時流遡航

《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(過去の講演録より)――(6)(2017,04,01)

  (実に不可思議な人脳の機能とその柔軟性)
その高校生の信じ難い回復ぶりを目にした医者は、医学的にみてそんなことはあり得ないはずだと考えました。そこで再度脳の断層写真を撮影し詳細な検査をしてみましたが、やはり右脳は欠落したままだったのだそうです。再起できた理由を完璧に説明することは難しいのですが、左脳の一部が機能を代替しているに相違ないとのことなのです。シミュレート機能をもつ小脳も残っているわけですから、それもまた重要な役割を果しているのかもしれません。とにかく人間の脳とはそれほどに不思議なものなのです。
なお、この話には後日談があるんです。その生徒は元気になり復学したのですが、担任教師が、「君は事故で右脳を欠損してしまったそうだね。ここは受験校で勉強も大変だから、あまり無理はしなくてもいいよ」という不用意な一言を吐いたんだそうです。ところがその直後から、またその生徒の左半身がまったく動かなくなってしまい、元に戻すのに随分と時間を要したそうです。松本さんらが、「君の存在は学校や社会にとっても重要なんだよ」と切実に語りかけ続けたところ、ようやく元通りに身体が機能するようになったのだそうですが、それまでにまる3カ月も要したとのことでした。現在は普通の人と同じように日常生活を送っているそうですが、このような事態は本当に驚くべきことだと思います。
創造力の有無は創造力に関わる生来の神経細胞部分をどう使うかに関係しており、後天的な環境による影響が大きいと言われるようになっています。人間とは実に厄介な存在で、創造的、個性的であり過ぎると社会的協調性が、また社会的協調性があり過ぎると創造性や個性が失われてしまいます。両方を同時に実現できればよいのですが、脳回路の構造上からすると、相反するそれら二つの能力を共存させるのは至難の業であるようなのです。
脳の不思議さを伝える次のような話もあります。ある知的障害児がいたんですが、不思議にもその子は暦算の天才だったんです。他の部分では知的に遅れているのに、複雑な歴算だけがなぜできるんだろうと学者の間で話題になりました。そこで3年の歳月と多大な研究費をかけ、MITの教授と大学院生がプロジェクトチームを組織してその謎の解明に挑んだのですが、その目的を果たせず研究自体は失敗に終わったのだそうです。ただ研究に携わっていた院生の一人が、プロジェクトの終了前後になって突如暦算ができるようになったというのです。それを知った教授は喜んで、君なら歴算の瞬時遂行プロセスを明快に説明できるだろうと期待を寄せたのですが、当の院生は、なぜ自分に歴算ができるのかわからないというんです。結局、その謎は未解明のままに終わってしまったのだそうです。
まるで「信ずれば成る」という格言みたいな出来事ですが、人間の脳には、ある範囲内のことではあるでしょうけれど、何事かを出来るようになる必要があると強く意識すると、その思いになんとか対応しようと働く特殊なメカニズムが隠されているようなのです。要請に応じるために複雑なシナプス結合が新たに生じでもするのでしょうか。ちょっと神秘的な話にも思われるのですが、難題を処理する必要に迫られて、それが可能だと自己暗示をかけたりするのは、どうやらそれなりに意味のあることらしいのです。
例えば数学には閃きが必要だと言われますが、何にもしないで閃きは出てきません。閃きが出るまでには苦しい思考の連続が必要なんです。そうしているうちに多分小脳にまで及ぶチャレンジングな思考回路がしっかりと形成され、そうなって初めて無意識のうちに閃きが出てくるようになるのでしょう。「信ずれば成る」というと何やら宗教がかった響きがあって戸惑いをも覚えるのですが、まったく無意味なことではないのかもしれません。
(脳科学発展は社会問題絡みで)
 フレーム問題というものがありますが、それは人間の脳に似た仕組みを工学的に生み出そうとする際に必要な主要構造の策定のことです。ただ、それは容易な仕事ではありません。脳科学はまだ始まったばかりに過ぎないからです。未解明のことだらけで、先端研究に関わる脳科学者やコンピュータサイエンティストらは、人間の脳の持つ能力が如何に凄いか、その機能がいかに高度なものであるかということを痛感させられるばかりなのです。
脳の連想作用を活性化する重要キーとしての日記の効用をよく学生らに説くことがあります。私は長い日記は書かないのですが、若い頃から簡単な当用日記はつけてきました。それも毎日ではなく1週間に1度くらい日記帳を開いて重要な出来事のあった日の欄だけにごく短い書き込みをします。格好よく日記を書こうと思ったりすると、結局、美辞麗句のみを連ねたりしてろくなことにはなりません。だから連想を呼び起こすような短いキーワードだけを記入します。その言葉が糸口となり、何十年ものちに、すっかり忘れていた記憶がパッと甦ってくるのです。この歳になって昔の日記帳を開くと、「エェーッ、こんなことが……」と思うような遠い日の出来事が記憶の地層の奥底から甦ってきたりします。
だから学生らに向かって、「君たちは若いから、恋愛をはじめ、いろんなことがあるだろう。それを正直かつ詳細に書き残す必要はないが、自分だけにわかる短いキーワードは残しておいたほうがいい。私みたいな年齢になったときにそのキーワードを見ると忘れていた記憶が甦ってくるけど、もしそれがなかったら過去はもう空白だらけのものになってしまう。それじゃ折角の人生をドブに捨てるようなものだからね。日記の効用はそのへんにあると思うんだよ」と言ったりもするわけです。名文を書けとかいうことではなく、先々必要なときに昔のことを想い出すためにも、人間の脳の特異な連想性を生かす準備をしておいたほうがよいということなんですね。
資料のドーバミンの話は省略しますが、ドーバミンは人間の精神を高揚させる脳内物質で、麻薬などを投与したときも大量に放出されます。以前にある人から次のような話を聞いたことがあります。その人物は戦時中に特攻基地のあった鹿児島県の知覧で特攻に出撃する航空兵らの医療管理をしていたそうなんです。「一般の人々の間では、特攻兵らは厳しい精神訓練だけによって祖国のため天皇のために死んでいくように仕向けられたと思われているようですが、実はそれだけではなく、精神を高揚させるために麻薬を投与もしたものです」と、その人は話してくれました。実際その通りだったのでしょう。
 脳科学が進歩するのはよいのですが、社会全体の問題と絡めて常にその是非を判断していかねばならないでしょう。認知科学やコンピュータサイエンスの先端の研究者は、人間というものの凄さをあらためて痛感しているところなのです。認知科学のテーマは他にもいろいろあるのですが、今日のところは脳の研究とコンピュータの関わりについて、おおまかなところを話させていただきました。ご静聴どうもありがとうございました。

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