時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――その実景探訪(22)(2019,08,15)

(人間の精神的エネルギーの流れを支えるのは歴史)
 我われ人類の存在様態から類推してみますと、人間という生命体は、過去と未来をその生態から完全に切除放棄し、現在という名の「この瞬間」のみに立脚することによって生き続けることはできそうにありません。それが清らかなものであろうとも、また濁ったものであろうとも、物理化学的エネルギーの流れと、それによって副次的に生みもたらされる精神的エネルギーの流れとの双方に支えられながら、我われ人間は営々と命を紡ぎ繋いでいるからです。そして興味深くかつ不可思議なことには、それらのエネルギーの流れは、清らかに澄みきったものだけでもいけないし、その逆に黒くドロドロに濁りきったものだけでもいけないようなのです。「水清ければ魚棲まず」とは昔から伝わる有名な諺ですが、この際、それに「されど、水黒くても魚棲まず」という補足文を加えて全体的なバランスをとるようにしたほうがよいのかもしれません。
もっとも、現実の河川を観察してみますと、源流地一帯の清流にも魚は棲息していますし、悪臭漂う工場廃液や様々な汚物などでドス黒く染まった下流域でも逞しく生き抜く魚はいるものです。そうしてみると、ある時は我われの体内を潤し流れ、またある時は我われを外側から大きく包み流れるそれらエネルギーの本質も本来そのようなものなのでしょう。
 そして、我われを支える物理化学的エネルギーの流れと精神的エネルギーの流れのうち、後者のエネルギー流の主要部を構成するのがほかならぬ「歴史」ではあるのです。もちろん、この場合の「歴史」という言葉には、自分史、家族史、実生活史、所属社会史などから、時代史、国史、世界史さらには地質年代史、地球史、宇宙史などに至るまでの諸々の歴史が含まれることになります。当然のことなのですが、それら各種の歴史なるものには、それなりに事実に即した内容もあれば推理や想像の産物なる箇所もあり、また何らかの理由があって意図的に創造された部分も含まれていたりします。より正確な言い方をすれば、それらが混在し複雑に交錯しているということになるのでしょう。そして我われ個々の人間は、自らの置かれている状況や必要性に応じてどの歴史を選択し、どの程度までそれらに依存しながら自己存在の意義づけをおこなっていくべきかを模索しなければなりません。 
ただ、その場合においては、当面の自分の精神を支えるために選んだ歴史が真実のものであるかどうか、その内容の詳細に深く通じているかどうか、さらにはそれが他の歴史と並立し得るものなのかどうかなどは二義的な問題に過ぎなくなってしまうことがほとんどなのです。結果的に、それが自らを支えるための強力な精神的エネルギー流の構成要素となってくれさえすれば十分だと考えているからで、ほとんどの人はその内容を深く検証したり考察したりすることはありません。そして、そんな人間のもつ宿命的な依存性こそが、巧みな物語性を秘めた意図的な歴史観によってやすやすと洗脳され、その流れに吸収一体化されてしまう原因なのかもしれません。
 端的に言えば、ごく一部の歴史分野の専門研究者を除いて、人間というものは、事実や真実そのものよりは自己存在を支えてくれる根拠を歴史に求めようとする傾向を有しています。また、これまでも述べてきましたように、専門家にとってさえも過去の歴史的事象全ての真否やその実相を完璧に検証することなど不可能なのです。裏を返せば、絶対的な存在ではないゆえにこそ、歴史の研究には、古い知見を覆す新事実の発見や、視座の変換に伴う認識の相違に起因する意外な展開との遭遇が生じたりもするのです。歴史を主題にした文学作品やドラマが好まれるのもそのような背景があってのことなのでしょう。歴史の流れを必然的な因果関係に基づいて展望するか、諸々の偶然性の介入やそれによる予見不可能な展開に重点を置いて展望するかによっても、個々人の史観は大きく異なってきます。学校教育などで用いられる歴史教科書の記述は、一般的には因果律に基づく必然的な流れに沿うもののように編集されており、そのような情況自体はある程度やむを得ないことなのですが、その背後に、大きな影響力を持った数々の偶然性が秘め隠されていることだけは忘れてはならないでしょう。歴史観の相違に起因する国家間の不毛な対立なども、そのような観点から眺めると何らかの解決の糸口くらいは見えてくるかもしれません。
(歴史の研究にみるふたつの傾向)
 歴史の研究者や編纂者の仕事を概観する場合、そこには異なるふたつの大きな傾向が見られるような気がしてなりません。もちろん、少なからず例外もありますことゆえ、これはあくまで筆者自身のごく私的な感想に過ぎないのではありますけれども……。
そのひとつは、歴史の研究を通して獲得した過去の出来事や伝承、新たに発見した事実の類などを極力客観的視座に立ちながら淡々と提示してみせる仕事のありかたです。諸事象間に無理やり因果関係を導入したり、敢えてそれらに意味付けをしたりせず、主観性をなるべく抑制してなされる仕事などがそれに相当しています。そこに提示された諸々の事案をどう解釈し、歴史という大河の流れのなかにそれらをどう組み込むかの判断は、後世の研究者を含めた他者に委ねようとの思いが込められているとも言えるのでしょう。  
そしてもうひとつは、多様かつ多岐にわたる歴史的事象の数々を極力因果律の糸で紡ぎ繋ぐことによって「歴史という名の物語」を構築し、それを広く世に提示して人々を啓蒙する仕事です。そこには相当量の主観的解釈や、ことによったらまったくの創作的要素が導入されることにもなりますが、我われ人間の存在に不可欠な精神的エネルギー流を支え具現化してくれるものとしては、こちらのほうが理解しやすく、また馴染みやすくもあるかもしれません。物語性のある歴史の展開は記憶も容易で伝承もしやすいからなのです。
 いずれにしろ、それらふたつの傾向は相補的なものであり、どちらか一方だけが存在すればよいというようなものではありません。それはまた、一時代昔に一世を風靡した我が国の二人の民俗学者の立場にも似通っているようです。「遠野物語」などで知られる柳田國男は日本各地の個々の伝承や、自らが掘り起こした過去の様々な文化的・民俗的事象を多面的に記述し、それらをどう解釈しそこから何を学ぶかは自身が提示する資料に接する人々の判断に委ねました。喩えるなら、多面体の各面の様相を提示し、その多面体の空間的実相がどのようなものであるかを読み取るのは人々の思考や想像に任せたわけなのです。 
その一方で、歌人釈超空としても名高いもう一人の民俗学者折口信夫のほうは、自らが得た民俗学や歴史学上の諸事象や諸情報を因果の糸で紡ぎ繋ぎ、論理的かつ体系的に纏めあげ、そこから浮かび上がる民俗事象像を人々に訴えかけようとしました。彼は、各面の様相を基に自らの思い描く多面体像を構築し、それを人々に提示しようとしたわけなのです。

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