時流遡航

《時流遡航》電脳社会回想録~その光と翳(27)(2014,06,15)

連載を中断してSTAP細胞問題を取り上げたが、話をまた元に戻すことにしたい。

成り行き上ジェネラルストライキの報道を独占するかたちになったBBCだが、それは喜んでばかりもおられない事態であった。放送免許交付の条件として、BBCは国家の緊急時には政府のメッセージをそのまま放送し、必要に応じて政府の直接的な統制を受けることになっていた。そのため当時の大蔵大臣ウインストン・チャーチルを中心とするグループは閣議において、この際BBCを強制接収し政府の一機間として活用すべきだと強硬主張した。その際の閣議は穏健派と強硬派の間で揉めに揉め、強硬派の主張に動かされた政府筋は一般国民に政府側の見解を訴える放送をしたいとBBCに働きかけた。すると、リースは、「その場合にはTUC(労働組合会議)に対しても発言の機会を与えないと不公平になる」と反論して政府サイドの一方的な見解放送を認めようとしなかった。

(チャーチルと対立したリース)

チャーチルはリースの態度に立腹し、「そのような経営者は信頼できない。断固解雇すべきだ」と息巻いたが、リースのかねてからの根回しもあって、閣内の穏健派は「BBCに対する政府の権限はどうであれ、この際、BBCを中立か、そうでなくても半中立の状態にしておくほうが先々のために賢明である」という立場をとった。そして、最終的にはリースの理念の本質を熟知しその判断を信頼していた首相のボールドウィンが裁定をくだすことになり、その政治的判断によりBBCの自主的運営が認められることになった。だが、チャーチルとリースの反目はこの時を境にして決定的なものとなっていった。

ジェネラルストライキの進行中、チャーチルは発行が再開された政府系新聞「ブリティッシュ・ガゼット」の編集を蔵相官邸で自らが担当し、徹底的な政府のプロパガンダをおこなうとともに、TUCに対してばかりでなく、BBCの態度に対しても批判と中傷を試みた。いっぽうのTUC側もその機関誌「ブリティッシュ・ワーカー」で即座に応戦、政府批判を展開したばかりか、「BBCは政府側の放送局だからそのニュースを信用しないように」と組合員に警告を発し、BBCの一部間違った放送内容を取り上げては、「BRITISH BROADCASTING COMPANY」をもじって「BRITISH FALSE COMPANY」、すなわち、「英国嘘つき会社」などと揶揄したりした。

そんな中でリースもまた朝6時から深夜まですべての主要ニュースに目を通し、自らの放送理念に従ってその編集を行った。彼は、なるべく公正な報道を実践するように努め、政府側の声明やコメントばかりでなく、TUC本部の声明や指令なども同様に取り上げるようにしたし、デモ行進の様子を報道するにあたっても、「労働者のデモは大きな混乱もなく、きわめて秩序正しく整然とおこなわれた」といった風になるべく客観的な伝え方をするよう配慮した。さらに、野党の政府批判などもそのまま報道するように心がけた。

BBCが独自のニュース放送をはじめてから2、3日はラジオニュースのスタイルとしてはおかしなところが随所にあらわれもした。だが、5月3日までは新聞社から提供されるニュースをそのまま読み上げるだけで、リース自身がリライトしたり編集したりすることなど一切認められていなかったのだから、それはある程度やむをえないことであった。実際、それから一週間も経たないうちに、リースの指導のもと、BBCはその後の報道の基盤となる独特のニュース・スタイルを創り出すことに成功した。

ニュースの内容については一部に間違いが含まれるようなことも起こった。しかも、それは、情報の入手経路の関係もあって、どうしてもTUC側のものに多くありがちだったから、「ブリティッシュ・ワーカー」がその不手際を槍玉にあげたことにも一理はあった。しかしながら、政府発行の「ブリティッシュ・ガゼット」やTUC発行の「ブリティッシュ・ワーカー」を講読していない一般国民にとっては、ストライキ実施中BBCは唯一のニュース報道機関であったし、ストライキに参加している労働者の中にもラジオニュースに耳を傾ける者が日毎に多くなっていった。だから、BBCの聴取者数はこのストライキ期間を通じ飛躍的な増大をみせた。スト突入前にはストライキ中の大混乱も予想されていたが、ごく少数の逮捕者が出ただけで意外なくらいに平静が保たれたのは、BBCの的確かつ公正な報道のお蔭だったといわれている。

5月12日午後1時のニュースはリース自らがマイクに向かって読み上げていたのだが、その途中で、調停委員会との連絡係を務めているスタッフを通じ、ストライキが終結したという情報が飛び込んできた。リースはさりげなくそれまで通りの放送原稿を読み続けながら、事実確認のため首相官邸と至急連絡をとるようにとのメモ書きの指示を出した。そしてそれが確実な情報だと判明すると、彼は間髪を入れず、「ただ今はいりましたニュースをお伝えします。TUCの中央委員会を代表し、ビュー氏は今日正午からダウニング街10番地の官邸で首相と会談を行いました。そして、その結果をうけ、本日をもってジェネラルストライキを終結するという声明を発表しました」とスト収束の第一報を放送した。

こうして、イギリス国民はジェネラルストライキ突入のニュースとその終結のニュース両方に関する第一報をBBCの放送を通じて知るところとなった。そして、この一連の出来事のお蔭でBBCの存在は英国民に広く知れ渡るようになり、新たな報道機関としての地位を不動のものとするようになった。また、このストライキは別の意味でもBBCに想わぬ幸運をもたらした。感度のよくない鉱石ラジオでも放送が聴けるようにという配慮から、ストライキの期間中BBCは一時的に放送出力を増大することを承認された。ところがイギリス国民の殆どはスト終結後も同じ出力で放送が続行されるのを望むようになり、もとの出力に戻すことを納得しようとはしなかった。そのため政府当局もそれを嫌う新聞連盟も妥協せざるをえなくなり、BBCのサービスエリアは一挙に拡大するにいたった。

リースは、この時の教訓をもとに、「どんな争いにもいつかは和解の時がくるに違いない。だが、もしも世界が完全に敵と味方に二分されてしまうようなことが起ったら、対立の収拾は困難となり、双方が和解できるまでには長い時間を要することになるだろう。将来、そのような事態が生じた場合にも両者の立場を踏まえた公正かつ的確な報道ができるように、BBCだけは中立でいることにしよう」と、一層その意を固くするようになった。リースのこの方針はジェネストの最中におけるBBCの客観的な報道に感銘をうけた国民にも強く支持されるようになっていった。こうしてBBCの放送理念は次第にそのかたちを整えていったのであった。

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