今号においては、BBCの放送理念やその成立史、さらには60年前の皇太子(現天皇)の訪英時のお姿などについての拙著「ある奇人の生涯」(木耳社)中での記述概要を手短に述べようと思っていた。たが、時宜を得た重要なテーマではあるし、折角の機会でもあるので、当初の予定よりは詳しくそれら一連の事柄について述べさせてもらうことにしたい。想定外の成り行きあってのことだとはいえ、「電脳社会回想録」というタイトルとは甚だ外れた話なので大変恐縮なのだが、その点は何卒ご容赦のほどをお願いしたい。
(BBC海外放送の伝統的理念)
石田達夫がBBC日本語放送部局に着任した当初、同部局のレゲット部長から受けたBBC放送、なかでもBBC日本語放送についての説明は明瞭かつ的確そのものであった。以下はその折のレゲット部長と石田の会話の要約である。
「BBC海外放送は、ニュースと各国語部門独自の文化番組からなっています。まず、ニュース番組ですが、こちらは海外放送の全部門において共通になっています。BBCの英文ニュースを各部局所属の部員にそれぞれの言語へと翻訳してもらい、それをその日のアナウンス担当者に読み上げてもらっているんです。もちろん、翻訳原稿にはイギリス人校閲者によるチェックがはいりますけれど」
「それじゃ、英文ニュースの日本語への翻訳の仕事が私の当面の業務になるんですか?」
「翻訳業務はもちろんですが、アナウンス業務や文化番組制作業務など、そのほかのこともすべてやってもらうつもりでいます。世界中で起っている重要な出来事を正確に人々に伝えることは我がBBC、なかでも海外放送部門の伝統的な任務です。その時点ではたとえイギリスの国益にとって好ましくないニュースだったとしても、極力事実に即してそのニュースを正確に伝えるべきだというのがBBCの基本理念なのです。たとえその行為が一時的には国家に不利益をもたらすことがあるとしても、長期的にみた場合には、必ずや国益になるはずだからです」
「イギリス政府の資金支援でBBCは運営されているわけですから、そんなBBCの伝統が確立されるまでにはずいぶんとご苦労があったのでしょうね?」
「もちろんです。今日のところは詳しいことは省きますが、政府筋からの厳しい批判やクレームに晒されたことなど一度や二度ではありません。たとえば、英国首相のチャーチルとBBCとはずっと犬猿の仲でもありした」
「そうだったんですか。戦時中、大本営発表をそのまま国民に垂れ流し放送してきた日本の放送局などとは大違いなんですね」
「なにが事実に即した客観的報道であるかということは現実にはなかなか難しい問題なのですが、いずれにしろBBC独自の判断でニュースの内容は決定されます。もちろん、BBCだって誤りをおかすことはありますが、その場合には、誤りが明かになった段階で素直に非を認め誤りを正します。その時々で最善を尽した上で誤りが生じるのはある程度やむをえません。それを怖れていたらなにも報道できなくなってしまいます」
「ご趣旨はよくわかりました。極めて冷静沈着な判断が求められるということなんですね」
「客観性というものは各人の見方によって少しずつ異なっています。たとえば、放送を聴く人のなかには、特定のニュースの裏に主観的意図が隠されていると感じたりする者もいたりします。その要因となっているのは、多くの場合、ニュース原稿の文中に紛れ込む情緒的な含みをもつ言葉なのです」
緊張して耳を傾ける石田に向かってレゲット部長はさらに畳み掛けるように言った。
「事実のままにニュースを伝えるには、なによりもまず論評を避けるよう細心の注意を払わなければなりません。そもそも、法的にBBCはニュースに関しては独自の見解を発表することを禁じられています。したがって、あるニュースについて何らかの見解を報道する場合には必ずその見解の出所を明示しなければなりません。我々BBCがニュースにおいて伝えるものは、いったんどこかBBC以外のところで外に向けて発表されたものでなければなりません。ただ、真のジャーナリストなら誰しもが自覚しているように、それら両者の境界線というものは必ずしも明瞭ではありません。したがって、ニュースを報道するという任務は容易なことではないのです」
「確かにおっしゃる通りですね。ニュースの原文を日本語に翻訳する場合でも、またそれをマイクに向かって読み上げる場合でも、その点には十分に気をつけるようにしたいと思います」
(報道用語にも厳密な配慮が)
「ニュースを正確に伝えるということに関しては、いくら神経を使っても使いすぎるということはありません。できるかぎり細かく原文や翻訳文の内容の的確さを検討するということに尽きるでしょう。たとえば、『英雄的な防衛者』といったような表現を用いたとすると、『英雄的』という形容詞のもつ含みのために、無意識のうちに我々BBCが特定の陣営に好意的であるかのような感じを抱かせることになってしまうかもしれません」
「なるほど、そういった問題もあるんですね。これまでそんなことなど深く考えたこともありませんでしたけれども……」
「あるいはまた、『否定する』とか『言う』とかいったような言葉のかわりに『反駁する』とか『主張する』とかいったような強い含みの言葉などを使う場合も同様のことが起ります。『野党はたった5議席しかとれなかった』というような表現中の『たった』とか『しか』とかいう用語も同じような事例にはいるでしょう。たいていの場合、この種の評論的な用語は不必要かつ過剰な装飾的修辞効果をもつにすぎません。ただまあ、我々だって人の子ですから、そこまで配慮するようにしていてもなお不完全さを避けることはできません。そのような場合には臨機応変に対処するしかないでしょう」
レゲット部長はさらに、「問題はニュース以外の文化番組のほうなんです。私は、今後日本は急速に復興して世界の先進国となり、イギリスと同様の悩みをもつようになるだろうと確信しています。すでに友好国となった日本向けの放送においては、イギリスがどんなところで問題解決に失敗したのか、また、今後、どのようにしてその失敗を切り抜けようとしているのかなどといったようなことについても包み隠さず伝えるようにしたほうがよいと思っています」とも付け加えた。
石田はそんな説明を聞きながら、ニュースひとつを報道するにあたっても、これほどまでに厳格な指針をもつBBCの理念の高さと伝統の奥深さにひたすら舌を巻くばかりであった。そして、報道というものが何たるかをここにいたってはじめて痛感させられたのだった。その後に自分でも調べてみて初めて分かったことなのだが、実際、BBCには権力との壮絶な戦いの歴史があったのだ。