言葉の奥には、基礎科学の重要性を軽視しがちな昨今の日本の学術研究のありかたに対する暗黙の警鐘が秘められていたのである。 
端的に言えば、石川さんらは、将来の日本社会、さらには世界全体の科学発展の根底を支える基礎科学研究施設としてSACLAを建設したのだった。基礎科学の真髄は、「何のために役に立つのか?」という事業仕分け的な発想に捉われることなく、「いったい何が起こるのか?」という人間のあくなき探究心を満たし深めることにある。まさにSACLAは「未知の何かが起こる」ためにこそ造られたのだと言ってよい。その意味ではSACLAはニュートリノ研究に貢献したスーパー・カミオカンデと同種の施設なのである。高輝度で上質な放射光を創出することによって基礎科学の研究が促進されるなら、その成果を活かすかたちで、実益性を生む研究はあとから自然に生まれてくる。
「役に立つ」という過去の経験事象に立脚した概念だけに縛られ過ぎると、未来を切り開く画期的大発見や斬新なイノベーションには到達できない。そのような背景からすると、SACLAを建設した人々にとってさえもその可能性の全貌は見えていないことになる。要するに、SACLAは、短期での実利を睨む応用科学優先の近年の日本では異例とも言える基礎科学研究施設なのであり、短期的成果主義の発想に凝り固まっていたらその建設は不可能だったのだ。著名な研究者ばかりでなく大学院生など若手研究者にも開かれているこの研究施設からは、未知の領域へのチャレンジングな探究を通じ近い将来ノーベル賞級の業績が続々と誕生する可能性がある。いささか僭越だったかもしれないが、私はそんな展望に触れてみたのだった。
 現在我が国の学術界に跋扈する極端な成果主義のゆえに、研究者の多くが、なかでも若手研究者のほとんどが、自分の研究が何のために役に立つのかの説明を迫られる。その対応に手間取ったりしていると、研究費、なかでも科研費のような競争資金を獲得することはできない。3年程度の短期間で際立った研究成果を求められることも問題だし、運よくそれなりの成果が上がったとしても、それに関する特許申請を義務づけられたり細かな報告書の提出を求められたりして、研究どころではなくなってしまうという現実も存在する。
もちろん、ある重要な社会的問題を解決したり日常生活の向上に利する画期的な新技術を開発したりするという、目に見えて実利的な研究は我々にとって不可欠なものである。だから、諸研究の7割くらいは「役に立つ研究」であってよいだろう。しかしながら、残り3割くらいは、将来はともかく、その時点では「何のために役立つかわからない研究」、すなわち、「何があるのか、何が起こるのか、それは何故なのか」といったことを問う研究であってしかるべきだろう。
 そもそも、「役に立つ」という発想は、過去に存在したり経験されたりした諸事象や諸事実に基づいて生みもたらされる。その時点ではまるで未知・未経験な事象や事実は「役に立つ」という概念で捉えることなどできるはずがない。たとえ、「役に立つ」という概念の範疇の中に入ることがあるとしても、それはかなり時間が経ってからのことである。梶田隆章、大村智両氏のノーベル賞受賞はめでたいことだが、梶川氏の研究には、未知の事象を解明した偉業とはいえ、当面実用性はなさそうだし、大村氏の研究も問題のバクテリア発見時点ではその実益性など予想も期待も全くなされていなかったに違いない。
(社会科学者は積極的に連携を) 
 いまひとつその講演で私が訴えかけようとしたのは、SACLAのような先端科学研究施設やその具体的な研究に社会科学者らが積極的な関係を持つことの重要性だった。SACLAという施設は、特殊技術を持つ500余もの国内企業が複雑に連携協力し合い、時には切磋琢磨することによって建設された。国産技術が95%以上を占めることもあって、それは容易には他国の追随を許さない日本独自の先端技術の集合体である。その建設を通して創出された多数の革新的技術は、それぞれが派生的に斬新な産業分野を生み出す可能性を秘めているし、それらは日本の国際競争力の根幹ともなりうる。どんな新技術誕生のドラマがSACLA建設の裏に秘められていたのか、そのために如何なる企業同士の連携があったのかを明らかにし、それら新技術の意義と将来の可能性を社会に訴えることは、実は社会科学者の領域に属する仕事だからである。
 従来、特定機器類の開発プロジェクトにおいては、比較的近い分野の技術を持つ企業が提携集結するのが常だった。だが、SACLAの開発においては、過去の常識を破る全く異質な企業や技術間の結融合が新技術を生み出す原動力となった。その過程で生まれた数々の物語や、物語誕生における500余の参画企業の相関図、SACLAを支える個別の技術開発に携わった企業群のチャートなどが社会科学者の手で開示されれば、人々が強い関心を抱くと同時に、それらを仲立ちとして多方面から様々な要請や技術交流の呼びかけが生じ、種々の派生的な新技術や新産業分野の創生・発展が期待できるかであった。

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