時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (5)(2019,12,01)

(離島での闇夜の生活体験が残してくれたものとは)
 南国の離島にあった当事の小村などでは、夜間であっても子どもらが外を出歩くことが許されていました。現代の状況とは異なり、大雨や台風の到来に備えるのでもないかぎりは、雨戸を閉め、錠をおろしてしっかり戸締りをすることなどまずありませんでした。通常は、夜床に着く際であっても、どの家も障子や襖をそっと閉める程度のものでした。村落の人々同士は皆顔見知りでしたし、本土との間には1日1便のみ運航の小型定期連絡船しかありませんでしたから、島外からの来訪者の出入りも極めて限られたものでした。
それゆえ盗難事件や傷害事件の類は皆無でしたから、とても不便な離島の貧村ではありましたけれども、夜間でも治安そのものは極めて良好だったのです。そんな集落の状況のおかげで、文字通りの自己責任のもとでなら、子どもでも集落周辺に広がる夜の世界を気の向くままに探索するのは自由でした。もちろん、闇夜の晩になると、街灯など皆無の黒々とした空間だけが広がっていたわけなのですが……。
 晩秋の深夜などに集落近くの野原に佇んだりしていると、真っ暗な闇の奥のどこからともなく、「しーん」という微かな音が響き伝わってくるような気がしたものでした。漫画の世界などで闇夜の情景を描いたりする時、よく「しーん」という文字入りの表現が用いられることがあるものですが、まさにそれと似たような光景が繰り広げられていたようなわけなのです。ところが、好奇心に誘われるままにそんな深い闇の中を足元を確かめながら慎重に歩いたりしていると、不思議なほどに五感が研ぎ澄まされてきたものでした。意外なことなのですが、いったんは漆黒の闇に閉ざされてしまったはずの世界であるにもかかわらず、周辺空間の闇の濃度に違いがあるのを視覚的に認知できるようになってきたものです。同じ闇でも深くて濃い闇と薄暗い闇とが識別できるようになり、より目が馴れてくると、身辺を取り巻く空間の状況がぼんやりとではあっても認識できるようになったりもしました。そして、遂には、野生の動物や植物などが闇の中で微かに放つ光の類などまでが知覚できるようにもなっていきました。
 さらにまた、闇によって研ぎ澄まされたのは視覚だけではありませんでした。聴覚、触覚、嗅覚などもまた闇の中にあって一段と鋭さを増していったものです。普段なら聞き逃してしまいそうな虫たちの小さな鳴き声、草木が微かに揺らぐ音、何事かを囁きかけるような小川のせせらぎ。磯辺一帯の潮騒の響きなどが、闇を介してしっかりと耳元に伝わってきたりしました。また、指先や手足の皮膚の感覚をはじめとする触覚全体も一段と鋭敏になり、視覚に依存しなくても戸外の様々な事物の状況がそれなりには読み取れるようにもなったりもしたものです。さらにまた、空中に漂う様々な植物や花々の香や農業漁業に伴う諸々の生活臭の類が夜風に乗って身辺に届き、やさしく嗅覚にその存在を訴えかけてくれるようなこともありました。
ただ、そんな五感のなかにあっても味覚だけはさすがに暗闇の存在とは無関係だろうと思われがちなものです。ところが、これがまた必ずしもそうとはかきらなかったのです。当時の島の日常的な飲用水などはすべて井戸水で賄われていました。集落内には共同井戸や個々の家々が備え持つ専用井戸などがあって、そこから釣瓶で汲み上げた水を用いていたものです。夏の夜など自宅から離れた場所で遊んだり、何らかの作業をしたりしていて喉が渇くと、近くの共同井戸や知り合いの家の井戸に立ち寄って、そこの水を自分で汲み上げ、直に釣瓶に口をつけてはガブ飲みしたものでした。暗闇の中やそうでなくても薄暗い状況のもとで、文字通り五感のすべてを駆使しながら釣瓶を操って井戸水を汲み上げ、それを飲んだわけなのです。ところが面白いことに、手元が真っ暗なためにか唇や舌先の触覚に付随する味覚神経が異常なまでに冴えわたり、その水の美味さや不味さを鋭敏に感じ取るばかりでなく、そんな体験を重ねるうちに各々の井戸の水の味の違いを弁別できるようにさえなったりしたものです。
(磨かれた五感を活かし楽しむ)
闇の中におけるそんな五感の働きに磨きがかかってくると、ほんの微かな光であってもそれなりには明るく感じられるようになり、当時の離島の夜ならではの感動的な光景に心ゆくまで浸ることができるようにもなりました。私は「星闇」という一種の造語をよく用いることがあるのですが、それは、満天の星空のもとに広がる独特の闇の世界を意味しています。ある西洋文学作品の中にある「砥石で磨き上げたような星々」という表現がぴったりの輝きを見せる星々が夜空いっぱいに輝き、その星明りによって照らし出される下界の闇は、研ぎ澄まされた五感に頼って歩く身には少しも苦になどなりはしませんでした。柄杓形の北斗七星の6番目(柄の端から2番目)の星には、昔の軍隊などで視力検査に用いられたとかいう6等星の小さな伴星があるのですが、その星でさえもはっきりと見えたものでした。天の川などは今我われが深い山中で目にするものとは比べようもないほどに見事な輝きを見せていました。散開星団として知られる冬の星座「昴(すばる)」などに目をやると、10個以上の星々をはっきりと確認することができたものです。今日の日本ではまずもってそんな星空を見ることなど望むべくもなくなってしまいましたけれども……。
深い闇がもたらす感動は夜の海辺にもありました。波打ち際で青白い光を放ちながら明滅し続ける夜光虫の群れ――その美しさは夏の夜の小川に見る蛍の乱舞にも劣らぬほどに見事なものでした。また、時折、夜の海を回遊する一群の魚たちの放つ燐光の輝きなども驚くほどに美しいものでした。そして、深い闇の存在に五感がしっかり適応できるようになった結果、各戸に1灯しか設置することをゆるされなかった20ワットの暗い白熱電燈や、台風時などの停電の際に用いる灯油ランプや蝋燭の炎でさえも十分に明るく感じるようになり、それらの明かりの下でごく普通に読書や勉強をすることもできはしたものです。当然のことですが、大気の澄んだ満月の夜などは、街灯など一切無い集落内の道々はむろん、あたりの野山や海辺に至るまでがとても明るく感じられ、一帯はごく自然に歩き回ることのできる場所と化したりしたものでした。
実を言うと、幼少期のそんな離島生活を通じ、知らず知らずのうちに体内深くに刻み込まれた特異な原風景のおかげで、いつしか私は、それがどんな暗闇に包まれた場所であっても時刻などには関係なく、独りでその地を平然と訪ね歩くことができるようになりました。例えば富士山麓の青木ヶ原のようなところに深夜単独で出向き、闇と静寂に包まれた林の奥で、ささやかな文章表現に繋がる深い思考に耽ったりもするようになったのです。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.