時流遡航

第27回 東日本大震災の深層を見つめて(7)(2011,12,01)

大槌湾最奥部に位置する鵜住居周辺の被害も大きかった。多くの建物が崩壊流出したなかに辛うじて残る頑強な構造のビルなども、血肉を完全に剥ぎ取られた骸骨さながらに錆び歪んだ鉄骨のみを晒していた。集落地の方々に船腹を剥き出しにして転がる漁船の姿も痛々しかった。鵜住居から半島の付け根を横切って釜石湾側に入ると釜石の街並みが見えてきた。釜石の市街地は広いので一見被害は少なそうに思われたが、実のところそうではなかった。死者・行方不明者の総数は1300名を超え、民家約3200戸が全損した。釜石湾に近い市街中心部は全面停電し、津波による破壊痕跡の残る無人の商店街は放置されたままだった。信号が機能していないので、交差点ごとに警官が立ち通行車両を誘導していた。

異常なほどにパトカーの姿が目についたが、そのほとんどは応援に駆けつけた他府県ナンバーの警察車両だった。北海道警から釜石周辺に派遣されてきてもう2週間になるという警官と知り合いになった。見るからに頑健そうなその警察官に主な任務の内容を尋ねてみると、一瞬の沈黙のあと、「信号をはじめ各種交通機能が麻痺していますし、幹線路を含めて海寄りの道路は通行が困難ですから、まずは交通整理と各種復旧支援車両の誘導、道路の安全確認などです。それと、無人の被災家屋への不法侵入を防止するパトロールです。あとは犠牲者の遺体管理や行方不明者の捜索業務ですかね」と答えてくれた。「警察官や自衛隊の皆さんの尽力は大変なものですよね」と労いの言葉をかけると、「指揮系統の混乱などもあって、何を優先するべきなのか判断に迷うことも多いです。また、寝泊り、食事や着衣の洗濯、入浴などに困ったりもしますね」と本音の一端を漏らしもしてくれた。

その警察官の言葉が裏付けているように、大震災から2ヶ月しか経っていない5月の時点では、仙台、一関、盛岡などの内陸部主要都市のホテルや旅館をはじめ、岩手・宮城・福島県内の宿泊施設はどこも長期滞在者で溢れ返っていた。被災地救援事業担当者、報道関係者、各種調査員、医療従事者、政府や自治体からの現地派遣者や視察者、さらには復興事業関係者などで溢れ返っていたからだ。そんな中で些か気になったのは、巨額な国の復興援助資金とそれに基づく復興事業ビジネスをいち早く睨んだ、「スーツ姿の礼儀正しい火事場泥棒」とでも形容すべき人物らの蠢きだった。それが資本主義のお国柄の宿命だとは知りつつも、事態が事態であるだけに、心中複雑な思いにもならざるを得なかった。

部分損傷の施設類も実は瓦礫

釜石湾口に「ハ」の字形に設けられた全長1900mもの津波防波堤は、海岸から約2km沖の水深63mの海底に巨大な基礎ブロックを沈めその上に構築したもので、海上部は高さ6m、厚さ20mの堅牢な造りになっていた。また、海岸沿いには高さ4mの防潮堤も完備されていた。だが、波高10m80cmにも及ぶ津波はそんな人知の小細工を嘲笑うがごとくに軽々と両堤防を乗り越えたばかりか、それらを薙ぎ倒し破壊し尽くした。この防波堤の破壊には寄せ波ばかりでなく、引き波の巨大エネルギーが影響した可能性が高い。

新日鉄釜石工場や各種の大型港湾施設をはじめ、臨海部一帯の建物群の被害は見た目以上に甚大だった。例えば、釜石湾を一望できる釜石グランドホテルの高層ビル一つをとっても事態は容易ならざるものであった。同ホテルは、少し離れた地点から眺めるとほとんど無傷なように思われたが、至近距離に立って見ると、ホテルの中枢部に当たる一階と二階部分の内部は無残に破壊され、その被害は三階部にまで及んでいた。また、その分だと、高層ビル全体を支える基底部にも致命的な被害が生じているものと推測された。ずっと後の9月に同地を再訪した時にも同ホテルが放置されたままになっていたのだが、いざそれを解体し再建するとなると莫大な費用がかかるだろうし、担保物件としての価値も最早皆無に等しい状況だろうから、経営者にとっても全く手の打ちようがないのも当然だった。

今回の震災による瓦礫の処理がいろいろと問題になっているが、この釜石の場合もそうであるように、岩手、宮城、福島の沿岸には、見かけ上は半壊または一部損壊したかたちで、各種の漁業・港湾・工業施設やホテル・銀行・デパート・遊技場・公共施設などのビルが多数残っている。実は、いま瓦礫と呼ばれているものだけでなく、それら半壊ないしは一部損壊の施設類もまた瓦礫にほかならない。それらをすべて解体し、生じる瓦礫を処理したのちに跡地を再整備して諸施設を再建するとなると、気の遠くなるような時間と費用とが掛かることは明白だった。被災に遭い無残な姿を晒す地方銀行や信用金庫などの建物も目についたが、それら金融業関係の被害に関しては、施設自体の直接的な損害などより、取引先の事実上の倒産や担保物件の無価値化に伴う連鎖的な経営破綻のほうが気掛かりだった。来年以降にその悪影響が出ることは間違いないと思われたからである。

釜石大観音は何を思い給うや

釜石市街の南端部の海沿いにある釜石運転免許センターの敷地は、津波被災した車の置き場と変わり、累々と積み重なる無数の廃車群によって埋め尽くされていた。当分は運転免許関連業務ができるような状況ではないし、地理的に考えてもその処置は妥当なものだと思われたが、なんとも皮肉なことに、それら廃車の中には相当数の消防車やパトカーなども含まれていた。無様に潰れ歪み錆果てたそれだけの数の廃車となると、所有者を確認したり、ガソリンやオイル類の抜き取り作業を行ったりするだけでも容易ではなさそうだった。ましてや解体処理となると、途方もない費用と労力が掛かることも必定だった。

先月初め、宮古の瓦礫処理を東京都が率先して引き受けることになったとの発表がなされた。被災各地の瓦礫処理に他の自治体が協力するのは当然のことなのだが、それに対して福島第一原発の事故に起因する放射能汚染を気にする人々から抗議の声が上がった。だが、宮古周辺の瓦礫処理に協力することまで拒むのはやはり問題だと言わざるを得ない。距離的にみると、福島第一原子力発電所には宮古よりも東京都のほうが近い。宮古の瓦礫の放射能汚染が怖いと言うなら、東京都の排出する塵や瓦礫類も同様に汚染されているはずで、このままでは東京には住み続けられないということにもなってしまうからだ。

釜石運転免許センターから程近いところに鎌崎という岬があって、その先端に位置するところに高さ48.5mの釜石大観音が建っている。胸に一匹の鯛を抱き釜石湾の沖を静かに見下ろすこの白亜の観音像は、幽界及び現世に生きる人々の魂を苦悩から救済してもらうという祈願を込めて昭和45年に建立されたという。だが私には、その大観音像のうしろ姿が何とも悲しく虚しいものに、そしてこの上なく皮肉なものに思われてならなかった。

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