時流遡航

《時流遡航258》日々諸事遊考 (18)(2021,07,15)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑨)
(旅先で必要情報を集めるには)
いまはもうスマートフォンやパソコンなどで容易に旅先の諸情報が把握できる時代になっていますから、観光スポット、宿泊先、旅先での名物料理店や土産物店などを探し出すのに苦労を強いられることはまずありません。ただ、それでもなお、「旅は無計画をもって至上とする」の精神にのっとり、折々の発見や奇遇を楽しみながら旅をする人の場合には、幾らかの心構えや知恵の類はそれなりに必要かもしれません。ガイドブックやインターネットの情報をチェックしてみても、これという情報など得られそうにない地域に足を踏み入れるような場合には、その自治体の広報課や観光課を直に訪ね、折々の状況に応じた情報を提供してもらうのも悪くはないでしょう。小さな市町村役場の職員などの中にはとても親切な人々が少なからずいるもので、旅人が知りたいと思っている事柄についてのほかにも想定外の情報が得られたりし、その旅が新展開を見せることもよく起こるからです。
 その地域の名産品が格安で購入できたり、名物料理が安く美味しく楽しめたりするお店を探すような場合には、地元の人に直接訊ねてみるに越したことはありません。私自身何度も経験したことですが、旅情報誌などにはまるで無縁な隠れたお店であるにもかかわらず、実際に訪ねてみると、感動的なまでに心のこもった歓待に与るという望外な展開に恵まれたりもします。車で旅する場合などは、一般道沿いのお店などで、その前に陸送の大型車が複数駐車しているようなところを探して入店すると、美味しい料理に格安でありつけたりもするものです。定期的に長距離を走る大型トラックの運転手らはその手の情報に精通しており、しかも仲間内で常に情報交換をしていますから、まず間違いはありません。 
昔、山梨県白州町の国道沿いにごくありふれた感じの食堂がありました。陸送の運転手らしい人物らがそこに出入りするのを折々目にすることがあったので、その地を通り掛かったある晩のこと、私もそのお店に入ってみたのでした。その時刻、他にはお客がおらず、私一人だけだったのですが、不思議な存在感を湛えたそこの老店主は初対面のこの身を温かく迎えてくれたばかりか、新鮮な地元の素材を活かした美味しい料理を信じられないような安さで提供してくれたのです。そして、何かと言葉を交わすうちに、その老店主が只者ではないと直感もしたものでした。それが契機となって、私は甲斐や信濃方面への旅をするごとに、なるべくそのお店に立ち寄るようにし、その店主とすっかり懇意になったのでした。そして、互いの昔日の身上話を含め、諸々の世相や様々な社会問題などについて、自らの思いなどを忌憚なく語り合えるような仲へとなっていったのです。  
 その老店主が幼い頃に辿った運命は、それなりの苦労はして育った私からしても想像を絶するほどに苛酷なものだったのです。敗戦直後の満州からの引き揚げ時に親兄弟と死別し孤児となった当時8才の幼い少年は、ある引き揚げ者の好意にも助けられ朝鮮半島経由でなんとか日本へと帰国しました。しかし。その後、彼は、終戦直後の悲惨な状況下で、誰も身寄りのいない浮浪児としての生活を送り続けることになりました。ただ幸いにも、ある時廻り合った心ある人物の導きもあって、当時神奈川県下にあった民間養護施設へと入所し、そこで暮らせるようになったのでした。何とか中学を卒業し養護施設を離れた彼は、孤独で赤貧そのものの生活を送りながらも必死に働き、やがて、ちょっとしたきっかけで料理人の世界へと弟子入りします。そしてそこで、言葉には尽くし難い数々の苦労と研鑽を重ねた末に、遂には一流の料理人として自立するに至ったのでした。やがて家族にも恵まれ、有能な弟子たちも育ち、彼らの献身的な助力のお蔭もあって川崎に和風と中華風を兼ねた自分の料理店を持つことができるようになり、経営者としても成功を収めることになりました。むろん、その気になればそのまま悠々自適な老後生活を送ることができたらしいのですが、高齢になった彼はそこでまたある決断をしたというのです。
 なんと彼は、繁盛している川崎のお店の経営を親族や弟子たちの手に一任すると、自身は独りで山梨県の白州町に移住し、その地にごく小さな食堂を開き、そこで晩年の生活を送ることを決意したのだそうなのです。南アルプス山麓の一角に位置する自然豊かな白州の地にあって、暇を見ては季節に応じた山野の植物採取や渓流釣りに出向き、さらには気の向くままにちょっとした狩猟などをも楽しみつつ、そこで得られた新鮮な食材をお店の料理に用いるようにしたいと思ったのも、その動機のひとつではありました。しかし、それ以上に大きな理由は、利益など一切無視した破格の値段で真心を込めた料理を提供し、偶々立ち寄ってくれる様々な旅人との深い交流を楽しみたい、そしてそんなささやかな行為を日々重ねていくことを余生の心の糧としていきたいからだったというのです。偶然の廻り合いの結果とは言え、まったく想像もしていなかった老店主の深い想いに触れ、いたく感銘したこの身は、その人生譚や自然観に時の経つのも忘れて聴き入ったりもしたものです。ただ、ある日そこを訪ねてみると、お店は既に閉鎖されていました。川崎のお店の名や所在地なども伺っていなかったため、老店主のその後の身辺の変化や閉店の事情については知ることはできませんでしたが、懐かしい想い出だけは今も心に残っています。
(飛び込みで宿泊先を探すには) 
 我われ庶民が極力旅費を節約しながら想い出深い旅を続ける場合には、予約なしで当日の飛び込み宿泊も可能な、安い宿屋探しの工夫なども必要です。最近は若者の利用者そのものが少なくなったと言われているユースホステルや青年の家ですが、これらの施設は若者ではなくても利用が可能です。すでに高齢の身となっていた私があるとき利用したユースホステルなどは、昔を懐かしむ数々の中高年のお客で活気に満ち溢れていたものです。もちろん、国民宿舎のほか、各地方自治体や国家公務員共済組合などの運営する各種公的宿泊施設も、安くて環境に恵まれたところが多く、空いておりさえすれば一般人でも飛び込み宿泊が可能です。ただし、それらの施設には食事時間に制限があるため、素泊まりを望む場合を除いては、チェックインタイムを考慮に入れて行動する必要はあるでしょう。
民宿には様々なものがありますが、安価で快適なところも多く、事情を話せば親身になって諸々の旅の相談にのってくれるところも少なくありません。ビジネスホテルは料金も割合安価で安全性も高く、飛び込み宿泊も可能ですが、辺鄙な場所には存在していません。
意外な盲点は警察や交番の活用かもしれません。地元の警察などを訪ね、周辺の旅情報の提供や宿の紹介などを依頼すると懇切に対応してくれることがほとんどです。業務上の関係もあって地元の情報に精通している警察職員は、旅行者の状況に応じた宿を紹介してくれるものですし、警察の紹介と知った宿側の対応も自から鄭重なものになってくるからです。

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