パソコン通信初期の時代の会員平均年齢は高かったけれども、その分個性豊かで好奇心旺盛な各界の著名人などが結構顔を出していて、チャットコーナーや掲示板、名物フォーラムなどは多士済々の状況にあった。その当時はどのコーナーもハンドルネームかIDだけを使った匿名での参加が可能だったから、ほとんどの者が本名や職業経歴をいっさい公開することなくパソコン通信を楽しんでいたものだ。だが、ネット上で長期にわたって親しく交信を続けていると、会話や書き込みの端々から相手がただ者ではないことが徐々に明らかになってきたりして、驚かされることもしばしばであった。
(著名な人物との交流も可能に)
私がstrangerというハンドルネームを用いて盛んにネットに出没していた頃は、チャットやメールなどを通じて相手が魅力的でしかも十分信頼に値する人物であるとわかると、本名や職業を相互に伝え合い、直接に対面して親交を結び合うこともすくなくなかった。日常的な生活ルートを通じては絶対に出逢うことなどできない人々との直接的な対話の場を難なくつくりだしてくれる通信ネットの威力に、いい歳をした中高年の初期ネットマニアたちはおおいに感動したものである。
まだ多くの人々はコンピュータ通信というものに無関心であり、冷ややかでもあったのだが、私自身はこの時代すでにネットの将来性を確信するようになっていた。スマートフォーンをはじめとするiモード携帯電話システムの普及によって、世界中の多数の見知らぬ相手とも交信を楽しめるようになった現在盛況中のソーシャル・ネットワーク・サービスは、初期のパソコン通信の異様な熱気の延長線上に位置していると言ってよい。一昔前のあの不思議な感動を思えば、現代の若者たちがネットの世界に熱中するも当然のことだと考えられる。
今更実名を列挙するわけにもいかないが、当時のNIFTY-Serveのチャットコーナーや掲示板、フォーラムなどの常連メンバーの中には、当時からその世界の著名人だったり、のちに著名な人物になったりした、学術界、芸術界、文学界、法曹界、放送出版界、政界、実業界などのスペシャリストが多数存在していた。たとえば作家ひとつを例にとっても、その時すでに直木賞作家や芥川賞作家だった者、ほどなくそれらの賞を受賞した者などを合わせると数人ほどの名を挙げることができる。あえて紹介させてもらうならば、当時はまだ作家としてスタートしたばかりだったが、その後直木賞を受賞し、現在では押しも押されもせぬ流行作家になっている乃南アサさんなどもそんな常連の一人だった。乃南さんとは今も親交を保っている。また、『ニューロベイビー』という当時としては斬新な対話型のコンピュータグラフィック技術研究を進めていた土佐尚子武蔵野美術大学非常勤講師なども、ユニークな存在だった。ユー・チューブの多角的な利用技術の開発でも知られる土佐尚子さんは、現在では京都大学大学院教授となっている。
それなりの専門知識を持つ上に人一倍好奇心も遊び心も旺盛な連中が寄り集まってチャットを繰り広げていたわけだから、壮絶なバトルあり、底抜けのジョークあり、知的な悪ふざけあり、洒落た口説きあり、様々な人生相談あり、さらには高談ありと、それはそれは賑やかこのうえないものであった。現在大流行中のLINEなどによる集団チャットの実態がどのようになっているのか確認してはいないが、もしかしたら当時のチャットのほうが熱気と知的雰囲気に溢れ返っていたかもしれない。まだ画像が送信できず文字画面だけで交信しなければならない状況ではあったが、その分余計に想像力が喚起されるという一面もあった。そのため、画面の文字だけを眺めていると相手が絶世の美女や稀代の美男子に見えてきてしまう「チャット美人症候群」や「チャットハンサム症候群」に陥る者なども少なくなかったようである。
そんな珍妙な症候群に陥ったパソコン通信マニアらの悲喜交々な体験談などは、いまだに記憶に新しい。チャットコーナーやフォーラム、掲示板などで巡り逢った異性に対し恋心を抱くようになり、忙しい仕事の合間を縫って連日のように言葉のかぎりを尽したメールを書き送り、ようやくのことで相手とのオフライン(オンラインをもじった言葉で、直接交信相手に会うことを意味し、一時期、パソコン通信仲間で大流行していた)の約束を取りつける。そして、高鳴る胸を抑えながら、いざ約束の待ち合わせの場に臨んでみると、あれほどに期待と確信を込めて築き上げたはずの理想の異性像はどこへやら……、何かの間違いではないかと我が目を疑いたくなるような現実の姿の相手に向かって、引き攣った顔でその場しのぎのジョークを飛ばし、ここは我慢と密かに己を制しながら深い反省と後悔に満ちた思いでそのひとときを過ごす・・・・・・そんな想定外の事態も続発した。
(愚かな身をば反省しながらも)
あわよくば一夜をともに明かし……などという当初の思いは儚く消え去り、急用ができたからという苦しい言い訳をしたりして、一夜どころか一時間も経たぬうちにそそくさとオフラインの席を立つ。そして、心に描いた儚い相手の幻影をそっくりそのまま実像と信じた己の愚かさを恥じながら、心身ともにぐったりとした気分で帰途につく。しまいにはネット会社や電話会社に貢いだお金ばかりかチャットやメールのやりとりに費やした時間までがなんとも惜しまれてならなくなる。
あれほど頻繁にメールを書き綴ったことが嘘のように、翌日からは相手に簡単なメッセージを送る気力さえも消え失せて、申し訳ないとは思いつつも、チャットなどでまた出合ってそれまで同様に親しく話したりするのが億劫になってくる。それならと別の出合いを求めてまたチャットの場に顔を出したりすると、ハンドルネームやIDを目ざとく見つけたくだんの相手は、チャットの秘話機能を使って二人だけで話さないかとしきりに誘いをかけてきたりするものだから、ますます対応に窮することになってくる。
いささか大袈裟にも思われるかもしれないが、インターネット隆盛のこの時代に先立つパソコン通信の世界では、笑うに笑えないこの種の珍事がしょっちゅう起こっていたのである。皮肉なことに、このようなケースにかぎってオフライン後は攻守すっかりところをかえ、逆にうんざりするようなラブ・メールの攻勢に遭遇することも少なくはなかったようである。そのような目に遇ったりすると、別人を装って通信を続行するため、新たに裏IDのひとつをも取得してみたくなるのは自然の成り行きでもあった。