時流遡航

《時流遡航283》日々諸事遊考 (43)(2022,08,01)

(老身が小ドライブ旅行に托した想い――①) 
 5月下旬のことですが、高校同期生である大脇君から、久々に歓談でもしないかとの誘いを受けました。声を掛けてある人が他にもいるとかで、交歓の場は伊豆半島赤沢恒陽台にある同君の別荘だとのこと――まだ新緑の輝きも残る時節のことだったので、私は喜んでその誘いに応えることにしました。かつては紀行文執筆をも仕事の一環としていた身なので、折々車中泊を重ねながら日本本土の全海岸線や全都道府県を廻り尽くし、自らを「贋伊能忠敬」などと嘲笑したりもしていたものです。ただ、後期高齢者の仲間入りをしたことに加え、コロナ禍による移動規制の影響もあって、近年は遠出のドライブを控えてきました。それゆえ、近距離の小旅行のことであるとはいえ、長らく家籠りを続けていた愚身からすれば、文字通り「渡りに舟」というわけでもあったのです。
 長年の愛用車トヨタ・ウイッシュで多摩地区にある自宅を出発した私は、一般道を走行しながら伊豆半島へと向かうことにしました。有料道路を走るほうが到着は早いし運転も楽には違いなかったのですが、赤貧生活に甘んじる高齢三流ライターの身ゆえ、少しでも経費を節約したいと思うとともに、老いた心身の活性化を図るには、諸事象に細心の注意を払いながら、一般道をゆっくり走ってみるのも一法ではないかと考えもしたからでした。
 相模原、厚木、大磯、小田原、熱海と意図的に一般道のみを走り継ぎ、途中幾つかの道の駅に立ち寄ったりもしたので、伊東市に入った頃には既に日も暮れ、宵闇が迫っていました。ただ、南国の離島育ちの故なのか、今でも裸眼で難なく新聞雑誌を読めるだけの視力は維持できており、荒磯の岩々を飛び跳ねながら移動できるだけの筋力やバランス感覚も残っているので、車の運転そのものに疲労感を覚えることはありませんでした。
近年、悲惨な事故にも繋がりかねない高齢者の危険運転が続発していますから、老人ドライバーに対する特別規制が強化されるようになったのはやむを得ないことでしょう。ただ、その一方で、総合的な心身機能の活動を要する車の運転というものは、衰えゆく人間の五感や筋力の維持・活性化に役立つことも事実なので、話は何とも厄介なのです。とくに僻地の農山漁村在住の高齢者にしてみれば、車の運転は日々の仕事や日常生活の維持に欠かせないものなので、厳しく高齢者の運転を規制するのが最善策とはかぎりません。
 周辺からの忠告もあって運転免許を返上したという同年代の友人・知人も少なくないのですが、彼らの多くが共通して口にするのは、車を運転しなくなってから、総合的な心身機能が目に見えて衰えてしまったという、遣る瀬無い話なのです。私自身も何時まで運転を続けるべきなのかを目下思案中なのですが、生活環境や身体的能力には個人間で様々な相違があることゆえ、正直なところ的確な判断を下すことができずにいる有様です。ともかくも、老いた己の判断力や周辺事象への適応能力を過信しないよう、折々の運転状況をしっかりと顧み反省するよう心掛けてはいるのですが、その意味でも、かなり離れた目的地まで、複雑に交錯する一般道を辿りながらのんびりと走行する行為などは捨てたものではないかもしれません。もし途中で道に迷うような混乱が生じてしまったら、以降はもう運転を自粛し運転免許を返上するしかないというわけではありますが……。
(赤沢恒陽台を目前にして想う)
 そんな愚にもつかない想いに浸りながら走行を続けるうちに、車は伊豆急行の伊豆高原駅付近を通過しました。そして、そこから少し南下したところにある、赤沢恒陽台別荘地方面への分岐路に分け入ったような次第でした。20年程前にも一度訪ねたことのあるその地一帯の急峻な斜面や高台には、バブル期に建設されたと思われる大小数々の別荘が立ち並んでいます。ただ、高齢化社会となった現在、それらのうち実際に使用されている物件はどのくらいの割合なのだろうかという疑問が、ふと湧き浮かんだりもしてきました。
 密生する樹林に覆われた一帯は、既に深い宵闇に包まれていました。急峻な斜面を縫うようにして激しく左右にうねり曲がる道を慎重に走行しながら、海抜400メートルほどのところにある目的地周辺を目指したのですが、そうしている間にもまた、車の運転に関わる思いが脳裏をよぎりました。たとえ自然環境やそれに伴う景観などが抜群ではあったとしても、こんな奥深い地形の高所に位置し、公共交通の便も悪い別荘地を利用するには車がないとどうにもならないだろうなあ……、近くにお店など皆無なようだから、たとえ一時的滞在で済ませるにしても、食料品等を調達するには高度差400メートルに近い急坂を往復しなければならないしなあ――ふとそんな想いが湧いてもきたのです。
 若い頃ならそんなことなど一切気にも掛けなかったことでしょうが、高齢の身ともなるとそうはいきません。慎重に運転しさえすればまたとない心身の活性トレーニングにもなると思う一方で、生活必需品ともいうべき運転免許証を返上した高齢者が老後をこの地で送るとすれば、どうなるのかなと考え込んだりもしました。そして、野菜や果物などの自給自足がある程度可能で、昔の村落生活に見られたように、在住者同士の相互扶助や自然な物々交換などが実践できたらいいのになあなどという、いささか時代錯誤気味な想いにも捉われたりしました。もしかしたら、胸中深くに眠り潜んでいた、貧しいけれど必ずしも不幸ではなかった幼少期の村落共同体での生活体験が甦ってきたのかもしれません。
 午後8時過ぎ、車は無事に目的地の別荘に到着しました。自宅を出て6時間余――有料道路の走行を交えた通常のドライブなら3時間もあればゆうに着く距離なのですが、意図的に遠回りや寄り道運転をしたためにその2倍もの時間を要してしまったような次第でした。ただ、四股を適度に動かし続け、無意識のうちに五感や思考力を十分機能させることができた所為か、快感こそあれ、疲れを感じるようなことは全くありませんでした。
 藝大卒建築家の大脇君自らが設計した広い庭つきの個性豊かな別荘は、急な斜面上に建っていてそこからの景観は抜群なのですが、夜も更けかけた時刻とあって、それを楽しむのは翌朝までお預けとなりました。その晩、別荘主の大脇君と小林浩志さんという先客に私を交えた3人はすっかり意気投合し、互いの体験談を交えながら話し込むことになりました。長年建築関係書籍の編集者を務め、また日本写真家協会所属のプロカメラマンでもある小林さんは、私同様、日本各地を車で廻るのが常の旅人だとのことでした。しかも、我々二人のその出遇いは文字通り「一期一会」とでも言うべきもので、何と小林さんは取材のため翌朝午前3時には伊豆を発って、宮城県牡鹿半島沖に浮かぶ金華山に向かうとのことでした。実際、翌日私が目覚めた時にはもう彼の姿はありませんでした。あとには私の自著贈呈の返礼として、彼の編集になる村田健史著「古事記」が残されていたのです。

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