世界に誇るX線自由電子レーザー(XFEL)施設「SACLA(さくら)」の建設に際し、計画から完成に至る全工程の統括責任者を務めたのは、高エネルギー物理学を専門とする石川哲也理化学研究所播磨研究所長(写真)だった。スプリング8や筑波のフォトンファクトリーの建設においても中心的役割を果たした同所長は、「世界最高の機能をもつ研究基盤施設を造っておけば、斬新なアイディアをもつ研究者が世界中から集まり、次々に画期的な研究が生まれるはずだ」との信念のもと、SACLAの建設に携わってきたという。
石川所長によると、共に世界一の能力を誇るSACLAのようなXFEL施設とスプリング8のような放射光施設とが隣接して存在するのは日本だけだという。双方の施設間で各種の共同研究や相補的研究を行うことによって他国の追随を許さない業績を挙げることが期待されており、実際、そのために、両施設の近接地点に相互利用実験基盤が構築整備されつつある。また、SACLAの高性能線形加速器で加速された8ギガボルトの高品質電子ビームを既設のシンクロトロン棟を経てスプリング8の蓄積リングへ送り込むために、専用の電子ビーム輸送トンネルが特設される運びにもなった。
ある時点で世界に一つしかない施設というものは、それが一時的に世界最高の機能を誇っているとしても、やがては新たな施設に追い越される。しかし、世界一を誇る最先端施設が二つ以上同じ場所に併存していると、両施設を併用することによって画期的な最新研究の一大展開が可能になるばかりか、他国がそれに追随するのも容易ではなくなってくる。SACLAとスプリング8、それに演算速度世界一を達成したスパコン「京」を加えた三者の連携が可能な研究環境は、その意味においても世界を大きくリードするのに絶好なことこのうえない。石川所長は、「科学研究においても近年発展の著しい中国や韓国などの追い上げに対抗するには、複合技術をもって臨むしかない」と語っているが、その言葉には少なからぬ説得力があると言ってよいだろう。
宇宙の起源に迫る夢の研究も
SACLAの発振する強力なXFELを用いると、現段階では誰にも予測できないような新事象などが発現し、それらを契機にして新たな研究が進展する可能性もある。既成の手法では不可能だった極微な事物の構造の解明や超高速度で変化する現象の連続的な観察が進むばかりでなく、極めて微小な根源的物質の構造を破壊することによって新たな発見が生まれることなども期待されるのだ。将来的にXFELのエネルギーレベルをもう1桁か2桁高めることができれば、それ以上だと真空から電子と陽電子とが飛び出すことになる物理的限界値を超える高エネルギー状態に到達するので、「真空の破壊実験」さえもが可能になる。負電荷をもつ電子と正電荷をもつ陽電子とがぶつかって光を発して消滅する(真空化する)有名な物理的現象の逆プロセスを人工的に惹き起こそうという壮大な実験構想も描けるというわけだ。もしその狙いが実現すれば、「CP対称性の破れ」、すなわち、物質粒子と反物質粒子の数の非対称性こそが宇宙創成の要因であるとする理論の検証やその発展研究などにも繋がる新たな世界の扉を開くことになる。
なお、現在、XFELによる実践的研究が最も待ち望まれているのは、生命科学や生物学の分野である。なかでも特に期待が大きいのは、新薬の開発や医療技術の飛躍的向上に不可欠な「膜タンパク質」の研究だ。従来の電子顕微鏡技術やX線技術などを用いて細胞や細胞内小器官の内部を丸ごと観察するとなると並大抵のことではなかった。厚さ0.001mmを超える細胞類は電子顕微鏡では厚すぎて観察できす、X線を用いると逆にそれらは薄すぎてX線がそのまま透過してしまうからである。ましてや、細胞膜にあって細胞内外での物質のやりとりを担う「膜タンパク質」の観察をするなど至難の業にほかならなかった。
「膜タンパク質」の研究が急がれるのは、多くの医薬類がこのタンパク質に働きかけることにより効果を生じると考えられているからだ。その複雑な機能や特殊な構造の解明は、各種新医薬品の開発に直結しているのである。これまでもスプリング8の放射光で膜タンパク質の研究が行われてはきたが、その高輝度光をもってしても光の明るさや光質が不十分だったため、あらかじめ膜タンパク質を効率よく集めたうえ、それらを結晶化しなければならなかった。しかし、膜タンパクを結晶化するには極めて高度な技術を要するばかりか、その成功率も低く、思うような成果を上げるには程遠い状況だった。また、細胞の内部までを立体視するには、コンピュータ断層撮影同様に薄くスライスした細胞断面の映像を何枚も積み重ねて対応するしかなかった。しかもその場合には、スライスした断面の形状が崩れて一部が欠落するため、細胞内の立体的な様子が大まかに分かる程度であった。
だが、XFELはスプリング8の放射光の10億倍も明るく、しかもコヒーレントな光なので、X線透視カメラやレーザー・ホログラフィー同様の手法により、探査対象が単細胞であっても、ナノレベルの分解能で立体的に透視できる。また、細胞内部で生命活動を担うタンパク質の働きを連続的に観察することも可能だと期待されている。膜タンパク質を調べる際にも従来のような結晶化は不要で、自然なままの膜タンパク質分子が1個ありさえすればよい。ただし、その場合、得られる映像等はコンピュータ処理されたものとなる。
期待される材料科学への貢献
フェムト秒単位という驚異的に短いパルス長をもつSACLAのXFELを用いると、原子や分子の超高速な動きでさえも止まって見える。超極微な世界における物質の瞬間的変化を把握できるので、光合成プロセスの全容の連続的な観測が可能になるかもしれない。各種の化学反応の進行をスローモーション動画として再現できれば、これまでその変化の過程が観察不可能だった触媒反応のメカニズムが解明され、新触媒のデザインや合成なども実現する。微小な分子が連続的に結合し合成繊維になる過程の映像化などを通して、新素材開発への期待も高まろう。生物にはナノレベルで巧妙に機能する「微小マシン」が存在するが、XFELによってそのメカニズムを解明し、それを模倣することができれば、さまざまな実用的技術を生み出すことも可能になる。
また、極めて強力なXFELを浴びた物質が未知の性質を示す可能性もあり、それらの性質を応用することによって、現時点では合成不可能な新物質を創出できるようにもなるだろう。新たな燃料電池の開発や環境汚染物質の吸蔵・除去材料の生成などにもXFELが一役買うことは間違いなく、その意味でもSACLAに対する研究者の期待は大きい。