時流遡航

第41回 原子力発電所問題の根底を探る(7)(2012,07,01)

93年の大飯原発探訪の際に原発の立地条件について尋ねてみた。すると先方は待ち構えていたかのように、ごく当然と思われる次のような3点を列挙してきた。

  1. 発電炉の運転や安全管理には大量の海水や真水が不可欠だし、資材運搬の便宜的問題もあるので、海に面しているか大きな河川の河口に近い場所でなければならない。
  2. 原子炉の耐震性や核燃料、放射性廃棄物などの安全管理上の問題から、地下岩盤は強固で安定したものでなければならない。
  3. 人家からなるべく離れ、人間の往来が少ないところでなくてはならない。

既に述べてきたように、このような条件のすべてを完全に満たし、しかも地域住民の理解が得られる場所は日本では皆無と言えた。そこで、政治的な判断のもと、それらの立地条件を「弾力的」すなわち「適当かつ曖昧」に解釈し、経済的利益や各種補償を関係住民にアピールしたうえで建設促進されたのが大飯原発をはじめとする若狭一帯の原発であった。現在、大飯原発を含む若狭の諸原発の敷地一帯には活断層や破砕断層帯が潜在することが指摘され安全性が大問題となっているが、原発建設当時の地質学的な探査能力の水準などからすると、それら断層帯の存在はほとんど考慮に入れられていなかったと思われる。また、仮にある程度その種の断層帯の存在がわかっていたとしても、よほどの危険性があると判断されないかぎりは、原発建設促進へと大きく傾く時代の趨勢の中でそれらの存在は無視されることになっただろう。

大飯原発4号炉を見学する

言うまでもないことだが、それら3つの立地条件は、おのずから原発というものそれ自体は危険なものであるということを物語っていた。だからこそまた、科学の粋を集めて危険防止機能、すなわち安全弁の役割を果たす特殊構造を何重にも設けて制御していくことになるはずなのだった。本質的に安全であるということと、危険だからこそ人知の限りを尽くして極力安全に努めていく必要があるということとは本来異なる話である。現在に至るまでの原発に関する不毛な論争は、もともとこのあたりの問題に対する認識や対応のずれから生じてきたと言ってよいだろう。原発関係者は、当初からいたずらに「安全」という言葉を繰り返してばかりいるのではなく、むしろ、「本質的には危険だからこそ、現代科学技術のすべてを傾けて徹底した危機管理を行い、人知の許すかぎりの配慮のもと極力安全運転に努めている」という姿勢を率直に打ち出し、原発の関連情報を広く開示すべきだったのだ。そして、諸状況の変化に伴い新たな安全対策が必要になったときは、即刻それに対応しなければならなかったのだ。19年前のその折にも私はそんな思いを率直に述べてみたのだが、相手はそんなことは杞憂にすぎないとでも言いたげな表情を見せた。

接客室でのブリーフィングが終わると、我々は専用バスに乗り込んで原子炉施設へと向かうことになった。バスの同乗者は運転手の外には案内担当者と我々3人だけという特別な状況だった。バスが小高い丘を越え、よく整備された桜並木の道沿いにしばらく進むと、厳重な監視態勢の敷かれた検問ゲートが現れた。案内担当者がいったんバスから降りて我々見学者のリストを係員に手渡し、そのチェックが終わると、見るからに重そうな鉄のゲートが開きバスの通行が許された。そして、そこからしばらく進むと急に視界が開け、4個の巨大な白磁の壷をも想わせる4基の原発がその姿を現した。ほどなくまた前方に装甲車でも突破の難しそうな正面ゲートが現れ、そこで再び厳格なチェックが行われた。そのあと正面ゲートを通り抜けたバスは、現在その再稼働の可否が大問題となっている4号炉の方へと進み、さらにもう一度、チェックの厳しい堅固なゲートを通過した。

至近距離から眺める原発の建屋は想像していたよりもずっと大きかった。見学の許される4号炉脇に駐車したバスから降りると、シャッターのピタリと閉じた建屋の入口らしいところで案内担当者が備え付けの器機を操作してIDの認証を済ませた。ようやく開いたシャッターの下をくぐり、そこからエレベータで上に運ばれ、エントランスホールらしいところで降ろされると、そこで待機しているガードマンによって今度は金属探知機による検査を一人ひとり受けさせられた。同行者が携帯していたテレフォンカードに探知機が反応する一幕などもあったが、ともかくも、こうして我々は原発施設の中に第一歩を踏み入れた。福島第一原発事故の起こった今にしてみれば、外部からの来訪者に対してそれほど厳しいチェック態勢を敷いている原発が、何故みずからの安全対策をないがしろにしたのかという皮肉な思いにさえも駆られるほどに、それは厳重な警戒ぶりであった。

核燃料取扱室と燃料保管水槽

他には全くひとけのないガランとした通路を抜けてまず案内されたのは、核燃料取扱室の周辺だった。見学者は、一面ガラス張りの見学専用通路に立ったままで核燃料取扱室内部の様子を一目で見渡せるようになっていた。濃いブルーの水を満々と湛えた大きな燃料保管用水槽の中に規則正しく配列、貯蔵されている細長い四角柱状のものがウラン燃料棒で、その水槽から奥の炉心部へと続く水路の中をロボット制御によってそれら燃料棒は炉に出し入れされるということだった。核燃料取扱室の中央奥にある炉心部の中はもちろん見えなかったが、そこで核分裂の連鎖反応がおこり、膨大な量の熱エネルギーと放射線とが発生しているわけだった。

我々がガラス窓越しに眼下のその光景に見入っている間にも、案内担当者は相変わらず「安全」の一語を繰り返し囁きかけてきた。しかも設置されている解説用のビデオの音声までもがこれでもかと言わんばかりに「安全」のお題目を伝え語りかけてきた。私はあまりにも軽いその言葉の洪水に辟易しながら、それほどまでにここは安全対策と安全アピールを必要とする危険な場所なのだと、心の中で呟かざるをえなかった。

次に案内されたのはタービン建屋見学室だったが、そこへ向かう途中の回廊の窓からは、これまた現在再稼働の可否が問題となっている3号炉を格納した高さ80mのドーム型建屋が大きく眼前に迫って見えた。近くで見ると想像していた以上の迫力で、「ここにこうして鎮座したからには、なまじっかなことでは動かないぞ」というその威丈高な声がいまにも聞こえ響いてきそうだった。そんな光景を見つめる私の耳元で、「我が国の原子炉は十分に安全な設計になっています。もっともソ連の原発は壁があってないようなものだそうですが」と囁いた案内担当者の自信たっぷりな様子を昨日のことのように思い出す。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.