時流遡航

《時流遡航290》日々諸事遊考 (50)(2022,11,15)

(通常の文体に戻しつつ憂慮の念を綴るも) 
 ひとり世の片隅にあって、ますます混迷を極める国内外の社会情勢を見つめながら、遣り場のない想いに浸りきっている。建前上は民主主義を標榜している諸々の国だが、その実態の殆どが「民死(・)主義」に近い状況にあることを想うと、今後の国際社会の展開にはこのうえない危惧を覚えざるを得ない。独裁者紛いの多くの為政者らが、民意に寄り添う振りをしながら、その実は民意の全てを無視して自国民を「民死(・)」の状態に置こうとする。その一方で、民衆のほうも、真摯に民意を表わすことの重要性を疎んじたり、巧妙な手口に騙されたり、暴政に怯え慄いたりした結果、一国民としての自らの本意とはまるで異なる為政者の意図や意向へと自身の運命を委ねてしまう。それこそはまさに「民主主義」の衣を纏った「民死(・)主義」の実体そのものにほかならない。
 こんなことを書くと、それは海外の国々の話――なかでも、ロシアや中国、北朝鮮、アフガニスタン、ビルマ、イランといったような国々のことで、日本などは今なお立派な民主主義国家ではないかと異論を唱える人々も少なくないだろう。しかし、安倍銃撃事件に端を発する旧統一教会問題や国葬の是非問題で揺れ動く昨今の日本の社会状況、とりわけ政界の惨状を目の当たりにしていると、この国が民主主義国家であるなどとは到底思うことができない。その行為自体は許されないとしても、そもそも山上という人物による元首相銃殺事件がなかったならば、日本の社会や政界を裏で深々と蝕む新興宗教の実態などを一般国民が自覚させられることはなかっただろう。現首相などは山上容疑者の行為を民主主義への挑戦だなどと述べもしているが、ちゃんちゃらおかしい言い分であって、筋違いも甚だしい。むしろそれは、ある意味で首相の言葉とは真逆の「民死(・)主義への挑戦」であったとさえいえよう。政治的な「民死(・)状態」、より皮肉な言い方をすれば「眠死(・・)状態」から、たとえ一時的であるにしろ、大多数の国民の意識を覚醒させてくれたわけなのだから……。
知らず知らずのうちにそんな「民死(・)状態」に陥ってしまっていたのは、詰まるところは国民全体の責任であり、自らもその責任の一端を免れ得ないことではあるのだが、何故この国はかくも愚かな状況に直面することになってしまったのだろうか。その現状を深く憂えたり反省したりすることもなく、日本は民主主義国家だなど嘯いている政治家らが殆どだとすると、その実態は最早「民死(・)主義国家」そのものにほかならないと断じてよい。
「民主」という2文字を党名に掲げる国内の3政党などは、それぞれに「自憂(・)民死(・)党」、「立倦(・)民死(・)党」、「国眠(・)民死(・)党」の如く、「民死(・)政党」と名称を変更するしかない状況に陥っている。さらにまた、公明党は「公迷(・)党」に、日本共産党は「日本共散(・)党」に、日本維新の会は「日本異心(・・)の会」に改称してもらったほうがよさそうな有様になっている。いずれにしろ、「民主主義」の面影は薄れ消え去っていくばかりなのである。 
 「民死(・)主義」へと成り果てた民主主義は、放置しておくと、「貧(・)主主義」さらには「瀕死(・・)主義」へと変容し、取り返しのつかない社会状況へと繋がっていくことにもなりかねない。そんな現状に歯止めをかけるために、我々国民はいったい何をすればよいのだろう。一部の識者の間には、「最早、落ちるところまで落ち込んでしまわないと国民は目覚めないだろう」といったような、醒め切った見方などもあるようだが、たとえそのような事態が想定されるとしても、ただ単に手をこまねきながら、悲惨な状況の到来をひたすら待ち続けるわけにもいかないだろう。老い先の知れたこの身のような人間ならともかく、未来を背負う若者らには、何としてもそんな時流に抗(あらが)い踏み止まって、真摯に昨今の社会や政治の実態と対峙し、今一度そのあるべき姿を模索しながら、国を再生して欲しいものである。
(若者に日本の再生を期待する)
近年になって満20歳以上が成人とされていた従来の制度が改正され、満18歳になった若者は成人と見做されるようになった。また、それに伴い公職選挙法も改正され、満18歳になると選挙権が与えられるようにもなった。その根拠として、表向きには時代の変容に応じた若者像を評価する幾つかの事由がもっともらしく提示されているようだが、その改正を積極的に主導した政権与党の動きには裏の思惑があったように推察されてならない。
今では老境の直中(ただなか)にある60年代や70年代時の若者は、現在の若者らと違って政治に対する意識が高く、また、中高年層の大多数が指示する保守政党ではなく、革新政党に対する思い入れのほうが圧倒的に強かった。むろん、それは当時の日本社会が政治と経済両面で急速な変革途上にあったことに加え、教育者の多くが若者らに対する政治経済的な基礎教育に熱心でもあったゆえ、若年層が強い政治意識を具えもつのは必然の流れであった。だが、やがて日本経済が爛熟期に入り国民生活全般が豊かになると、若者らの関心は新たに生まれた諸々の文化や流行の享受に専念する流れへと向かい、政治的意識の類は大幅に減衰するに至った。その結果、若年層における政治離れが生じ、その時々の政権与党を無条件で肯定したり、選挙における自らの一票など無意味だと考えたりする者が続出した。
やがてバブル経済崩壊期を迎え、日本経済の成長そのものは止まるが、バブル絶頂期の遺産を取り崩したり、多額の国債を発行したりすることによって、一定の生活水準だけは何とか維持し続けながら今日に至ることができた。そんな時流の所為もあって、若者らの多くは、依然として政治に無関心で通すか、あまり深く政治的思考をすることもなくその時々の政権与党を支持する傾向を強めてきた。老高年層に現政権批判者が多いのに対し、若年層に現政権支持者が多いのは、そのような背景あってのことだろう。60年代、70年代とは状況が完全に逆転してしまっているわけなのだ。
そう考えてみると、あまり政治意識の高くない若年層の票を狙う裏の意図があって、政権与党側が有権者年齢の引き下げを図ったという見方も成立し得る。もしそれが事実だとすると、若者らも舐められたものである。安倍元首相国葬での追悼スピーチの際の冒頭において、菅前首相は献花に訪れた若者らを礼讃する言葉を述べていたが、そのあたりのことが計算済みだった可能性は捨てきれない。もちろん、昨今の若者らの政治意識が低く、それが保守政権ならぬ「保首(・)政権」の維持に一役買っているにしても、一方的に若年層を責めるわけにはいかない。全ての責任は、本質的な意味での教育の重要性を忘れ、偏差値重視に象徴されるような受験教育優先の風潮をもたらした我々老高齢者にあるからだ。
 日本の若者らの潜在的思考能力は極めて高く、磨けばそれは必ず開花する。未来を背負う彼らには、自らの力を信じ、老獪かつ無責任な昨今の権力者の思惑など一蹴し、たとえ幾らかの未熟さや惑いはあろうとも、我が道を邁進し新たな日本を築き上げてもらいたい。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.