時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(34)(2016,09,15)

(我が耳目を疑うような現実に次々と接して )
可愛らしくて純真そのものに見えるその小学生低学年男児が保護観察中だとの事実とその裏事情を聞かされるにつけても、我々ボランティア学生は驚きのあまりしばし言葉に窮する有り様だった。なんと、その男児はスリグループに属し、しかもそのなかにあって相当に重要な役割を演じていたというのだった。
 スリグループの活動に際してその子が果たした役割のひとつは、さりげなくスリの対象となるような相手を探し出しその周辺の状況偵察することや、同グループの大人らによるスリ行為実行中の見張り役、おとり役などであった。また、いまひとつの任務は、仲間がスッた財布などを素早く預かり、証拠隠滅のため警戒の目をすり抜けて一時的に現場を離れることであった。あとで仲間と合流したことはもちろんなのだが、時と場合によっては、その子自身が大人から仕込まれた手口でスリ行為を実践することもあったらしい。
 可愛い顔をした幼い子どもなどが電車やバスの車中をうろついたり、諸々の催物の際に人混みの中を歩き回ったり走り回ったりしても誰もさして気にとめたりはしない。ましてや、その子がスリグループに属し、重大な犯罪行為に一役買っているなどと想像する人は皆無に近い。スリ担当のベテラン刑事だって、よほどの事前情報でも入手していないかぎり、子どものそんな想定外の動きや役割を警戒しようとは思わなかったはずである。
 もちろん、汐崎荘に住むその子の父親はすべてを承知の上で我が子をそのスリグループに託していたわけである。当然グループからはその子の分け前が支払われていたのだろうが、その全額を父親が受け取っていただろうことは想像に難くない。なんとも遣り切れない話ではあったが、事実は事実として受け止めるしかなかった。さすがに昨今ではこのようなケースはなくなったことであろうが、当時はこれに類する事態は国内のあちこちで当然のように起こっていたに相違ない。
 中学生以上の年齢ともなると、各種の窃盗事件や詐欺恐喝事件を起こす者らも跡を絶たなかったが、むろん、父子寮の父親らの場合は、子どものそんな行為を素知らぬ顔で見過ごし、あわよくばその分け前に与ろうとするのが常のようだった。中学を卒業したあと高校に進学する者は皆無に近い状況であり、何かしらの職業に就く者はまだよかったが、ヤクザの末端組織であるパシリグループに身を置く者も少なくはなかった。
そんな中の一人に一帯で番を張るMという少年がいたのだが、その彼がちょっとした事件を起こし、練馬の少年鑑別所に収容されたことがあった。汐崎荘にボランティア活動に出向いた折など彼と親しく接することの多かった私は、差し入れを兼ねた面会を求めてその少年鑑別所まで足を運んだりもしたものだった。そんな時など、Mは涙さえ流しながらもう二度と愚かな行為などしないと誓ったものだったが、出所して地元に戻ると、そう時間も経たないうちに同様の不法行為を繰り返した。正直なところ、テレビドラマの金八先生のストーリーに見るような綺麗事ではとても済まなかったのだった。
 女の子の場合には、中学生以上の年齢ともなると、売春に走る者なども見かけられた。汐崎荘のような父子寮の背後にはそのような売春組織や、その斡旋をする仲介屋がいくらでも存在しており、ちょっと可愛い娘がいたりすると父親自らが進んでそんな我が子をその筋へと送り出すというようなケースも少なくなかった。それはまさに困窮の極みにおける「男」というものの悲しむべき本性の露顕とでも言うべきものなのであった。
(贈物を拒絶した男たちが実は) 
 ある時にはこんなことも起こった。クリスマスやお正月が近づく頃になると、我われボランティア学生は父子寮の各家庭に何かしらの贈物をしようと考え、街頭募金活動を行ったり、様々な伝手を頼って諸々の商店や企業などに物品の寄贈を働きかけたりしたものだった。募金活動の折などには、「お前らのやっていることは偽善だ」などと厳しく批判されたりすることもあったが、そんな声にもひたすら堪え、ともかくもいろいろな品物を準備した。そして、それらを学習指導室兼用のボランティア・ルームへと運び込んだものである。ただ、多様なルートから入手した物品の種類やその数量などは一様ではなかったから、それらを配布される側からすれば早いもの勝ちの一面がなくもなかった。
 ある年のクリスマスの日の午後、我われは汐崎荘に出向き、例年にならって施設の通路脇に折り畳み式の長テーブルを連ね、その上に贈物の品々を並べ置いた。そして、まずは一人につき一品ずつを希望通りに配り始めた。ところが、その作業を始めてすぐに、突然その場に三人の男たちがもの凄い形相で怒鳴り込んできたのであ。事情が分からず何事かと驚く我われに向かってその中のリーダー格らしい男が聞こえよがしに言い放った。
「おめーら、俺たちを乞食だとでも思ってんのか! バカにするのもほどほどにせいや!
俺たちだって好きこのんでこんなところに住んでいるわけじゃねーんだぞ。どうしようもないわけがあって偶々ここにいるだけで、一日でも早くこの寮から出て行きたいって思ってるんだよ。そんな俺たちの気持ちも知らないでふざけるのもいい加減にしろや!」
 その凄まじい剣幕に圧倒され、また、相手の言葉にもそれなりの一理はあると思った我われは、やむなくしてテーブルに並べ置いた品々を再び大急ぎでボランティア・ルームへと運び入れた。一人の男などは無言のままで鋭いナイフのような刃物をちらつかせる有り様だったから、女子学生の活動員などはひたすら怯えるばかりで、その抗議に反論したり、こちらの意図を相手に鄭重に説明したりすることができるような状況ではなかった。だが、その日の深夜に一連の事態は誰もが想像すらしていなかった展開を見せることになった。
 我われ活動メンバーは、そのうちの誰かがなるべくそのボランティア・ルームに泊まるように努めていた。夜遅くまで子どもたちの相手をすることも必要だったからである。それでなくてもこの晩はプレゼント用品のほとんどを各家庭に配ることなく終わったようなわけだったから、ルーム内のそれらの物品管理をも兼ねて、活動仲間の男子学生二人がそこに泊まり込むことになった。そして、彼らが熟睡しかけた真夜中のこと、誰かが激しくドアを叩く音がしたので、寝ぼけ眼(まなこ)で戸口に立つと、そこには昼間に怒鳴り込んできた三人の男の姿があった。そしてまた、件のリーダー格の男が呆れるような一言を吐いたのだ。
「昼間おめーらが並べていた品物はまだあるか? 中にはそれら欲しい奴もいるようで、まずは俺たちが貰ってやらないと連中も貰いづらいようなんだよ。だから、ともかくその品物を出せや!」――彼らは、そう言って部屋に押し入ると、無抵抗のまま呆然と佇む泊り番の学生を尻目に、目ぼしい品物を片っ端から持ち去っていったのだった。

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