時流遡航

《時流遡航284》日々諸事遊考 (44)(2022,08,15)

(老いた身が小ドライブ旅行に托す想い――②)
 翌朝深い眠りから醒めたのは午前6時頃のことでしたが、折しも早朝特有のやわらかな光が、部屋の窓辺を覆うカーテンを明るく照らし出していました。10畳敷きの客間を独り占めしていた私は、その光に誘(いざな)われるようにして、おもむろに寝床から立ち上がると、カーテンを開きガラス戸を押しあけて板張りのベランダへと歩み出てみました。そして初夏の爽やかな大気に全身を委ねながら、大きく眼下に広がる太平洋の朝明けの光景を見下ろすことになったのです。空全体は薄曇り気味で、静かな海面(うなも)を赤々と照らす朝の陽光こそ見られなかったものの、穏やかそのもののその情景を目にしていると、不穏な世相の流れを前にして些か苛立ち揺れ惑う心が癒され、静かな境地へと導かれる想いがしたものでした。 
 折々涼やかな風の流れる標高400mほどの高地にある恒陽台別荘地の緑豊かな情趣のほうもなかなかのもので、周辺の樹林一帯には早朝から鶯やメジロの鳴き声が高らかに響き渡っていました。少年時代、数々の鶯やメジロと日々身近に付き合い、その鳴き声から彼らの生態を察することもできるようになっていたこの身にしてみれば、それはもう懐かしいかぎりではありました。雄雌の区別はもちろん、それぞれの鳴(めい)鳥(ちょう)の成長段階の相違や個体相互間の力関係などが、その囀(さえず)りぶりを通して読み取られもするからなのです。
 ただ、久々に耳にするこの朝の鶯やメジロの囀りには、こちらの気のせいだったのかもしれませんが、何処かこれまでのものとは異なるメッセージが込められているようにも思われてなりませんでした。その美しくやわらかな、それでいて時に鋭い響きの音色をもって、老い果てたこの身に何事かをそっと囁きかけてきているような思いがしてならなかったからなのです。「老いたお前はもう我を張って生きる必要などないのだ」と諌め諭しでもするみたいな響きがそこには秘められているように感じられもしたのでした。
そんな鳥たちの鳴き声に包まれながら、眼下に広がる海面(うなも)に目を転じ、遥かな水平線上に視線を送ると、ほんの幽かながら伊豆大島や利島の島影が霞み浮かんで見えました。そこで時計の針を大きく巻き戻し、それらの島々を訪ねた遠い昔の日々のことを回想しているうちに、ついつい愚にもつかない情感に浸らされることにもなったのです。まだ未来を見つめ続けるだけのエネルギーを内有していた当時の私は、大きく展望の開けた伊豆大島の高原に佇んでいました。そしてそこから、眼下に広がる海越しに今自分が立っているこの伊豆半島東部一帯の景観を眺めながら、己の身の程をも弁えず、前途に広がる未知の世界へと誇大な幻想を馳せ募らせていたものでした。
しかしながら、最早老い果て、過去の世界を顧みることくらいしか許されなくなったこの身は、遠い島影の向こうに隠れ潜む若き日の己の幻影とあらためて対峙させられる羽目になったのでした。未来と過去に押し挟まれるようにして浮かび上がる一介の芥(あくた)の如き人生模様に一瞬呆然とする心に、鶯やメジロはその優しい鳴き声をもって、「まあいいじゃないか、人生なんて所詮そんなものよ!」と語り囁きかけてくれたのでした。
考えてみれば、如何にこの宇宙が壮大かつ深遠なドラマを秘め持っていようとも、それられを眺め讃える、「私」というこの小さな魂が存在していなければ、全ては無に等しいと言ってよいでしょう。我々個々の生命体は、どんなに微細で取るに足らないなものではあっても、宇宙が自らの姿を映し出し認識するために不可欠な、鏡のような存在なのかもしれません。早朝、伊豆の地の別荘ベランダに佇みながら、愚にもつかないそんな妄想に暫し身を托し委ねた私なのでした。野の一隅にあって、人知れず枯れ果て、やがて息絶えるべき雑草の身として、それはせめてもの慰めとでも言うべきものだったのでしょう。
(伊豆高原の湯で心身を癒す!)
 その日の午後、大脇君は自分の車に私を乗せると、伊豆高原駅近くにある日帰り温泉へと案内してくれました。一帯の道路状況に精通した彼の車の運転ぶりは実に手慣れたもので、前日私が慎重に走り登ってきたカーブだらけの急坂を、驚くほどの速度で走り下りもしたのです。かねてから「不良老年暴走族」と自らのことを揶揄してやまない、同年齢の後期高齢者ドライバーの身としては、その若々しい車操姿に感銘せざるを得ませんでした。
 案内されたのは、暖簾に赤く大きな文字で「ゆ」と記された、「伊豆高原の湯」という温泉場でしたが、これがまたなかなかに風情ある施設ではあったのです。屋内浴槽の造りや湯加減も抜群でしたが、圧巻は湯の温度と石組みの形状がそれぞれに異なる浴槽が3段状に並ぶ露天風呂でした。私は下段の浴槽から順にその湯加減や雰囲気を確かめながら上段を目指し、最後にかなりの高所に離れて位置する最上段の浴槽まで上ると、その石組みの間に深々と身を沈めました。長湯に適したぬるめのその湯、風情ある石造り湯船全体をやわらかに包み込む樹林、そして、その樹林の奥から響き渡る鶯やメジロ、ヒヨドリの鳴き声――私はそのまま眠り込んでしまいたくなるような思いで、澄み切った湯に深々と浸り続けました。
 先に湯から上がった大脇君は休憩室で私を待っていてくれたのですが、広いその部屋がまた実に配慮の行き届いた造りになっていたのです。ゆったりとして伸縮自在な安楽椅子が何十脚もずらりと並び、それらの半数近くは全身の自動マッサージも可能な特殊構造になっていました。また、その部屋の奥には大きな本棚が配置されていて、そこには大量の漫画本や絵本、小説、エッセイなどがずらりと並び、誰もが自由に手に取って読めるようにもなっていたのです。大脇君はその本棚寄りの椅子に大きく身体を伸ばして座り、漫画本を片手にしながら、半ば眠り込むような姿で私を待っていてくれました。彼の話によれば、閉店になるまではそこで一日寝ながら過ごしても一向に構わないとのことでした。
 ちょっとした売店なども中にあることゆえ、その気になれば何度も温泉に入ったり、安楽椅子で仮眠をしたり、軽食をとりながら気ままに漫画や小説を読んだり、さらにはマッサージチェアで全身の筋肉をほぐしたりしながら、一日中そこで過ごすこともできるわけで、そのシステムはなかなかのものと言えました。地元の老人などならば、折々この施設に通いながら近隣の人々との社交場として気軽に活用できるわけですし、通りすがりの旅人でもそれなりに心身の安らぎを得ることができるのですから、国内各所にもっとこの種の施設ができてもよいのではと考えもしたような次第でした。何度となくこの一帯を旅したことのある私にとっても、それはまたちょっとした発見ではあったのです。
 温泉を出たあと、伊豆高原駅ビル2階の和食屋に入って夕食をとったのですが、地場産の新鮮な魚介料理の味は抜群で、舌鼓を打つことしきりではありました。そして再び大脇君運転の車に乗り、満ち足りた気分で恒陽台の別荘へと無事戻ったようなわけなのでした。

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