時流遡航

《時流遡航261》日々諸事遊考 (21)(2021,09,01)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑫)
(自らの旅心形成の背景を回顧)
 旅というものに強い関心を抱くようになる背景は、人それぞれに異なっていますから、ここで一般論を述べるのはあまり意味のあることではありません。それゆえ、この場では、ほんの一例として、自分の成長過程におけるささやかな体験を綴ってみることにしようと思います。これまでも折あるごとにそのことをお伝えしてはきましたが、私の旅への憧れは、自分が甑島という鹿児島県の離島育ちであることと深く関係しています。
ごく幼い頃には、家の近くの田畑や里山、小川、浜辺の一帯を気ままに駆け廻って遊んでいました。現在とは異なり、当時は島内に自動車の類は一台も存在せず、あるのは昔風の人力荷車やリヤカー、牛車のみで、自転車などもごく少なく、舗装された道路は皆無でしたから、その点では幼児が独りで集落の周辺を自由に走り回っても安全ではありました。
集落内の誰もが互いに顔見知りであるほか、島内外間の日常的な人の出入りはごく限られたものであり、犯罪の類は皆無に近い状況でしたので、日中はもちろん、深夜でさえも、どの家々も戸を開けっ放しにして生活している有様でした。そんなわけですから、5~6才の年齢にもなると、昼夜を問わず独りで集落近辺を自由に出歩いても、誰からも咎められることはありませんでした。当時は島内のどの集落にも街灯などまずありませんでしたから、闇夜の晩などは集落内ではあっても真っ暗なところだらけでしたが、そんな環境の中で暮らすうちに暗闇に対する適応能力は自然と高まっていき、小学校高学年期にもなると、漆黒の闇の直中に立っても何の恐怖心も覚えなくなっていったものです。
 小学生時代も半ばを過ぎると、行動半径はずっと広がり、関心の対象は集落から離れた山奥の針葉・広葉樹林帯や、大小の岩々が立ち並ぶ磯浜、さらには険しい断崖の切り立つ文字通りの荒磯へと向かうようになっていきました。夏の夜などは、地元の古老の漁師の操る船に便乗してイカの夜釣りなどによく出向くようにもなりました。今思うと随分危なかしいこともやってのけてきたのですが、それら一連の経験を通して、自然の中で適切に振舞うための知恵や手段をいつしか身に付けてもいったのです。そして、小学校高学年期、さらには中学生時代を迎えると、島内での様々な事象や日々の生活に必要不可欠な仕事に大人並みの真剣さで立ち向かう一方で、その視線は島外へと向かうようになりました。
その理由のひとつは、幼い身なりには各種書籍や1日遅れで届く新聞などに目を通すようになり、本土には、自分の知らない様々なドラマに満ちた世界が広がっているらしいと感じるようになったからでした。また、NHKラジオ第1放送しか流れない、当時の村営有線ラジオを通して流れる子供番組などに耳を傾けながら、都会育ちの同年齢層の生徒らの知識の高さに驚かされ、憧れを抱いたりしたのも理由のひとつではありました。そして、確か小学校5年生のときだったかと思うのですが、担任の先生から教材用の日本地図帳を一冊もらい受けました。離島の小学校などにおいては、まだ生徒全員に対してのその種の地図帳の配付などなかった頃のことでしたので、多分その先生の特別な配慮によるものだったのでしょう。それを手にした私は、瞬時にしてそのなかに収録された日本各地の地形図や各市町村の名称、さらにはそれらの相対的な位置関係などに心惹かれ、夢中になって各ページを隅から隅までを眺め回したものでした。その結果、遠い見知らぬ土地やそこの民俗文化に対する胸中の関心は一段と高まり、さらには、ずっとのちの高校生時代に自然地理学や人文地理学が得意教科になる状況へと繋がっていきました。
 しかし、島内で送る厳しい自給自足生活のもとでは、たとえほんの僅かな時間であっても、九州本土に渡ってそこの諸状況を目にするなど、けっして容易なことではありませんでした。私が暮らした甑島の集落一帯の浜辺からは、晴天の早朝など、40キロ前後の海を挟んで本土の山並みが遠望されたものですが、本土と島を隔てるその海が太平洋にも比類する存在にも感じられてならなかったものです。なまじ本土の山影などが見えなければよかったのでしょうが、渡りたくても渡れない未知の大地の存在が水平線の向こうに浮かび上がって見えるだけに、遠い世界への尽きない思いは日々募りゆくばかりでした。
今すぐにも憧れの大地へと飛び立ちたい気持ちはあっても、その時が来るまではどうしても飛び立てない――それは、航空母艦上にあって、一気に飛び出すに十分な飛翔エネルギーが蓄積されるまで発進を抑制されるカタパルトシステム制御の艦載機みたいなものなのでした。おそらくはそのような状況を通して、先々重要なものとなる旅のエネルギーが、自らの心身の奥底にしっかりと溜め込まれるようになっていったのでしょう。島立ちを間近にした中学3年生時にもなると、満天の星空の中でもひときわ明るく瞬き輝く1等星のデネブやアンタレス、ヴェガ、アルタイル、リゲル、ペテルギウス、シリウスなどを眺めながら、「将来自分と出逢い結ばれることになるだろう人も、遠いどこかの地できっと同じ星々を眺めているに違いない」などいうロマンティックな想像に浸ったりもしたものです。
(日本の旅にこだわった理由は)
 幼少期から紆余曲折の人生行路を辿った挙句に、ささやかながらも一時期学術研究の世界に属しもし、やがて雑文ライターの世界へと転じたこの身ですが、学術界を辞するに際しては、その理由として、「今後は自分なりの旅がしてみたいから」ということを述べたりもしました。家族もある身ゆえに周囲からは半ば呆れられもしたのですが、私自身は本気なのでした。その中の「旅」という一語には、文字通りの旅のほかに、自分にとっては未体験の文筆表現の分野という新たな領域へと参入する行為をも含みとしていたのでした。実際の旅に関しては、いささかの海外渡航の経験を積んだりもしましたが、ある時期を境として、一貫して日本国内の旅に、それも取材と執筆を兼ねた車中泊による貧乏旅行に徹するようになりました。日本経済の発展と共に海外旅行が主な流れになっていくなかで、それとは真逆の選択をするようになっていったというわけですけれども……。
 非力な身ながらも文章類の執筆を主な仕事とするようになってからは、紀行文執筆にしろ、諸々の散文の記述にしろ、さらには短歌がらみの随想文の叙述にしろ、日本語によって自分なりの言葉を発しようとするときには、日本の風土の中で見聞したものを表現対象にするほうが自然であると感じるようになったのです。もちろん、日本という国は世界のごく一部には過ぎないのですけれども、世界の縮図、宇宙の縮図とでも言うべきものがこの国の中には必ず秘められているはずだと考えるようにもなりました。そして、それらを自分の目で的確に捉えることができないようなら、この身の能力は精々その程度のものに過ぎず、表現者としては失格だと悟るしかないという思いが湧き上がってもきたのでした。

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