2010年度のノーベル化学賞を鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一米国パデュー大学特別教授が受賞した。今では各種新薬や液晶ディスプレイの開発などには不可欠なものとなっているクロスカップリング技術(有機化合物の炭素同士を結合させる手法)の確立に対する授賞で、日本国民としては喜ばしいかぎりである。諸メディアが、「一昨年の4人のノーベル賞受賞と合わせて日本の科学力の高さを世界に誇示できた」と沸き立つのも無理はない。だが、ここは少し冷静になったほうがよいだろう。なぜなら、一連の受賞は日本学術界の現状を正しく反映したものだとは言い難いからである。最近の日本人研究者六人の受賞対象となったのはいずれも30年から40年昔の基礎科学研究であり、しかもそれらの半数は米国の研究環境下にあって達成されたものである。鈴木章、根岸英一両氏が受賞後の諸会見で暗に示唆しているように、いまこの国の高等教育機関や研究機関は危惧すべき状態に陥っているのだ。それを受けるように、国内32の国立大学理学部長でつくる会議が、「将来のノーベル賞につながるような基礎研究費の確保が困難になっている」との声明を発表した。
日本の大学の国際評価は?
タイムズ誌が発表した2010年度世界大学二百校のランキング・データによると、日本の大学では東京大学が26位、京都大学が57位、東京工業大学が112位、大阪大学が130位、東北大学が130位と、五校が200位内にその名を連ねている。だが、昨年度は11大学が200位内にランクされていたから、その後退ぶりは著しい。しかも、国内最高の評価を受けている東京大学の場合でも、そのランクは世界の最上位グループには含まれていない。上位20校のグループに属するのはハーバード大、カリフォルニア工科大、マサチューセッツ工科大、スタンフォード大、プリンストン大、ケンブリッジ大、オックスフォード大学など、欧米の著名大学ばかりである。欧米の大学に有利な評価法自体に問題があるとの見方もあろうが、現実にはそうばかりも言ってはおられない。
昨年の評価に比べると東大は四ランク、京大は32ランクも順位を落とした。しかも、東大は21位の香港大学にアジアの首位を明け渡し、国内2位の京大の場合は、韓国、シンガポール、中国などの著名大学の後塵を拝する事態になっている。アジア諸国について今年度のデータを見ると、ランキング入りしている大学数は日本の5校に対して、中国6校、韓国4校、香港4校、台湾4校、シンガポール2校と、ほぼ我が国と肩を並べ、さらにそのレベルにおいても日本のトップランク・グループをいっきに抜き去る勢いなのだ。ことに、香港やシンガポールの大学の躍進ぶりは著しい。もはや、日本の大学の学術研究水準はアジアの諸大学を断然リードしているなどと高を括ってはおられない状況である。
もちろん、欧米の諸大学に有利な国際間の大学ランク付けの手法には疑問点も少なくない。学術関係者に対するアンケート調査結果、学術論文の引用回数、研究者や学生の数とその質的レベル、研究施設の充実度、卒業生の社会的貢献度など、評価指標にはさまざまなものがある。評価結果はそれら指標の選び方や基準値の定めかたによって大きく変わるから、公表データをそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。各大学の総合評価値は、各指標の評価値を加重平均して求められるようなのだが、その結果が十分に適切かつ有意であるかどうかについては、統計の専門家その他の識者の間でも意見は大きく分かれよう。だが、いっぽうで、それらの評価付けに一定の意義と説得力があるのもまた事実なのだ。
大学危機を訴える日本の頭脳
昨年と今年の5月、愛知県の岡崎コンファレンスセンターにおいて、「学術のあるべき姿と大学等の組織変革」をテーマにした日本学術会議と分子研究所共同主催の学術会議が開かれた。その冒頭において、ノーベル化学賞受賞者で理化学研究所理事長を務める野依良治氏は、「いまや日本の大学院教育、なかでも科学教育は先進諸国のレベルに比べて相当に劣っていると言わざるをえません」という、辛辣このうえない言葉を吐いた。野依氏の真剣かつ語気鋭いその最初の一言に、会場にいた80名ほどの国内トップクラスの研究者や文部科学省官僚らは、しばし静まり返るありさまだった。
それに続いてマイクを手にした岩澤康裕日本学術会議第3部会長も、その挨拶を始めるやいなや、「このままですと、私たち日本人はもう子女の高等教育を海外の大学に委ねるしかないのかもしれません。これまでずっと、あちこちでこのような発言をするごとにジョークだと受け止められてきたのですが、実はこれは真面目な見解なのです」と、自嘲まじりの痛烈な言葉を発した。今年度の世界大学ランキング評価データをどう受けとめるかはともかくいとして、この岩澤康裕氏の言葉はいまやジョークでもなんでもなく、事実に即した文字通りの警告にほかならないのだ。我が国屈指の化学者で、日本化学会の会長を務める岩澤教授は本来物静かな人物であるのだけに、日本の大学の危機的状況を厳しく訴え、研究者の自覚と奮起を促すその姿には、鬼気迫るものが感じられてならなかった。
岩澤教授は、意表をつくその最初の言葉に続けて、近年の我が国の教育行政の絶望的なまでの劣化と大学教育の全体的なレベル低下を指摘し、大学関係者が広く連携して組織的に学術研究の危機を訴え、行政当局、メディア界、さらには国民全体の意識改革に乗り出すことが不可欠だとの持論を研究者らに力説した。だが、その語調の裏にこのうえなく悲愴な思いが秘められていることは誰の目にも明らかだった。
我が国では少子化が社会問題になっているにもかかわらず進学競争は熾烈を極め、経済不況下の今日においても塾や予備校はそれなりに活況を呈している。世の親たちは、ほぼ例外なく我が子の有名進学校入学さらには一流大学合格を望み、高額な教育資金の調達やその投資先の選定に奔走している。しかし、このままだと、そんな教育投資の結果として、運良く我が子が国内の有名な大学や大学院で学べる日がきたとしても、国際的に通用するような学術研究を行うことなどできなくなるかもしれないのだ。アジアの学術先進国を自負していたはずの日本で起っている高等教育衰退の兆候は、実際、想像以上に深刻なのである。国家の危機とも言うべきこの事態についてこれから詳しく述べていくつもりだが、その原因は想像される以上に根深くかつ複合的である。それはまた、未来への理念と展望を欠く表層的な文化の爛熟とも無関係ではないだろう。