時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――その実景探訪(20)(2019,07,15)

(「絶対的客観性をもつ歴史」の存否を考えてみる )
完璧なノンフィクション作品にも思われがちな松尾芭蕉自筆の紀行文「奥の細道」の場合でさえも、その実は多分にフィクション性、すなわち、事実とは異なる芭蕉独自の創作部分が含まれています。そのことについては、生前に偶々ご縁を賜りご教示を仰いだ尾形功、ドナルド・キーン両先生らの研究においても明らかにされている通りです。
 まして、他者がある人物の伝記などを執筆するとなると、極力事実に即したかたちで客観的にその人物の足跡を記述しようと思ったとしても、必ずや大きな壁に突き当たってしまうことでしょう。たとえ直接的な取材が可能であったとしても、相手の過去の記憶が曖昧だったり、本当のことを話してくれなかったり、個々の事実の関係に一貫性がなかったりしたら、さらには、事実ではあったとしてもその提示法が不適切だったり、演出や脚色らしきものが含まれていたりしたら、その取材内容をもとに客観的な人物伝を仕上げることは容易ではありません。執筆者側はどの程度まで妥協するかの厳しい判断を迫られますし、一方では、執筆者自身の先入観や偏見、深読みなどが事実を大きく歪め、伝記全体に負の影響をもたらしてしまうことだって起こり得るでしょう。語られた諸体験やそれらの経緯の背景の確認取材に加えて、時代的考証なども不可欠になってくるかもしれません。
 実際、執筆者はそのような過程を経たうえで対象人物の伝記作品の作成に取かかるわけですが、極力ノンフィクションに近い伝記にしたいと思ったとしても、のちのちそれを読む人々にとって魅力的で有意性の高い内容のものとするためには、最低限の補足的創作や文体の技巧的な演出、そしてまた魅力的な文章構成などを行わざるを得ないのです。そう考えてみますと、完全無欠な客観性を具え持つ伝記作品などもともと存在しようがありません。筆者自身、かつて、石田達夫という稀代の人物を10年余にわたって直接的に徹底取材し、そのノンフィクション的伝記作品を、当時存在した「アサヒ・インターネット・キャスター」という朝日新聞のウエッブ欄で3年半ほどにわたって連載執筆したことがあります。400字詰め原稿用紙換算で1800枚にも及ぶその手稿はのちに「ある奇人の生涯」(木耳社)として書籍化もされましたが、その苦労のほどたるや並大抵のものではありませんでした。主人公であるその人物の活躍の舞台となった世界各地の幾つかの都市の情況を裏付け取材するだけでも気の遠くなるような大作業だったからなのです。
 実在した人物についての同じ伝記作品であっても、歴史小説や伝記小説的なものであるならば、その執筆者には、事実とは大きく異なる想像や創作の産物とも言える加筆、さらには諸々のレトリックや演出などのフィクション性の導入が許されることになります。もちろん、それなりの基礎資料の読み込みや事実の検証は必要ですけれども、ノンフィクション的な伝記に比べると、執筆者が自らの主観を大幅に持ち込み、主体的に筆を進めることができますから、その点では楽な一面もあるかもしれません。しかし、その場合は、読者を惹き込む華麗な文体や高度な物語構成のテクニックなどが重要かつ不可欠な要素となってきますから、それはそれでまた容易なことではありません。ただ、小説としての要素を強く持ち具える優れた伝記作品であればあるほどに、そこに描かれている諸々の内容すべてが紛れもない事実あり史実であると読者に信じ込ませるだけの強い力をもっていますから、話は何とも厄介なのです。
 18年に「西郷どん」という大河ドラマがNHKで放映されましたが、筆者を含めた高齢の薩摩育ちの者たちの多くは、半ば苦笑しながらその展開を眺めていたものです。あらかじめ目にしていた原作も、さらにはそれを一段と脚色演出して構成されたそのドラマも、自分たちが知る史実(もちろん、それでさえもどこまで事実かは定かでありません)とはまるで異なるところが多々あったからなのですが、だからと言ってそれを責めても仕方のないことでしょう。歴史上の人物に関する諸々の伝記や資料に基づく歴史小説・歴史ドラマというものは、本来そのようなものだからです。
(歴史に一定の物語性は不可避)
 個人の伝記を綴り残す場合でもそのような有様なのですから、有名無名の人々が無数に関わり、そしてまた折々の社会事象や自然現象が複雑に絡まるある時代の歴史を叙述するとなると、そこに虚々実々の内容と展開が盛り込まれるのは避け難いことでしょう。ある時代に存在した人物がその時代の歴史を述べ伝えるならまだよいのですが、たとえそれがどんなに優れた歴史学者であったとしても、実際にその時代を生きたことのない人物が直接的には無縁な時代の歴史を綴るとなると、話は何とも厄介です。当然の成り行きとして、過ぎ去った時代の関係諸文献や諸資料を調べ、それらの信憑性を検証し、そのうえで自らの見解と判断に基づきその時代の歴史を記述しなければなりません。しかし、その場合、元の文献・資料そのものからしてそれらがどこまで史実を正確に述べ伝えているものなのか、どの程度まで信頼に値するものなのか、さらには自らの考証やそれに基づく判断がどこまで的確なものなのかなどについては、何ひとつ絶対的な保証はありません。
ましてや日本史などのように一国の起源からその歴史家自らが存在する時代までの一貫した国史を記述するとなると、それはもう、ひとつの物語、すなわち、数知れぬ人々の想像力や創造力の交錯を裏に秘めた、少なからず超現実的一面をもつものとならざるを得ないことでしょう。「客観的な歴史」などという表現が用いられることがよくありますが、そこで意味される客観性とは何かを真剣に考えていくと、正直なところよく分からなくなってきてしまいます。自然科学の世界の法則などに見るような客観性なら、「人間という存在の主観性などには関係なく」という風に一応は解釈しておけるかもしれません。敢えて「一応」と記したのは、以前にも述べましたように、自然界のある現象に法則があると感じるか否かは、実は認識する主体(通常は人間)の心的機能と深く関係しているとも考えられるからです。ウェルナー・ハイゼンベルクを創始者とする量子力学の世界などは、ある意味でそのような立場のうえに成立しているとも言えるのです。純粋なる客観性というものは自然科学の世界においてさえも窮極的な意味では存在していないのかもしれません。
 そう考えてみますと、無数の人間がその有限な精神と肉体を果てしなく繋ぎ積み重ねながら構築してきた歴史なるものに絶対的客観性を求めることなど、所詮無意味な話なのでしょう。白か黒かの二者択一の視点に立って歴史というものを見るのではなく、灰色の部分が多々あること、換言すればそれは多分に物語性を帯同せざるをえない宿命をもつものであることを私たちは自覚しておくべきなのかもしれません。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.