時流遡航

~ノーベル賞発表の時節が終わって(3)~(2012,12,15)

山中伸弥教授の求めに応じて野田首相が指示を出した3項目のうち、①の「薬事法改正を含む安全規制面での基準整備、倫理面での検討の迅速化」はiPS細胞実用化のためには不可欠なのだが、その実現は必ずしも容易ではないだろう。そもそもiPS細胞を薬事法の適用対象にするべきなのか、さらにまた、目下のところ臨床例が皆無のiPS細胞移植による再生治療の安全性をどのように評価すべきなのかといったような問題が、ここ数年以内に決着するなどとは到底考えられないからである。

また、将来、人間の各種臓器や器官、皮膚などの再生医療が自在に行われるようになった場合、我々人類は「生」とは何か、「死」とは何か、「自己の身体」とは何かといった厄介な問題に正面から向き合わなければならなくなってくる。再生医療の普及に伴い平均寿命も大幅に延びることだろうから、「人生」という概念そのものが大きく変容し、社会構造も社会的価値観も未知の次元に突入することになるだろう。再生医療の発展を手放しで喜んでばかりもおられなくなってくるわけで、「倫理面での検討の迅速化」などというお題目を実践しようとしても、その前途は五里霧中の状態にあると言ってよい。

(基礎科学と応用科学の相違)

最初の項目①はiPS細胞の実用化と直接関係するからまだよいが、②の「大学などの研究環境の大胆な改革」や、③の「若手研究者の育成に向けた研究費制度の改革」という項目になると、iPS細胞応用研究の範囲を超えたより大きな学術研究全体の話になってくる。科学研究の世界に対する野田首相の認識や思考の道筋は幾分混乱をきたしているようだ。首相は①、②、③の項目を述べたあと、「iPS細胞に続く新たなイノベーションを幅広い分野で生み出してほしい」とも言葉を繋いでいるのだが、筆者などはどうしても、民主党によるかつての仕分け会議の有り様を思い重ねてしまうのだ。一連の状況やその言葉の響きから推察すると、首相の頭の中にある科学研究とは応用科学の研究、より分かり易い言い方をすれば「役に立つ研究」だけであるようなのだ。現代日本の政財界関係者のほとんどがそうであるように、この人もまた、「基礎科学」の重要性については言うに及ばず、「基礎科学」と「応用科学」の違いについてさえも理解していないように見える。

「基礎科学研究」と「応用科学・応用技術研究」とは、同じ科学研究分野に属するとは言ってみても目指す方向には大きな違いが存している。もちろん両分野に大きく跨るような例外的研究、さらには両者の境界領域そのものについての研究も存在するが、通常、応用科学・応用技術研究というものは、既に確立している理論や技術を使って、社会に実益をもたらす製品の生産や各種実用システムなどの開発を目指そうとする。

それに対して基礎科学研究というものは、未知の自然現象や自然法則の発見、新たな科学理論やそれまで存在しなかったような革新的基礎技術の確立を目指すことになる。結果的にその研究成果が社会に多大の実益をもたらすことはあっても、基礎科学研究の場合には、「何が起こるのか?」とか、「どうしてそうなるのか?」とかいった問いかけが研究の原点ないしは前提となっており、「何の役に立つのか?」とか、「実生活にとって何か意味があるのか?」とかいった問いかけがその立脚点となるようなことはない。

2002年ニュートリノの研究でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が、「それは何の役に立つのですか?」というマスコミ関係者の質問に対して、にこやかな笑みを浮かべながら「何の役にも立ちません」と答えたのは有名な話である。もちろん、小柴氏は、「当面、私の研究には生活面での実用性はありません。ただ、私の研究は大宇宙の謎に迫り、その一端の解明に成功したものであり、あくなき人類の知的好奇心を満たす成果ではあるのです。もちろん、それが将来何らかのかたちで実益に結び付くことはあるかもしれませんが……」と暗に述べようとしていたわけで、それが無意味なものだと言っているわけではない。実際問題として、過去のノーベル賞の授与対象となったのは、日本人受賞者の場合に限っても、小柴氏の事例に見るような基礎科学研究が圧倒的に多いのだ。その意味では基礎研究の成果が応用研究に直結し、再生医療の実現を切望する現代社会の要請に直接応える山中教授の研究は例外的な存在だと言えよう。

「何の役に立つのか?」という問いかけはそれなりに重要ではあるのだが、「役に立つ」という概念自体は人間社会の過去の経験や過去の価値観に立脚したものとならざるを得ない。それに対して、「いったい何が起こるのか?」とか、「どうしてそうなるのか?」とかいった問いかけは、未知の体験の広がりや、来るべき時代の新たな価値観の創出へと繋がっていく。まさにその点にこそ基礎科学研究の意義があるわけだ。したがって基礎科学の業績が人間社会に貢献するには通常一定の時間がかかる。今では小柴氏のニュートリノ研究を支えた「光電子増倍管」も、光バイオアッセイシステム(生物の微弱発光現象を用いた化学物質の特性検証システム)、医療診断システム(ガンマカメラやPET)、血液分析、石油探査、環境測定、製版用ドラムスキャナなどに広く用いられるようになってきた。

(未来の業績の芽を摘む成果主義)

国家財政の逼迫に伴い、実益に直結しない基礎科学研究費はむろん科学研究費全体も年々削減されるいっぽう、大学や研究機関には「成果主義」の嵐が吹き荒れている。「役に立つ研究」に研究費を投入し費用対効果を高めるというのがその狙いにほかならない。ところが、未知の世界や深遠な理論の構築を睨んだ基礎科学研究の業績評価は極めて難しい。勢い評価は実益性をアピールした研究に偏り、基礎科学研究は日陰に置かれる。評価に当たる人物の能力も問題だ。研究費欲しさに見せかけだけの成果を訴える姑息な論文を仕上げ、高い評価を期待して各種申請書類作成に奔走する昨今の研究者の姿は異常としか言いようがない。

2011年度以降の国家予算では、大学運営交付金や科研費の一部が日本科学技術振興機構などの差配する特別枠の競争的資金に繰り込まれる運びになったから、長期的展望に立つことを旨とする基礎学術研究はますます衰退の一途を辿ることになるだろう。優れた研究能力を持ち、将来が嘱望される若手の基礎科学研究者が本来の研究継続を断念し、研究費不足を解消するため、競争的資金を獲得しやすい実利優先の応用研究に転向する事例も続出している。大局的に見るならば、大変な国家的損失だと考えざるを得ない。基礎科学に対する評価のウエイトが高いノーベル賞を狙うなど、若い世代にとっては最早遠い世界の話にさえなってきているのである。

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