時流遡航

《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(筆者講演録より)――(3)(2017,02,15)

  (コンピュータとしての小脳機能が明らかに)
 伊藤正男さんは大変な苦労の末に小脳の問題を解明したのですが、その業績で国際的にも高く評価されノーベル賞候補にものぼりました。意外にも小脳の情報伝達メカニズムは研究者の予想に全く反するものだったのです。テレビ画像の受信と同様に、情報伝達においては電波を増幅するという考え方に立つのが普通です。ゆえに研究者は刺激を与えればそれが増幅され信号として伝わると考えたのですが、なんと小脳の情報伝達メカニズムは全く逆だったのです。ある刺激が入ってくるとそれを増幅するのではなくその刺激の強さを抑制するんです。刺激量を逆に少なくし、その減少度の違いによって情報を伝達していることが明かされたのです。それはコロンブスの卵の話にも似た大発見なのでした。
こうして小脳というものが生物学的なコンピュータであることが解明され、神経細胞内を伝わる情報信号速度の違いによって情報蓄積や情報処理ができるということがわかってくると、小脳に存在する数千万本の神経繊維群も一躍脚光を浴びるようになりました。伊藤仮説によると、小脳は単に運動機能を司るばかりでなく、大脳の機能をシミュレートしたり、脳のフィードバック機能や試行錯誤学習を司る重要な役割を担ったりしているというのです。小脳から大脳に数千万本の神経繊維が走っているのもその有力な証拠のひとつだと言われています。これはまだ完全に証明されたわけではないのですが、非常に重要な仮説として、世界中の研究者らが大きな関心をよせるようになってきています。
長期記憶のうち「記述的な記憶」を司る大脳には大量の学習情報が蓄積されるわけですが、そのゲートは海馬と呼ばれる器官で、ギリシャ神話のネプチューンが乗る海馬という動物にその器官の形状が似ているのでその名がつけられました。そのメカニズムはすでに解明済みで、海馬を特に強く刺激する情報が大脳へと伝達されそこに蓄積されるのです。
 コンピュータのハードディスクなどのような記憶装置の記録はその中の電磁気信号を消去すると失われてしまうのですが、人間の記憶装置、生物学的な記憶装置の場合には、いったん取り込まれた情報はその記憶細胞や記憶回路が死滅するまで消えることはないのです。だからこそ脳細胞は使い切れないほどの数があるのだろうと推定されています。死ぬまで記憶が消えないので、地層のようにどんどん下層へと押し詰められて沈んでいくわけです。だから昔の記憶を忘れるということは、記憶が消えたわけではなく、記憶を表層までうまく引き出せないのだということになります。古い記憶は化石状態になって脳の下層に眠っているらしいのです。上層の比較的新しい記憶情報は直接に情報を処理する演算装置の海馬と直結しており、日常生活の多くはその上層部の記憶層に依存しているのです。
また、各記憶層は連想を惹き起す連合的構造を持つことも明らかになってきました。単に記憶の地層として存在するのみでなく、緊急時に働く連想ルートが存在するらしいのです。すっかり忘れていたことを何かの拍子に思い出すのはよくあることですが、そういう連想を惹き起す回路がニューラルネットワークには元々備わっているらしいのです。
すでに述べましたように、大脳はコンピュータでいうとハードディスクや付属の各種メモリ装置に対応しています。また海馬は演算装置(CPU)、すなわち様々な演算処理を直接行う部分に相当しています。このような脳の構造の中に蓄積されるデータ群が、神経細胞の結合という形で残されるわけですが、これが個性とか、人格とかいったもの決定しているのではないかと考えられています。
(過去の記憶は層を成して眠る)
生命が絶対的な危機に晒さらされたときなどに走馬灯のように過去の想い出が脳裏を廻るという話がありますよね。実際に死刑を執行されながら助かった人とか、瀕死の状況の中から生還した人などを対象に調査をしてみると、そういう体験をした人がかなりの確率で存在するそうです。ごく短時間に幼い頃から現在に至るまでの記憶がスローモーション映画のように甦ってくるというその現象はいったい何を意味するのでしょう。この現象については、認知学者が興味深い解釈を行っています。そのひとつは、人間というものは、避けがたい生命の危機などに瀕したとき、自己防衛のためにその恐怖を和らげるように働く緩衝メカニズムを生来具備しているのではないかというものです。記憶の地層の最深部には普通は開かない特殊な栓みたいなものがあって、もう駄目だというようなときや、病気などで現実に死ぬ瞬間を迎えたときなどに突然この栓が抜けて、記憶の地層の底で眠っていた情報がダァーッと流れ出るのではないか、というわけです。実に面白い話ですね。
我われが通常意識している過去の情報は長期記憶のごく一部で、大部分が潜在化してしまっているのは事実です。氷山と一緒で、一部だけが「意識の海面」の上に姿を見せていて、大半は「意識の海面下」で眠ってしまっているというわけです。そうだとすれば、将来的には潜在部分を容易に引き出す方法が開発されるかもしれません。そうなれば、すっかり忘れ去った青春期の想い出などを鮮明に呼び覚ますこともできるようになるでしょう。これはもう、ある種のバーチャルリアリティの世界ですよね。ただ、この話にはある種の怖さもあります。もしも脳の情報のコントロールが可能になれば、実際には存在しない「非リアリティな世界」を幼いときから見せ続け、いっさい現実世界を見せないようにすることだってできるのです。そうすると、その人間にとっては、自分が見せられている非リアリティな世界が現実の世界だということになってしまいます。SF的な世界の話に思われるかもしれませんが、そんなことだって近い将来起こりかねないわけなのです。
 よく脳は非線形型バイオコンピュータだと言われます。非線形型とは、「一定の方向性を持つ論理では説明できないような構造を具えているもの」というくらいの意味を持つと考えてもらえばよいでしょう。数学的には線形とはある要素の集団の特性を平均すると一定の規則性を示すようなケースを意味し、逆に、非線形とはそういった一定の規則性だけでは単純に処理できないような特性をもつものを意味します。
情報処理というと、俗にいう要素還元的方法、なかでも典型的なデジタル思考を想い浮かべますよね。デジタル的手法では、事象の全体を細分化して個々の断片の特性を詳細に調べ、再度それらを組み合わせることによって全体像を浮上させます。だがそれにはやはり限界が伴います。人脳の各部は個々の機能を持つと同時に、他の部分との間で現在の科学技術では解明不能な、総合的で複雑に交錯した情報の交換を行っています。その回路は不規則で立体的な網の目構造をしており、いわゆる非線形のバイオコンピュータとなっているのです。したがって、部分を詳細に研究しその結果を集積すれば全体像が解明されるというわけにはいきません。

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