時流遡航

《時流遡航257》日々諸事遊考 (17)(2021,07,01)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑧)
(老いた身の昔日の旅を顧みる)
 もう随分と昔のことですが、朝日新聞社の初期ウエッブコーナーにAIC(アサヒ・インターネット・キャスター)という風変わりな週刊コラム欄が設けられており、長年にわたってそこで「マセマティック放浪記」という記事を連載していたことがありました。北海道の宗谷岬から九州鹿児島の佐多岬、さらには沖縄本島にまで及ぶ国内各地へのドライブ探訪記がその主な内容でしたが、執筆に際しては、その拙稿を読み、同じ経路を辿ろうとする方もあろうかと考え、旅情を込めた筆致を心掛ける一方で、地理的な記述には極力正確を期したものです。
実際、その記事を読んで私のドライブ行程そのままの旅を実践なさった方々もあったようなので、不束な身としては大変嬉しくも思ったような次第でした。現在の状況は当時の記述内容とは異なるところも多々あろうかとは存じますが、ウエッブ上で「マセマティック放浪記」を検索してもらうと、今もそのバックナンバーが収録されている工学図書や南勢出版のコーナーに行き着きます。その中には「奥の脇道放浪記」という作品などもありますので、もしご関心でもおありのようならご笑覧ください。
 なお、これは決してお勧めできるような話ではないのですが、国内各地を取材しながら沖縄を含む全都道府県を自分の車で廻り終えた私は、さらに一風変わった旅の企画を思い立ちました。日本本土、すなわち、北海道、本州、四国、九州のおよその外郭を構成する海寄りの道のすべてを走破してみたいと考えたのです。
そこで、既に走ったことのある道はなるべく除くようにしながら、時間のある折を見はからっては未走破のところに出向き、その地を次々と走り廻ったような次第でした。著名な岬などについては極力その先端部までを往復するように心掛け、知床半島知床岬や下北半島尻屋崎のようにその先端部まで車道が通じていないところでは、車を降り、山道や遊歩道、磯伝いの魚道などを辿ってはその突端まで足を運んだりもしたものです。そして、そんな己の一連の愚行を「末端癖愛症」などと自称したりもしていました。
 複雑に海陸の入り組む各地のリアス式海岸地帯では随分と苦労もしましたが、中古車に寝泊まりしながらの徹底した貧乏旅行と車中での原稿執筆を重ねた末に、ともかくも本土の海岸沿線の全てを廻り終えたのでした。その目的成就を直前にして最後の走行地として残ったのは、秋田県の男鹿半島入道崎一帯と大分県の国東半島でしたが、長年掲げてきた最終目的達成のそのドライブはかなりハードなものとなりました。不良老年暴走族よろしく、東京から秋田男鹿半島までを二日がかりで往復したあと、直ちに大分の国東半島へと向かい、その長距離往復ドライブをなんとか無事に成し終えたのです。そして、それ以降は、折あるごとに自分のことを「贋伊能忠敬」などと自嘲したりもしています。 
(特産品の製造過程を辿る旅も)
 国産の伝統的な製品や産物などに着目し、それらが何処でどのようにして製造されているのかを追い求めてみるのも、一風変わった旅の手法かもしれません。それらの原材料にまで遡って調べてみたりすると、その過程を通して自然に様々な知識経験を積むことができるだけでなく、その人独自の旅の足跡が刻み残されもするからです。例えば各地の著名な漆器などに目を向け、その絵師や塗師がどのような自然環境や社会状況下で仕事をしているのかを調べると、次にその漆器の仕上げに使う漆や、器の原型となる木型類の生産地に関心が移っていきます。
そこで、漆や木型が何処でどのようにして造られているのかを知ろうとすると、大抵の場合は内陸奥地にある自然豊かな山野へと行き着くことになります。大きいものは高さ7~10メートルにも及ぶ漆は、秋の頃には周辺の他の樹々とともに見事な紅葉を見せ、見る者の目を楽しませてくれもします。その漆の木からは生漆のほか蝋、駆虫剤、咳き止め薬が採れるほか、漆彫に用いる乾漆材などが得られることを確認もできるでしょう。漆と聞くとかぶれのことだけを気にし、そこで思考停止してしまう人がほとんどでしょうが、ちょっとした好奇心と旅心を起こしさえすれば、その先には想定外の世界が秘められていたりもするのです。
 一方、漆器の命とも言うべきその原型「木型」を製作するのは木地師と呼ばれる職人たちです。一流の木地師というものは、長い時間をかけて深い山中の一本一本の樹々と真摯な心の対話を続けながら、何時どの段階でその樹木の命を自らの手に預かり、どの部分からどのような木型を造れば自然の恩恵を最大限に生かすことができるかを考え続けているものなのです。
ある時、たまたま訪ねた福島の山奥で星さんという木地師の方と出遇い、普通なら気付くことのない様々な樹木の観察の仕方や一帯の景観の楽しみ方を教わって、目から鱗が落ちる思いがしたものです。しかも、その方の好意でご自宅に案内され、暖かい囲炉裏を囲みながら一晩にわたって一流の木地師ならではの様々な興味深い話や苦労譚を伺うこともできました。その結果として、山旅における自らの視点の取り方も、それなりに大きく変わっていったものです。
 昨今では単なる伝統食品のひとつにしか思われていない鰹節などの場合でも、さりげなくその産地を訪ねてみさえすれば、その旅の行程に付随する様々な出遇いや発見に恵まれることでしょう。鹿児島県の枕崎、高知県の須崎、静岡県の焼津などがその著名な生産地ですが、実際に現地を旅してみることによって、いずれの場所もが良港であるほか、日照条件をはじめとする年間を通じての諸々の気象条件に恵まれていることもに気づかされます。それらの地域でしか食することのできない新鮮な鰹料理に舌鼓を打ったことなどが忘れ難い想い出となるに相違ありません。また、枕崎を訪ねる際には自然に桜島、鹿児島湾、指宿温泉、開聞岳などを目にすることになるでしょうし、須崎へと向かう折には、坂本龍馬ゆかりの桂浜に立寄るほか、少し足を延ばして、清流で名高い四万十川源流域などの景観に接してみるのもよいでしょう。焼津に足を運ぶときには、富士の遠景と砂丘の美しさで知られる三保の松原や、夕陽の美しい御前崎に立ち寄ってみるのも悪くないかもしれません。
 さらにまた、特定の動物や植物などに少しでも関心のある人なら、それらの動植物類の生態を見聞方々旅してみるのも一法でしょう。ただ、このケースにおいては、一般の人々の場合ならことさら学術的側面や専門的知識にこだわる必要はありません。好奇心に誘われるままに自然体で探訪の旅をすることにより、一連の諸事象に対する独自の視点が生まれたり、大自然への自己対応能力が高められたりするならば、それで十分だと言えるでしょう。喩えどのような不慮の事態との遭遇があろうとも、終始一貫して主体的に行動することこそが、心に残る旅をするに際しては何よりも重要なものとなるでしょう。

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