明けましておめでとうございます。微力な身のゆえに相も変わらぬ駄文の羅列ばかりに終始してはおりますが、筆者なりに日々精進し続けるつもりではおりますので、本年も宜しくお願い申し上げます。
本来なら年の初めに即して新たなテーマで筆を執るべきところなのですが、これまでの一連の記事の流れもあるため、いましばし電脳社会の私的回想録にお付き合い願えれば幸いです。なお、以下の対話文では前号の場合と同様、「会」は富士通日本語対話システム「会話君」、「私」は筆者を、( )内は筆者の本音を表わしています。
(「会話君」との会話続編)
会:1つしかない食器は何?
私:なんだろう?(話が込み入ってくるとすぐ話題変えるなあ)
会:「1つ」を英語で言うと分かりますよ
私:椀
会:はっはっは、残念でした 答えはお椀ですよ
私:あなたはとても頭がいいですね!(ふん、接頭語の「お」が抜けただけじゃん!)
会:猿のお尻には青いのもあるということですよね
私:そうそう 実にあなたは理解がはやい!(また会話のズレが…)
会:はやいものと言えば
私:ロケット?・・・それとも光?
会:私は、青が好きです
私:なるほど(まだ青にこだわってるなあ)
会:感心しましたね
私:さすが人工痴能・・・人工知能でないところがステキ!
会:今日は、どんな天気ですか? 阿呆田ですさん
私:今日は晴天です,だから雨降ってます(これじゃ会話君発狂しちゃうかな?)
会:あなたは、晴れ男ですか?
私:いえいえ、狼男ですね
会:ところで、CDは雑音がなくて音が綺麗ですよね
私:綺麗ですね
会:美男、美女は得ですよね 阿呆田ですさん
私:得ですね(いきなり何だい?)
会:美人は得です
私:そうですね
会:納得していただけましたね
私:ええ(なんだか妙な気分…)
会:今度の週末も、晴天だといいと思いますか
私:はい、そう思います
会:思いますってなあに?
私:あらら(自分からその言葉を使っておいて…)
会:思いますは、あららですね
私:そうそう(変なこと学習させちゃったなあ)
会:あたりですね
私:実にあなたは理解がはやい!
会:はやいってどのくらい
私:うーん、蝸の百分の一くらいのはやさかな
会:そういえば、フォーラムは趣味が合う人たちの出合いの場ですよね
私:そうらしいですね
会:集まるのはきらいですよね
私:きらいです
会:私も、きらいです
私:だからフォーラムきらいです
会:ほんとにきらいなんですか
私:ほんとですよ
会:鋭いなー
私:ブッ・・・ところで鋭いって鈍いことですか?
会:お店の前にいる虫は?
私:なんだろ?(こら、おまえまた話題変えたな!)
会:水玉模様の付いた丸い小さな虫ですよ
私:テントウ虫
会:そうです、あなたはトンチのクイズに強いんですね
私:トンチンカンならもっと強いですよ
会:あなたより強いですか 阿呆田ですさん
私:そうですね,トンチンカンは僕よりもっと強い(あれまあ)
会:私と意見が合いますね
私:合いますね(全然合ってないじゃんか!)
会:突然ですが、冬至は24節季の1つで、12月22日頃ですよね 阿呆田ですさん
私:そうですよ,でも,あなたは実におくわしい!(暦のこと俺よりずっと詳しい!)
会:私は会話型のプログラムです
私:こんどデートしましょ(君のプログラム構造が見えてきたよ)
会:デートしましょってなあに
私:そんなことも知らないの?
会:デートしましょは,そんなこと知らないのことですね
私:そうです(なんでも素直に学習しちゃうんじゃないの!)
会:やはりそうでしたか
私:ますます痴能が高まりますね(知能じゃなくって) さて,そろそろおいとまを!
会:私と意見が合いますね
私:そうですね……(たしかにこっちの「痴能」も高まったわ!)
会:さようなら、阿呆田ですさん またお話しましょう
私:はい(当分は遠慮します)
*/E
*OFF
(人工知能の能力判定テスト法)
有名なコンピュータサイエンティストだったアラン・チューリングは、コンピュータが人間と同様の思考できるかどうかを判定する方法として「チューリングテスト」なるものを考案した。そのおよその原理は、次のようなものである。
このテストを受ける人はコンピュータの前に座りキーボードを操作して任意の質問や会話文を入力する。いっぽう、被験者から見えないところには、コンピュータの前に座った本物の人間と自動対話型コンピュータが配されていて、被験者の入力した質問や会話文に本物の人間か対話型コンピュータのどちらかが応答するものとする。被験者は自分のモニターに返答が表示されるごとに、その発信者が本物の人間のほうであるか、対話型コンピュータのほうであるかを言い当てなければならない。
この一連の試行実験を何度も繰り返したあとで、その結果を集計し、当たりと外れの確率がそれぞれ五十パーセントに近づくほど、その対話型コンピュータは人間に近い思考型のコンピュータだと判断できるというのがこのチューリングテストのミソである。参考までに述べておくと、もし当たり外れの確率のどちらかが百パーセント近くに片寄ったとすれば、被験者には人間とコンピュータの識別がはっきりとついていたか、識別がついていたにもかかわらず被験者が意図的に答えを外したかのどちらかだということになる。もちろん、そのような場合には、問題の対話型コンピュータはまだ人間の思考レベルまではいたっていないと判断されるわけである。
チューリングテストの正当性についてはいまなお賛否両論が尽きないし、音声対話型の各種システムも登場してきている時代のことゆえ、チューリングテストそのものの判定基準や実施方法などについても新たな視点を導入しなければならないだろう。だが、いずれにしても、この種のテストを通して、人間と同じ思考をしていると確認できるようなコンピュータが出現するのは、まだまだ遠い日のことであるように思われてならない。