(素人同士の社交将棋の対戦だったはずが)
東京シャーリングでのアルバイト時代にはこんな風変わりな出来事にも遭遇した。たまたま会社の仕事が早目に終了した日の宵などには、休憩室と更衣室とを兼ねた二階の大部屋では、正規・日雇い双方の工員らが入り交ってよく将棋を楽しんだりしていたものだった。私と夜警バイトの相棒とは共に子供の頃から将棋を嗜んでいたので、一応、アマチュア将棋の高段者程度の棋力はあった。一般的な将棋愛好者としてはまあまあ強いほうだったわけである。
我々夜警の仕事の本番は工員一同が皆退社してからだったので、そんな宵時などは何組もの工員らの将棋の対局を観戦したり、求められれば喜んで彼らの相手をしたりしていた。もちろん、真剣勝負の心意気で盤面に臨んだりしたら形勢が一方的になってしまいがちだったので、我々のほうはほどよい手抜き将棋をやったり、相手さえ構わなければ駒落ちで対局したりして、彼らを楽しませるように気配りすることも忘れなかった。
そんななかに、年の頃50代半ばくらいかと思われる坊主頭の日雇い工員の姿があった。どこか人の良さそうな彼は、工場主任をはじめとする正社員らとの対局もそつなくこなしていたし、日雇い工員仲間の相手なども無難に務めているようだった。私と直接対戦したことはなかったが、折々私が工員らと対戦するところを脇で眺めたりすることはよくあったし、私のほうもまた、対局中の彼の様子やその手筋のほどをしばしば傍観していたものだった。そんな私の見るかぎり、彼の将棋の腕はそこそこで、けっして強いほうだとは思われなかった。正社員などと対戦するとき、相手からその手筋の悪さを笑われたりすることがあっても少しも悪びれることなく、頭を掻きながらニコニコしていたものだった。
ところがある晩のことである。工員らがタイムカードを押しながら次々に退社していく姿を横目で確認しながら、私は夜警の相棒と将棋を一局指していた。すると、帰り支度を済ませたうえで我々の脇を通り過ぎかかったのが、ほかならぬ日雇い工員の彼だったのだ。その晩の彼の退出時刻はたまたま工員の中で最も遅かったようだった……いや、もしかしたら、我々二人が将棋に興じる様子にあらかじめ気づいていて、意図的にそうしたのかもしれなかったが、いずれにしろ私がそう思い直したのはずっとのちになってからのことだった。
その人物は何時もながらの愛想笑いを浮かべながら我々のそばに近づいてくると、突然、「ワシにも一番やらせてくれないかい?」と声を掛けてきた。いささか意外には思いながらも、我々は「もちろん、いいですよ」と答え、ほぼこちらの勝ちが決まりかけたその対戦をそこで切り上げた。そしてそれから、将棋盤を挟んで私が彼と向かい合うことになった。相手が思いもせぬ一言を吐いたのはその直後だった。彼は普段のそれとは明らかに異なるどこか意味ありげな笑みを浮かべながら「本気でやっていい?」と半ば呟くように言い放ったのだ。虚を突かれた私は、「もちろんです、どうぞ」と戸惑い応じるしかなかった。
私の前で駒を手にしたその日雇い工員の表情は何時になく真剣そのもので、その目の輝きは異様に鋭かった。駒を操る指先の動きはごく自然で、長年将棋に親しんできた者に特有の伸びやかさが感じられた。そして、私が何よりも驚いたのは、寸分の隙もないその見事な指し手の数々であった。アマチュアとしてはそれなりに強いつもりでいたこの身だが、正直なところ全く歯が立たなかった。その結果は文字通りの完敗であった。私に続いて相棒のほうもチャレンジしたのだが、これまた完膚なきまでの惨敗であった。
対戦が一段落したあとで、不思議に思った我々はその人物の素性を訊ねてみた。すると相手は秘められた自分の過去を正直に話してくれた。何と、彼は、元プロ棋士だったのである。プロの四段まで昇進し、将棋界で生計を立てるつもりでいたのだそうだが、若気の至りで起こした不祥事が原因で破門され、プロ棋士の道を断念せざるを得なくなったのだという。通常、将棋や囲碁の場合にはプロとアマとの間には歴然とした力量差があるから、たとえプロ崩れではあったとしても、四段まで昇進したそんな相手にアマチュアの我々が勝てるはずなどなかったのだった。
「工員たちを相手にするとき、何でわざわざ負けたりしていたんですか?」と問いかけてみた。すると、彼は、「だっていまは日雇い工員の身だろ。会社のお偉いさんや工員仲間の古株連中に下手に勝ったりしてたら、ロクなことにはならないからね。それにさあ、さりげなく負けて、上手に相手の気分を良くしてやることって結構難しいんだぞ。もしかしたらそれだってプロの業のうちかもしれないんだしな」と言って笑った。端的に言えば、彼はピエロを演じていたことになる。しかし、自らを衆人の笑い者に仕立ててその場を盛り上げるピエロという存在には、実は冷静沈着そのものの思考力・判断力や周辺の状況に対する鋭い観察力が不可欠なものとなる。
人が悪いにも程があるのだが、それまで彼は、折あるごとに我々二人の棋力や性格などをさりげなく分析したり観察したりしていたに違いない。そして、そのうえで、ピエロの仮面をかぶり続けることによって溜まる彼なりのストレスの捌け口を求めるために、計算づくのもと、正体がばれるのを承知で学生の我々にアプローチしてきたというわけだった。
(実に巧妙な大道将棋の舞台裏)
プロの将棋界を去った直後には、彼はアマチュア向けの将棋教室で教えたりもしたらしいが、一時はプロ棋士だったというプライドなどが原因で心理的に引きずるものもあり、そこでの仕事は長続きしなかったらしい。そのあと、彼は大道将棋の仕事にも足を踏み入れたという。最近は全く見かけなくなったが、大道将棋は私が学生だった頃には駅近くの繁華街の路上などでよく行われていた。盤上に詰将棋がセットされていて、挑戦者は一手幾らの規定料金を払ってチャレンジする。もし詰めば挑戦者は目出度くそれなりの賞金を貰えるが、詰まなければそこまでに要した手数分の料金を支払わされるというシステムだった。将棋盤の奥側に坐って詰将棋をセットし、巧みな口上を披露しながら挑戦者を誘い、相手の失敗を内心で嘲笑いながら金を稼ぐのが大道将棋士の手口だった。
盤上にセットされる詰将棋は素人目にはごく短い手数で詰みそうに見えるものばかりだったが、実は絶妙な受け手があって容易には詰まず、それを知らない素人挑戦者が勝つ確率はほぼゼロに等しかった。実際に詰むまでには20手,30手を要するものばかりだったからである。その折に、彼はヤクザ絡みの大道将棋界の裏話などもしてくれたが、興味深かった半面で、聞けば聞くほど驚き呆れるばかりの世界であることも知らされた。それにしても人間とは一筋縄ではいかないものである。それなりには世間慣れしているつもりでいた我々二人は、その晩もまた己の甘さを痛感させられることになったのだった。