時流遡航

《時流遡航》STAP細胞問題に見る科学界の光と影(2014,06,01)

理化学研究所の理事会と調査委員会は、STAP細胞論文の不正認定に対する小保方晴子氏側の不服申し立てを退け再調査しないことを決定し、ネイチャー論文撤回を勧告した。一方の小保方氏側は論文撤回を拒み、調査委員会メンバーの既出論文の不手際をも引き合いに出して法廷闘争も辞さない構えのようだ。しかもその余波が次元と状況のまるで異なる山中伸弥京大教授の研究にまで及んだとあっては、開いた口が塞がらない。小保方贔屓の告発の裏には、諸事情で理研を辞さざるを得なかった一部OBの意趣返しなどもあるようだ。現実問題としては、万一小保方氏が勝訴したとしても、疑惑濃厚になっているSTAP細胞の再現性が立証されないかぎり理研に彼女の居場所はない。ただ、皮肉な見方をすれば、「オボカタ花」という一輪の徒花は、理研をはじめとする日本の科学界やその周辺社会のありかたに猛省を促す意味でも重要な存在ではあったのかもしれない。

(理研の歴史と組織を俯瞰する)

メディアによる一連の理研批判はやむをえないが、この際少し冷静になってその組織の光と影を見据えてみることにしたい。創立以来一世紀に近い歴史をもち、寺田寅彦、西川正治、仁科芳雄、朝永振一郎、湯川秀樹、利根川進などのような著名科学者を輩出した理研が、日本の学術界発展に多大な貢献をしてきたことは間違いない。のちに有名大学教授となった学者らがまだ伸び盛りの若手研究者だった時代、自由な基礎研究の場を提供することによりその才能の開花を促した理研の存在は、科学史上高い評価に値する。理研を「科学者の自由な楽園だった」と回顧した朝永振一郎の言葉が誤解交じりで引用報道されてもいるが、正しくは「思考の柔軟な若手研究者が既成概念に拘束されず、チャレンジングな研究への専念を許された」というのがその本意であって、悦楽的な意味での楽園だったということではない。

財団法人としての理研の財政は創立時から厳しかったため、大河内正敏所長の時代に基礎研究成果応用の製品開発部門を傘下に設け、研究費を獲得する方策を採るようになった。それ以降、基礎科学研究部門とその応用製品開発部門とは、同組織を支える両輪として相互に連携機能するようになった。サイクロトロンをも開発し原爆研究をも進めたその「理研コンツェルン」は終戦直後に完全解体され、のちに民間の株式会社として再建された。だがその経営は苦しかったため、やがて国の支援を受ける半官半民の特別な会社となり、58年に特殊法人理化学研究所、そして03年には独立行政法人理化学研究所となった。

その運営を大きく国費に依存する独立行政法人となった理研は、東大・京大以下の国立大学法人と同様、実益優先の社会風潮に沿った「成果主義」の促進に伴い、相応の対策をとる必要に迫られた。「成果主義」とは、その意義や実益性の理解が容易で国民にも広くアピールするような業績の短期的実現を促し評価する学術政策のことである。そのため、理研には「研究センター」という各専門分野担当の下部組織が多数設立され、研究成果を競うことになった。必然的に研究者数と研究費とは急増することになり、各研究センターのほとんどで任期制の人材雇用体制を敷かざるをえなくなったのだ。

いっぽう、大学では博士課程枠の大幅拡大に伴い、多数の博士が粗製濫造されてその質が低下したばかりか、どこにも行き場のないポスドクが溢れ返ることになった。もともとポスドクの受け皿にもなっていた理研だが、そんな状況下にあって採用した近年の若手研究者の人格や能力の水準には問題も多かったようだ。さらには独立行政法人化による組織の肥大化と複雑化に伴い、出向や天下りの官僚が増加する一方、一部では、研究成果を競うあまり、業績の誇大アピールや研究者と企業間の癒着なども生じるようにもなってきた。STAP細胞問題もそんな事態の延長上に起こったことなのかもしれない。専門研究の性質上、特定の研究センターで行われている研究内容は、分野が異なる研究者や組織上層部の管理責任者にはその直接的なチェックが困難なことも問題が深刻化した一因なのだろう。

かつて理研のオハコであった基礎科学研究もそんななかでは遂行困難に思われるが、近年大きく事情が変わってきていることだけは指摘しておきたい。少し前の時代までは、基礎科学の研究者は、数学者などが今もそうであるように、限られた情報やデータを基に純粋に論理的な思考を深めることにより大きな業績をあげることができた。要するに、科学者と技術者とは棲み分けがなされてきたのである。だが、近年においては先端基礎科学と先端科学技術の相互依存性や相互連携性が高まり、多くの分野でその境界が明確ではなくなってきた。従来は科学者と技術者に分かれていた両者が共同研究を遂行したり、完全に一体化して研究を進めたりする事例が日常化したのである。科学者は巨大かつ複雑高度な各種研究施設や超精密な研究機材に研究の深化を托し、一方の研究用各種先端機器メーカーやその専門技術者は科学者の研究成果を基にして一段と機器の精度や能力を磨き高めていくという新たな状況が生じてきたからなのである。理研傘下のSPring-8そのほかの理研大型研究施設に、東大、京大などをはじめとする有名国立大学の研究者が教授や准教授の地位を擲ち、任期制さえも承知で転職を図っているのも、ひとつにはそのような事情があるからなのだ。前述した理研の諸研究センターの人材状況と相矛盾するようだが、真に実力ある研究者のそんな動向もまた紛れもない事実なのであり、一理あることにほかならない。

(野依理研理事長の思いと覚悟)

実を言うと、野依良治理研理事長は随分以前から「科学者は社会と再契約せよ。科学者には、社会の要請に従い真剣に社会をリードする責務がある。社会と直接に関わる理研と大学との違いを自覚してほしい」という趣旨の発言を繰り返してきた。また、「寛容さは大切だが、甘えは禁物だ。『研究者のつもり』でいることが許されてはならない。10年前に約束したことがいま達成されているかどうかを検証もするべきだ」との厳しい指針も提示している。

そんな中で起こったSTAP細胞問題ゆえに野依理事長の内面の怒りと苦悩は甚大なようだ。自ら進んで過日のマスコミ会見に臨んだのは、同問題に対する最終処理が完了した段階で理事長を辞任する覚悟を秘めてのことだったようにも思われる。「特定国立研究開発法人」指定を受けるため小保方問題の処理を急いでいるとの批判もなされているが、実際には、野依理事長らは当該法人の指定が一年以上先延ばしになるのは当然だと受け止め、この際徹底的に組織の膿を洗い流すべきだと決意しているという。世界最先端の諸研究を行う理研組織が、そのごく一部に過ぎない発生・再生科学総合研究部門の不祥事で機能停止することは日本にとって多大な損失にほかならない。諸メディアには、科学技術を興味本位に扱うばかりでなく、真摯に科学者と対峙してその社会的自覚を促す役割を果たすことも願ってやまない。

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