時流遡航

《時流遡航264》日々諸事遊考 (24)(2021,10,15)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑮)
(歌謡曲の舞台地でそれを聴く )
 旅先でたまたま廻り合った場所で、そこの雰囲気に相応しいクラシックの名曲を聴いて感銘したという体験談を述べてきましたが、そんな旅の折々に聴く曲はなにもクラシックに限られているわけではありません。これも実際の体験談なのですが、本州北端の竜飛崎周辺に出向いた際、眼前に広がる津軽海峡、さらにはそれを挟んで遠望される北海道の山影に想いを馳せながら、演歌「津軽海峡冬景色」に聴き入ったこともありました。憂を秘めた石川さゆりの美声に深い感慨を覚えながら、北の大地の冬の世界を偲んだりもしたものです。北海道の知床半島へと出向いた折などには、森重久弥ゆかりの「知床旅情」の歌声に魅せられながら、まだ近代化されていなかった時代の知床一帯の情景に想いを重ねたりしたこともありました。
さらにまた、取材を兼ねて熊本県の五木地方を旅したときなどは、現地入りする前にあらかじめ用意しておいた有名な「五木の子守唄」のCDを車中で流し聴きながら、その歌詞の奥に秘められた一昔前の奉公女人の深い哀感や生活苦の実態に想像を廻らし、現代社会の状況にも通じる人間界の格差についてあらためて思いを深める有様でした。古くから伝わる各地の民謡などは、たとえそれが一時的かつ一過性の行為ではあったとしても、やはり、その地の自然環境や生活環境のもとに身を置きながら聴いてみるに越したことはないでしょう。民謡とはその発祥の地の生活感を謳い上げたものにほかなりませんから。
 私は音楽の世界には素人同然の人間ですが、唯一自分でそれなりに操れる楽器にハーモニカがあります。古風でシンプルな楽器ハーモニカは、辺鄙な場所に出向くときなどでも容易に持ち歩くことができるので便利ですし、どんな体勢をとっていても難なく吹くことができるので重宝もしています。子供の頃から慣れ親しんできたこともあって、我流ながらもそれなりの吹奏技術は身に付けていますので、他に誰もいない旅先などで独り月星を眺めたりしながら、その時々に思い浮ぶ曲を奏で出すことはよくあります。
これはごく個人的な見解ではありますが、私自身は、ハーモニカという楽器は他人に聴かせるためよりは、過去の様々な出来事への反省や回想、さらには未来への諸々の想いを込めながら自らに聴かせるためのものにほかなならいと考えています。「荒城の月」、「青い山脈」、「故郷」、「夜霧の彼方へ」、「雪の降る街」、「蛍の光」などのような懐かしい歌謡曲類を自身の心に向かって吹き囁きかけながら、深い自省の想いに耽ることができるのもハーモニカという楽器ならではのことだと思うのです。そして、静寂に満ちみちた旅先の地でそんなハーモニカの音色に包まれながら自己反省を試みるなかで、過去に関係のあった数々の人々の姿が走馬灯のごとく次々に廻りゆくことがあったりもします。
何とも不思議なことですが、そんな折などには、日常生活においてはほとんど想い及ぶこともなかったような人物の姿が突然浮かび上がってきたりもし、それがきっかけで自らの認識のありかたを再考することなども少なくありません。それまでごく親しくしてきた人物が実は自分にとってそれほど不可欠な存在ではないように思われてきたり、逆に、そんなに重要だとは考えてこなかった人物が、実は掛け替えのない存在であることに気づかされたりもするからです。そんな想いが生じるのは諸々の仕事をはじめとする人生の諸事に関しても同様で、旅先で人知れず吹くハーモニカの音色に身を委ねるうちに、自分の人生にとって真に重要なものが何であるかを痛感させられることもよくありました。
 自らの心のみに向けた旅先でのそんなハーモニカの吹奏なのですが、時折、思い掛けない展開をもたらしてくれることもありました。北海道の洞爺湖湖畔で満月に近い月影を仰ぎながらハーモニカを奏でていた夜のことですが、しばらくして気がつくと周辺には何組もの男女や家族連れらしい人々が坐っていて、私の拙い演奏をバックグラウンドミュージックにしながら、美しい夜空や月光に映える洞爺湖の湖面に眺め入っていたのです。そんな有様を目にしてついついその気になった私は、そのあと20曲かそこらの歌謡曲や民謡を思いつくままにメドレーで吹き続けました。確か最後は「蛍の光」の吹奏で締め括ったのですが、皆さんから拍手を送られたり、お褒めの言葉をかけてもらったりし、想像もしなかった事態に、内心嬉しく思いつつも、一方ではいたく恐縮する有様でもありました。
(戦友会で懐かしの軍歌吹奏も)
 さらにまた、まだ若かった頃のことですが、たまたま東北の奥地にある鉛温泉の宿に泊まったことがありました。その夜のことですが、二階の部屋のベランダで、「異国の丘」という哀調に満ちた曲をはじめ、かなり昔の歌謡曲類を気の向くままに吹き流していました。すると、急ぎ足で階段を上ってきたその宿の主人らしい人物から、突然、「お客さん、ちょっとお願いがあるのですが……」と声を掛けられました。てっきりハーモニカを吹くのを咎めにきたのだと早合点した私のほうは、「すみません、もうやめますので……」と謝りかけました。すると相手は、こちらの言葉を慌てて遮るようにして意外な言葉を吐いたのです。「実はいま下の階の大広間で旧軍人の方々による戦友会が開かれているところなんです。たまたまお客さんのハーモニカの音を耳にされた幹事の方が、『ハーモニカを吹いているにお願いして、ここで懐かしい軍歌など吹奏してもらえはしないだろうか』とおっしゃいましてね……」――想像もしていなかったその言葉に一瞬躊躇いを覚えた私でしたが、これも何かの縁と思い直し、その突然の要請に応じることにしたのでした。
 その戦友会の開かれている広間では、50人前後の高齢の男らが食事をしたり酒を酌み交わしたりしながら、歓談に耽っているところでした。その親睦会を統括しているらしい、どこか不思議な存在感を湛えた白髪の紳士によって簡単な経緯説明があったあと、先方の意向に添った曲目の吹奏に取り掛かりました。非戦論者の身ゆえ戦争など好きではありませんが、かつての軍歌の調べや歌詞には深い人間の悲哀や悔悛の念が込められていることを知った私は、戦意を削ぎかねないという理由で戦時中禁歌になっていたものを含め、数曲をマスターしてはいました。そこで、私はそれらの曲の歌詞を胸中で呟きながら、心を込めて一連の軍歌を吹き続けたのでした。
 すると、誰からともなく歌声が上がりはじめ、やがてその場にいたほぼ全員の人が立ち上がり、吹奏に合わせての大合唱が湧き起ったのです。しかも、最後は私を中心に半円状2列になりて肩を組み合って立ち並んだそれらの人々が、私の奏でるハーモニカの調べに乗って、それぞれに涙を流しながら、「異国の丘」などを大熱唱するというフィナーレを迎えたのでした。それらの方々の胸中深くに眠る昔日の記憶が昨日のことのように蘇ったからだったのでしょう。

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