時流遡航

《時流遡航》エリザベス女王戴冠式と皇太子訪英(11)(2015,02,01)

 徳川夢声による実況収録の再生音を盗み聴いた藤倉が、吹き出しかけたのも当然だった。
「……えーっ……続いてまた、とても立派なお馬車がやってまいりましたが……えーっ……(一瞬絶句)……あーら不思議、なんとこれがまた、女王さまのお馬車でございまして……えーっ、するてーと、さきほど通りましたのは……(そこで、そばにいた誰かの
助け舟らしい低い囁き声が入る)……さよう!、さきほど通りましたのはクイーン・マザー、すなわち女王さまのお母様のお馬車でありまして……そのう、今度のが正真正銘の女王さまとそのお馬車でありまして……」
 こともあろうに、夢声は二度もエリザベス女王の馬車を通してしまったのだった。名調子どころか最早乱調そのもののその声を耳にしながら、藤倉は笑いを堪えるのがやっとだった。異国での馴れない収録作業の末に、自らの刀ばかりでなく相手の刀もボロボロになってしまっていたことを知った藤倉は、なんとも奇妙な安堵感に浸る有様だった。こうして、藤倉武蔵と徳川小次郎のロンドン版決闘は引き分け、それも、お互い死力を尽すことができないままの引き分けとなってしまったのだった。
 この日、BBCの石田達夫は、バッキンガム宮殿で女王一行のパレード到着を待っていた。冷たい風雨の日にもかかわらず、宮殿前には頭上に王冠を戴いた女王の晴れ姿を一目見ようと群衆が押し寄せ、パレードの到着を今や遅しと待ちかまえていた。そして、パレードを終えた女王の馬車が姿を現すと、宮殿前の広場一帯には歓呼の声が響き渡った。荘厳な造りの馬車から降り立った女王は、にこやかな微笑みを湛えながら群衆に向かって会釈し、一旦宮殿の中へと入った。そして、すぐにまたロイヤルファミリーを伴って宮殿のバルコニーにその華麗な姿を現した。一斉に湧き上がる大歓声はそんな女王を幾重にも包み込み、女王もまた吹きつける冷たい風雨などまるで意に介しなどしないかのように、にこやかな微笑みを絶やすことなく群衆の歓呼に応え続けた。
 だが、そんな状況下あって放送記者としてバッキンガム宮殿内の記者席で取材にあたっていた石田は、一瞬、エリザベス女王のいかにも人間らしい一面を垣間見ることになった。長時間宮殿外のバルコニーに上り、大観衆に向かって終始絶えることのない笑みを浮かべて対応していた女王が、休憩をとるため一時的に宮殿内へと引き下がった。そしてその直後のこと、女王はもうそれ以上寒さに堪えられないとでも言いたげな様子で、王冠の下の顔を歪め引きつらせながら、冷え切った身体を少しでも温めようと自らの腕をその掌でパシンパシンと何度も叩いたのだった。その意外な姿は、常に美しい微笑みを絶やすことなく国民に接し続けているどこか超人的な風貌を湛えた女王でさえも、生身の人間にほかならいことを何よりもよく物語るものであった。
偶々そんな女王の姿を目にすることになった石田だったが、けっしてそれを不遜な行為だと感じるようなことはなかった。むしろ、微笑ましく、また、なんとなく安らかな気分になりさえもした。もちろん、エリザベス女王はほどなく元通りのこやかな笑顔にもどると、再び群衆の面前へと進み出ていったのだが、石田にしてみれば、王族というものの背負うひとからならぬ責務の重さといものを再認識させられるような思いであった。
(外大助教授小川芳男の想い出)
 観覧席確保のために当時の邦貨で三万円ほどもの大枚を支払った外大助教授小川芳男のほうは、ともかくも戴冠式を終えた女王一行のパレードを目にすることができた。悪天候の中でのこととあっては、世紀のパレード観覧といえどもその感動のほどが半減してしまいかねない状況だったが、それでも苦労してその場に臨むことができただけのことはあった。そもそも、エリザベス女王の戴冠式当日の晴れ姿を直接目にすることができた日本人はごく少数にすぎなかったから、実際の状況を眼前にした感動が如何ほどのものであったにしても、高額な観覧席チケット料の一件を含む戴冠式事情の一部始終が、末代までの語り草になるだろうことは間違いなかった。
 そこは学者魂旺盛な小川のこと、パレードを見物しながらも、周囲の英国人たちに女王についての様々な質問をぶつけたりもした。たとえば、立ち聞きしたその会話の内容から比較的急進的な印象を受けた若い女性に、女王を美しいと思うかと訊いてみると、彼女は「Not at all(全然そうは思わないわ)」という率直な答えを返してきた。もっとも、そんな彼女はというと、お世辞にも美しいなどとはいえない女性だった。そこで、小川はさらに、「どうしてこんな大騒ぎをするんだろう?」という、ちょっと意地悪な質問をしてみた。彼自身が遥々遠い日本からやってきたうえに、邦貨で三万円もの観覧席料を払ってのパレード見物をしていることなど棚に上げての問いかけだった。すると彼女は「Because she had done nothing wrong.(なぜって、女王は何も間違ったことなんかしていないからじゃないかしら)」と答え、そのあと、もしも悪行で名高い女王だったら我々イギリス国民は断固として弾劾するだろうという意味の言葉を吐いた。
 元来、英国人というものは王室の存在を政治に絡めて議論することを嫌うのが常だった。それは、エリザベス二世を含め英王室は政治の中心などではなく、英国民のハートの中心なのだと考えられているからのようでもあった。だから、戴冠式の異常なほどの馬鹿騒ぎに対しても、些か行き過ぎのところはあるけれども、まあ、その点はどこの国でも同じだろうと笑って済ませられるということのようでもあった。小川が質問したその女性の返答の真意がどことなく掴みづらかったのも、そう考えてみれば十分納得のいくような気がしてならなかった。そして、小川は、ともすると国内政治と強く結びつけて考えられがちな日本の皇室の存在との少なからぬ違いを、つくづく痛感せざるをえなかった。
 昭和天皇の名代としてエリザベス女王の戴冠式に列席し、無事にその大役を務め終えた皇太子は、一九五三年六月十日に英国を離れた。四十五日間の短い滞在ではあったが、その間に起こった様々な出来事が、若い皇太子にとって先々掛け替えのない想い出となるであろうことを、石田は心底祈念せずにはおられなかった。のちに石田は「戴冠式時の英国での四十五日間は、あのお方の人生の中で最も自由な時間だったのではなかったか・・・・・・」とも回想している。それからほどなく徳川夢声夫妻も小川芳男も帰国の途についた。NHKから派遣された藤倉修一も、戴冠式が終わり、皇太子が離英したことによりその大役を無事終えたが、彼の場合はBBC日本語部に翌年五月まで勤務するという条件付きの渡英だったので、石田同様ロンドンに滞在し続けることになった。

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