時流遡航

《時流遡航》J―PARKの放射能漏れ事故を省みる(2013,06,15)

過日、日本の代表的な基礎科学研究施設の一つJ―PARK(茨城県東海村)にあるHC(ハドロン・コライダー=高エネルギー陽子加速器施設)で放射能漏れ事故が発生し、多方面から厳しい批判の声があがった。そのため、「電脳社会回想録」を一時的に休載し、今回は特別にその問題を考察してみることにしたい。

(J―PARK加速器事故概要)

HCは、光速近くまで加速した陽子と陽子、陽子と反陽子とを衝突させたり、超高速の陽子ビームを重元素の原子核に衝突させたりし、各種素粒子や中性子などを発生させる実験装置で、発生した素粒子類の様態や特性を検証することにより、宇宙の起源や物質誕生の謎、真空の本質などに迫ることを目的としている。今回の事故は、巨大な円環状加速器の生み出す陽子ビームを金の原子核に衝突させる実験中に起こった。この実験では金の原子核が破壊されることにより、各種素粒子類のほか、金よりも原子番号の小さいナトリウムやヨウ素の放射性同位体などが極微量発生する。ただ、陽子ビームの的となる金の温度は通常その融解温度より低い300℃前後までしか上がらないため、発生した放射性物質類は未破壊のまま残っている金の試料中に閉じ込められ、外部に漏れ出ることはない。また、加速器の運転を停止すれば、それ以上放射性物質が生じることもない。

だが、本来安全な筈のHCの陽子ビーム制御用電磁石が電源の不調によって正常に機能しなくなり、突然、通常の400倍もの陽子ビームが流れてしまった。その結果、ビームの直撃部分にあたる金の温度が急上昇して融解、発生した放射性物質ごと蒸発し、施設内に飛散して30余名の研究者が軽度の放射線被曝をする結果になった。電源設備の異常を知らせる警報が出たが、機器の一時的な不調と判断して運転を再開すると、20分後には施設内の放射線量が上昇した。さらに1時間ほどが経つと放射線量が毎時0・4マイクロシーベルトから4マイクロシーベルトにまで上昇したため、運転を再停止し排気ファンを回した。すると施設内の放射線量は低下したものの、発生していた放射性物質がこの時屋外に漏れ出てしまったのだった。その2時間後に運転を再開したが、またもや線量が増大したため、最終的に運転を完全停止した。

素粒子物理や放射線科学の研究者は常々実験に伴う微量の放射線被曝は覚悟している。完全には先の読めない最新研究においては、その種のリスクは不可避だからだ。過日の事故に伴う研究者らの被曝は幸い健康には支障がない程度のものである。もし被曝量や被曝者数を問題にするなら、福島第一原発事故による技術者や各種現場作業員、消防隊員、周辺住民らのそれのほうが桁違いに大きい。そもそも、物理学、化学、生化学などの先端研究に用いる加速器なるものは、危険度の高い原子炉とは機能も構造も全く異なり、安全度は極めて高い。無論、研究者らに油断や判断の甘さがあったのは確かだろうし、目立った被曝トラブルは過去皆無だったことゆえ、電磁石の電源不調に因する放射性物質の拡散など想定外だったのも事実だろう。事故の認識と報告が遅れたという点については猛省のうえ、不測の事態の原因を徹底的に究明し今後の研究施設の安全と信頼確保に繋げてほしい。

J―PARKは、高速増殖原型炉「もんじゅ」を管轄する日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構とが共同運営する施設で、全周1・6kmの大型加速器を含め3基の加速器を保有している。日本原子力研究開発機構は、原子力の専門研究機関であった旧日本原子力研究所と、原発の建設開発や原発運営を業務とする動力炉・核燃料開発事業団(のちに核燃料サイクル開発機構と名称変更)とを統合するかたちで05年に設立された。一方の高エネルギー加速器研究機構は、東京大学原子核研究所と高エネルギー物理学研究所とが97年に合併して設立された組織である。今回の事故は後者の高エネルギー加速器研究機構による実験中に発生した。ただ、事故時の連絡は高エネルギー研の行う実験の場合でも原子力研究開発機構を通じて行う規則になっていたので、マスメディアを始めとする社会の反応は一段と厳しいものになった。

旧動燃の体質をも継承する原子力研究開発機構は、度重なる重大事故や諸々の不手際の発生ゆえに、原子力規制委より運転再開準備停止命令を受けた高速増殖原型炉「もんじゅ」を管轄する組織でもある。そのため、今般の高エネルギー研の実験に伴う事故は、運転継続不可能と言われる「もんじゅ」の問題、さらには先行き不透明な福島原発事故などと絡めたり、同列視・同体質視されたりして、厳しい批判報道をされることになった。

(加速器施設の危険視は間違い)

一定の批判はやむを得ないが、「加速器施設は原子炉と同種の危険な施設だ」という誤った世論を生むことだけは避けねばならない。小林―益川理論の裏付けにも貢献したJ―PARKのHCをはじめ、国内に多数ある各種の加速器施設は、日本が世界に誇る最先端科学研究の中核を成す存在なのだ。社会的誤解がもとでそれらが運転不能に陥るような事態になれば、日本の科学研究は国際的競争力を喪失し、それによる国家的損失は甚大となる。過日の事故で研究者らの中に軽度の被曝者が出たことは事実だが、原子炉と違って加速器は運転中に高レベルの放射線や放射能を発生させることはないし、運転停止後に放射性物質が残留することもない。原子炉が排出するような使用済み核燃料や放射性汚染物質とはおよそ無縁な施設なのだ。また、一概に加速器施設とは言っても様々な種類がある。

世界の光科学研究をリードする兵庫県のSPring―8やSACLAなどは、同じ加速器施設でもHCとは異なり、光速近くまで加速した電子ビームを磁石で曲げた時に出る放射光(シンクロトロン光)によって電子サイズレベルの超極微な世界を探究する施設である。既に数々の国際的な学術業績を挙げていることでも名高い。同種の施設には九州シンクロトロン光研究センターなどがある。千葉の放射線医学総合研究所ほか国内に4カ所ある先進医療用加速器は、重粒子線(炭素イオン線)による癌治療に絶大な威力を発揮中だ。また、近年、東北の北上山地か九州の背振山地に建設誘致の動きがある国際リニアコライダーは、全長31kmに及ぶ長大な直線状加速器で、陽子や反陽子のほか、超高速下の電子と陽電子を衝突させ謎多き宇宙の神秘を根源的に解明することを狙っている。円形加速器の場合には速度が上がるほど電子エネルギーが放射光となって失われるから、効率的な直線状加速器が不可欠なのだ。いずれにしろ、これら諸施設は核エネルギー利用や放射能汚染問題とは無縁である。原子炉規制が本務の原子力規制庁にお門違いの加速器施設規制を委ねる現行制度や、その維持強化を図る政府筋の構想は本末顚倒と言うべきだろう。

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