時流遡航

《時流遡航》夢想愚考――我がこころの旅路(6)(2017,04,15)

   《川の流れに想うこと》
 老齢の域に達した今、あらためて独り静かに川辺に佇み、眼下を流れ去る水の動きにじっと見入っていると、若い時代にはその意味など深く問いかけることなどなかった情景が次々に脳裏をよぎっていく。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という書き出しで始まる鴨長明の方丈記の世界が今更ながら胸に迫ってくる有様なのだ。
川の源流は青く澄んで美しい。清冽な水の流れは細くて狭くはあるけれど、狂おしいまでに激しい勢いをなして急峻な谷間を一息に駆け下る。昨今たまたまそんな源流域を訪ねたりする機会があると、遠の昔に忘却の彼方に押しやっていたはずの記憶が蘇りハッとさせられることがある。体内に澄み切った水が流れていた頃の想い出が美しく、懐かしく、そして、ちょっぴり気恥ずかしいかたちをとって立ち現れるからである。
 しかしながら、海辺に近い川口一帯の風景もまた捨て難い。川口に流れつくまでの時間の中で大地の涙をいっぱいに背負い込んだその水は、たしかに濁り澱んでしまっていて、もはやそこには澄んだ輝きなど見当たらない。でも、その流れは、ゆったりとしていて、深くそして広い。 あるときは夕陽に映え、またあるときは街の明りを映し出すその水面(みなも)は、心の目でじっと見つめやると哀しいまでに美しい。そこにはまた、紛れもなく、ひとつの安らぎが潜み棲んでいる。そして、その川口の向こうにはもっともっと広く大きな海があって、じっとこちらに無言の視線を送ってきている。
 その時々の心象風景を流れの何処に重ね見るかは人それぞれに異なることだろう。中流付近の川のたたずまいが今の自分には相応しいと思う人だっているに違いない。この「社会」という名の川だって、澄んだ水、濁った水、純白の飛沫(しぶき)をたてる水、黒いけれども滑らかに流れる水と、いろいろな水が流れ合わさってできている。多分、澄んだ水も濁った水もその一滴一滴の振舞いは長く大きな川全体の流れから考えると、そう賢くもないが、またそう愚かでもなく、そんなに清らかでもないが、また忌み嫌われるほどにも濁ってはいないのではなかろうか……。
 ただまあ、総じて眺めるなら、社会という名の川に流れる水は程度の差こそあれ濁ったり澱んだりしていることがほとんどだ。複雑多様な現代社会の中を流れるそんな濁流に全身どっぷりと浸かりながら、ほどほどには長い己の運命の川筋を川口へと向かってひたすら迷い流れゆく凡庸なこの身なのだが、旅先などでふと川面を眺めたりするときなど、よく思うことがある。人間には三つの象徴的な生き方があるのではないのだろうかと……。
 まず一つ目は、悲喜交々な出来事の澱み渦巻く濁流を超然と見おろしながら堤の上を川伝いに独り黙々と歩き続けていく生き方……これは世に聖人君子と称えられる人物らの辿る道で、偉大かつ崇高ではあるものの私のような凡人にはまるで無縁なしろものだ。
 二つ目は、移ろう川面に舟を浮かべてそれに乗り、自らはたまに水飛沫を浴びる程度で直接流れに身を沈めることはないままに、濁流の力を借りて川口まで流れを下っていく生き方だ。このような川の下り方は、実際には庶民によってしっかりと支えられているにもかかわらず、表向きには私利を捨て世の人々のために尽くしているように思われている人々、すなわち、諸々の宗教家や学究一筋の研究者、世の信頼厚い思想家などが進む道で、やはりこれも凡人にはほとんど無縁と言ってよい。たまに、濁流に揉まれて舟が転覆することもあったりするようだが、だからと言って、その隙を狙い不心得者が代わりにその舟に乗ろうとしても、そうそう事はうまく運んではくれない。
 三つ目は、濁流そのものに身を任せ、自らが濁りそのものの要因となって川面を茶色に染めながら、あるときは澱み、あるときは激しく奔りつつ流れ下る生き方で、もちろん、これは、私のような凡人の人生に相当すると言ってよいだろう。
(「濁りて澄める境地」とは?)
 さて、我々多くの人間には避けようのないこの三つ目の生き方なのだが、ひたすら濁流に身を任せるからといって、常に身体の奥底まで濁りっぱなし汚れっぱなしなのかというと、必ずしもそうばかりとは言えないような気もしてくる。もう随分以前のことになるが、大雨の降った直後に、日本海へと流れ込む大きな河川の堤防上に佇み、逆巻きながら眼下を流れ去る濁流をじっと見つめていたことがあった。その時、突然に遠い日のある想い出が懐かしく胸中に蘇り、それが契機となって、濁流に翻弄され続けた、そしてまた自らも濁りの原因となり続けた人生を、それまでとは異なる観点から少しばかり見つめ直してみたいという気分になった。
 幼少期に九州の離島の村に住んでいたこともあって、大雨や台風の直後などに轟々と音をたてながら濁流が渦巻き流れる有様を幾度となく目にしたことがあるのだが、ある意味ではそれは清浄作用を伴う実に不思議な光景でもあったのだ。土手をもえぐる凄まじいエネルギーで河原に積もったゴミや芥をも一気に押し流し、すべてを一掃してしまうその不思議な濁流の迫力は、幼い心にはとても感動的にさえ思われたものである。
 さらにまた、そんな折に濁った水を恐るおそる掬い取り、よくよく観察してみると、その中には様々な色や形の無数の砂粒が含まれていたものだ。言うまでもなくそれらの砂粒それぞれが濁りの原因そのものではあったのだが、それらの一粒一粒は意外なほどに艶やかで綺麗な輝きを帯びていたものである。なかでも、石英質の砂粒などは、どうしてこれが濁りのもとになるのだろうと首を傾げたくなるほどに美しく澄んだ光を発していたりもした。黒光りする斑糲岩(はんれいがん)質の砂粒もそれはそれで綺麗で艶やかなものだった。
 どんなに川が濁り汚れようとも、濁りの原因である一粒一粒の砂の粒子はそれが具え持つ本質的な輝きを失うことはない。それと同じように、人生の濁流に身を委ねながら生きる愚かなこの身であっても、心の奥のささやかな一角を、魂のほんの片隅を、澄んだ色に保つことくらいはできるのではないかとその時から思い直してみるようになった。もちろん、一人ひとりの者が放つ微かな光の色は、それぞれに異なっていてもよいと思う。たとえ見かけはどんなに汚れていたとしても、身体のどこかに小さな砂粒を一粒隠しておきさえすれば、たまに激流が渦巻くときには、他の無数の砂粒と一緒になって、社会という名の川そのものを浄化する力となることもできるのではないだろうか……。
 折々先人の言葉の中にも見かける「渾(こん)斎(さい)」、すなわち、「濁りて澄める境地」とは、もしかしたらそのようなことを言い表しているのではないかと考えたりもするこの頃である。どう足掻いても所詮お前は「渾々」の身だという天の声も聞こえてこなくはないのだが。

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