時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (12)(2020,03,15)

(実生活と直結する泳ぎを身につけた少年時代 )
 都会の片隅でささやかな日々を送るようになった今では、海辺での生活に直接関わることはなくなりましたが、育ちが育ちですので一昔前の南国の海の風物詩を想い起こすこともしばしばです。スキューバダイビングの光景に象徴されるように、様々な潜水用補助器具や遊泳用具が普及し、それらの使用が当然となった現代では、素潜りの光景などほとんど見られなくなってしまいました。しかし、私が学生だった頃までは、簡素な水中眼鏡をかけただけの姿で海中を泳ぎ回るのはごく普通のことでした。今やありふれた遊泳器具に過ぎないシュノーケルや足ビレの類でさえも、当時は目にすることなどほとんどなかったものです。そんな環境下にあって幼少期の私が海での泳法や潜水法を身につけていった過程は、その時代ならではのものでした。 
長年都会生活を送ったのちに帰郷した祖父は、島育ちだったがゆえに泳ぎも潜りも得意でした。そんな祖父は一緒に磯辺に出向いた折などには、幼い私を背中に負ぶうかたちで岩場の沖の海中に泳ぎ出し、そのままの態勢で周辺を泳ぎ回りながら、将来の生活に備えるべく、海水に馴染ませてくれたものでした。また、牡蠣やフジツボ、亀の手、傘貝、さらには岩ノリなどの海草の生えた岩場の上に私を残し、そばの海中に潜ってサザエやウニ、伊勢海老、蛸などを捕る姿を見せては、好奇心旺盛な幼い身を楽しませてもくれました。もちろん、それらの獲物を家に持ち帰り舌鼓を打ったことなども懐かしい想い出のひとつです。ある意味、それは島での生活に直接結び付く実践的な教育でもあったのでしょう。
これは余談になりますが、娘が幼稚園生だった頃、伊豆半島宇佐美の海水浴場に出向き、彼女を背中に乗せてかなりの沖合まで泳ぎ出したことがありました。ただ、慎重を期して小ぶりの浮き袋を携行させてのうえでした。もちろん、それは、かつて祖父が幼かった私にしてくれたのと同じことを娘にしてやり、海に慣れるトレーニングをしてやろうという親心のゆえの行為だったのです。ところが、その様子を見咎めた浜辺の見張り台上の遊泳監視員から、一帯に響き渡るスピーカー越しの大声で、「沖を泳いでいる子連れの方、危険なので直ちに遊泳を中止してください」と勧告され、やむなく浜辺に戻ったような次第でした。当然のことですが、そのあと娘はとても恥ずかしがり、一緒に沖合まで泳ぎ出すようなことは二度となくなってしまいました。人影の少ない磯場や岩場の海ではなく、海水浴客の大勢いる浜辺を初期トレーニングの場として選んだのが失敗だったというわけです。
(実践的泳法習得の過程を回顧) 
 さて、その後の実践的な泳法習得のプロセスですが、小学校低学年の年頃にもなりますと、仲間たちや上級生、さらには中学生らと一緒に集落沿いの海辺に出向いては、見様見真似で遊びと実益性を兼ねた初歩的な貝獲りや魚獲りの技法を学んだものでした。深い海での長時間の遊泳にとって何よりも重要なのは浮き身の技術を身につけることです。塩分濃度が高く、真水よりも浮力の大きな海水中で仰向けになって身体の力を抜き自然に手足を伸ばすと、全身が水面に浮き上がる感じになり、顔面の目鼻や口の部分、胸部の一部などが水面上に浮かび出た状態になります。そのままの体勢で呼吸は普通にできますから、その気になれば天を仰ぎながら長い時間潮の動きに身を任せ、身体を休めながら浮かんでいることができるのです。海が大荒れしているときはべつですが、通常の状態の海面であれば、一旦浮き身の技法を身につけると溺れる心配がなくなりますから、水深のある海中へと泳ぎ出すのも怖くはなくなってきます。浮き身のやりかたそのものはその気になれば誰でも容易に習得できるようなものなので、現代でもそれなりに有意義ではあるでしょう。
 浮き身の次に覚えたのは立ち泳ぎと平泳ぎです。それらもまた、大人や上級生の遊び仲間の泳ぐ姿を手本にして自分なりに手足をバタバタやっているうちに自然と身についていったものです。首から上だけを水面上に出して泳ぐ立ち泳ぎの場合は、周辺に向かって言葉を発したり、水中眼鏡の調整をしたりすることもできるので重宝もしたものです。一方、平泳ぎのほうは、単なる長時間の遊泳ばかりではなく、海中の獲物を探しそれらを捕獲する素潜り漁の基本とも言うべき実践的泳法ですから、じっくりと時間をかけて習得していきました。通常、多くの人々は、水泳というと平泳ぎよりもクロール、背泳、バタフライなどの泳法を想い浮かべがちですが、それはあくまで体育の授業や競泳を目的とするプールでの泳ぎの話です。当時は島内のどこにもプールなどは一切存在しておらず、従ってクロールや背泳、バタフライなどという泳法を特別に学ぶようなことはありませんでした。 
もちろん、平泳ぎの変形スタイルとしての横泳ぎや、浮き身の延長技法としての我流背泳ぎなどの手法は自然に身につけましたし、本土からの訪島者などがクロールやバタフライで泳いでいるのを目にしてその真似事くらいはしたものです。ただ、あくまでも、島の生活と密着した堅実な平泳ぎこそが海辺育ちの人々の根幹的技法ではあったのです。
 浮き身、立ち泳ぎ、平泳ぎなどをしっかりマスターすると、いよいよ素潜りの習得に挑むことになったものです。両手で強く海水を掻き分けながら水面上で前方回転する感じで上半身を水中に突っ込み、さらに両手両腕を激しく動かして下半身をも水中に引き込みます。そしてそのあとは平泳ぎと同じ手足の動きを見せながら水中深くまで潜っていくわけです。慣れてくると、足踏みをする要領で後方に水を蹴り出しながら、より効率的に水中を動き回ることができるようにもなったものです。
素潜りを始めたばかりのときは2~3mの深さまで潜ることができれば上出来ですが、息継ぎの仕方や水中での自己制御法が身についてくると、次第に深く潜水できるようになっていきます。私の場合、中学3年生になる頃までには10メートル前後の深さまでなら難なく潜れるようにもなりました。
 自由に素潜りができるようになると、潮流の変化や潮の干満の度合いを勘案しながら海底の砂地や岩場に棲む魚介類を探し出してその生態を観察し、そのうち必要に応じてそれらを採取できるようになっていきます。柄の先に鋭い鉄器の付いた手鍵や手製の銛を携えて海底の岩穴に近づき獲物を狙えるレベルにまで達すると、その成果はもう子どもの遊びの段階を超え、幾らかなりとも日々の時給時速生活の支えともなっていったものです。
 かつての泳ぎというものはプールで速さを競うためのものではなく、いざというときにも役立つ実践的な生活技術だったのですが、離島の施設や学校にもプールが普及した今日では、島育ちではあっても補助器具なしでの長時間遊泳や素潜りなどができる若者らはほとんどいなくなりました。実際、時代の変化に伴って失われる知恵や技術は少なくはありません。いずれは自然を対象にした人間固有の自主的行動力さえも減衰していくことになるでしょう。

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