時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――その概観考察(17)(2018,09,01)

(芸術的表現の世界における「抽象性」の意義とは )
 絵画の世界などにおいては「抽象画」という言葉がよく用いられます。パブロ・ピカソの作品群に代表される抽象画とはそもそもどのようなものなのでしょうか。抽象画とは具象画、すなわち写実的絵画に較べて何やらわかりにくい絵画作品で、どこか得体の知れない雰囲気を漂わせているところがあるなどと一般には見做されたりしているようです。実際問題として、絵画の世界におけるこの「抽象」という概念はいったいどのようなことを意味しようとしているのでしょうか。いくらなんでも「その図柄がわかりにくい」とか「何だか奇妙奇天烈な感じがする」とかいったような、批判的ないしは皮肉じみた含みを込めて用いられたものであるとは考えられません。
ある人物の主張に具体性や現実性が欠けているということを指摘するために、「お前の意見は抽象的すぎる」といったような言い回しが用いられることはよくあることです。そして、そのような事例からもわかるように、通常我われが用いる日本語の「抽象」という言葉には、少なからず負のイメージが付き纏いがちなようなのです。ただ、当面、それはそれとして差し置くことにし、一旦ここは冷静になって、その言葉の持つ根元的な意味合いを再確認してみることなども必要となるでしょう。 
「abstract」という外来語を和訳した「抽象」という言葉は、様々な具体的事象や個別の多様な概念などからそれら全体に共通する特定の性質や状態だけを抜き出す行為、及び、その行為によって抜粋された内容を思考の対象とするような人間の精神作用のことを意味しています。また、その対照概念を表す言葉が、個別の具体的事象などを指す「concrete」、すなわち「具象」であることは言うまでもありません。「concrete」という英語はビル建設や道路舗装に用いられる「コンクリート」などをも表す言葉でもありますが、もちろんこの場合はそのような意味で用いられているわけではありません。
 当然のことですが、具象、すなわち、抽象の基盤となる個々の具体的事象の様態に大きな変化が生じたときには、それに応じて抽象された概念そのものをも改めていかざるを得ません。ある抽象概念を盲信あるいは絶対視することによって、その概念の基盤である具体的事象群の大きな変容を無視したり、既成の特定抽象概念に具体的事象の様態変化を無理に合わせながらそれらを制御しようと画策などしたりすると、結果的にこの社会は多大な悪影響を被ってしまうことになるでしょう。
端的に言えば、我われ人間は、何時の時代にあっても、具象と抽象との間、すなわち、現実様態と理論的様態の間を常に行き来しながら、その時々の状況に応じた双方の様態の均衡点を模索し続けてきたのです。その意味では具象のみに拘ることも抽象のみに拘ることも賢明な判断だとは言い難いことになってしまいます。
(抽象画と具象画を対比すると)
 さて、ここで今一度話をもとに戻すことにはなるのですが、絵画の世界における「抽象画」とか、芸術的世界全般における「抽象的表現」とかいったものは、いったいどのよう役割を持つ存在だと考えるべきなのでしょうか。
昔の欧州の肖像画や風景画がそうであるように、描画の対象となるものを微細な点に至るまで正確に描くのがもともと西洋絵画の主流ではありました。写真技術などまだ存在しなかった時代にあっては、人物や風景を極力ありのままに描き留める写実画、すなわち「具象画」にはそれなりの社会的意儀と役割が有ったわけなのです。それらの具象画は個々の人間の容姿や個別な風景の特徴を詳細かつ精緻に、言うなれば写真にも劣らぬほどに対象物の様相を正確無比に描き上げることが主目的となっていたのでした。
ところが、時代の推移とともに、欧州の画家たちは、個々の人物や風景、なかでも王侯貴族や富裕層に属する特別な人物の姿や宮廷・豪邸の風物を克明に描くことよりも、人間全般の具え持つ姿やその内面、万人の慣れ親しむ風景などを象徴的に描き上げることへとその関心を向けるようになっていきました。そして、それゆえに、画家たちの間には、多くの人間に共通する本質的な特性や人々のよく知る風物の秘めもつ真髄を引き出す流れ、すなわち「抽象」を心がける風潮が生まれることになったのです。
まさにそれは抽象画なるものの誕生であり、その世界の象徴的存在とも言うべきピカソやその筆になる数々の名作登場へと繋がる出来事でもありました。一見したところでは異様にも思われる人物画や名高い「ゲルニカ」などのピカソ作品が欧米で高く評されるのは、そこに人間や人間社会のもつ深い闇が鋭いタッチで描かれているからにほかなりません。抽象画を鑑賞する場合には、そのような観点に立ち、作者の極めて理性的な、しかしその裏に秘め隠された激しい情動の炎の揺らめきを読み取るように心がけるべきなのでしょう。
日本古来の水墨画や浮世絵などにおいては、向き合う風物から作者が印象深く感じ取った内容で構成される風景、いわゆる心象風景を大胆に描き出したものが主流となっていました。また、そうでない場合でも、作者が心中で想像する風物や事象を描き出したものがほとんどでした。その意味からすると、それら日本の伝統的作品は写実性の高いヨーロッパなどの絵画に較べてもともと抽象度が高かったと言えるでしょう。浮世絵などの作品が一時期のヨーロッパの画家たちに大きな影響を与え、印象派と呼ばれる一連の画家たちの出現に一役買ったのは、そのような背景があったからだと考えられます。
 人物像の彫刻作品などの場合にも、昔はモデルの人物の風貌を実物そのままに彫り上げることが当然とされ、具象性があるほどに優れた作品だと評価される傾向がありました。ところが、そこに突然登場したのが「考える人」や「地獄の門」の作品などで知られるロダンのような彫刻家だったのです。ロダンは、特定の人物の写実的表現に拘るのではなく、総ての人間に共通する喜怒哀楽や諸々の内面の葛藤・矛盾など深く鋭く考察し、それらを自らの作品で表そうと試みたのでした。
ロダンの作品は一見したところでは具象的にも思われますが、実際にはそのような抽象性があったがゆえにこそ、一時代を画する新たな彫刻表現として評価される一方で、守旧派の人々からは批判されたり無視されたりもしたのでしょう。日本における近代彫刻の祖とも言われる荻原碌山や高村光太郎らがロダンの作品に魅了され、渡仏して直にその教えを請おうとしたのも、その斬新かつ衝撃的な表現手法のゆえだったのでしょう。抽象的芸術表現もその抽象度が高か過ぎると、難解な科学理論同様に容易には理解できないものになってしまいますが、適度の抽象的手法はそれなりに有意義なものではあるのです。

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