時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(9)(2015,06,15)

(遠き日の想い出に重ね見る政治的風景)
 現在は鹿児島県薩摩川内市に属する甑島という離島の村で、わたしは小・中学生時代を過ごした。今春、国定公園の指定を受けた甑島は、古来の民俗文化の色濃く残る風光明媚な島である。もっとも、長い都会暮らしを経てこの年になった今だからこそ、「風光明媚な島」などとその雄大な景観を称え懐かしむこともできるのだが、甑島在住当時の憧れの的は、自動車や電車が走り回り、色とりどりのネオンの煌く都会の光景にほかならなかった。
 そんな離島暮らしの私が初めてテレビなるものを目にしたのは、中学3年の春の修学旅行のときだった。別府で泊まった旅館のロビーに一台テレビが備わっていて、その画面上では何とも不思議な白黒の映像がチラチラと揺れ動いていた。テレビ放送が普及途上にあったその時代、鹿児島をはじめとする九州の多くの地域ではまだテレビ放送が受信できなかった。ただ、大分県の別府など九州東北部の地域だけは、中国・四国・関西方面から飛来する電波のキャッチが可能だったので、すでにテレビが見られるようになっていた。
 その折たまたまテレビで放映されていたのはプロレスリングの光景だった。現代の若者にはいまひとつピンとこないだろうが、大相撲出身の力道山というレスラーが大スターとなって一世を風靡していたあのプロレスの試合である。テレビなるものを初めて目にする離島育ちの世間知らずな中学生にとって、それはなんとも衝撃的な光景だった。仲間の男子生徒の殆どがテレビの前に釘付けになり、それに一部の女子生徒や引率の教師までもが加わって、旅館のロビー中に大歓声が響きわたった。その有様を目にした旅館の仲居さんたちはただただ驚き呆れ果てるばかりだった。
 それから程なく、テレビ電波は九州本土のみならず甑島のような離島にも到達するようになり、わたしが鹿児島市内の高校に通う頃までには、経済的に余裕のある家庭では存分にテレビを楽しめるようになった。そして、その当時、全国のお茶の間を沸かせていたのが、ほかならぬプロレス中継の番組だったのだ。ヒーローはむろん力道山、そして敵役としてはザ・デストロイヤーなどの外人レスラーが登場した。空手チョップが売り物の力道山と覆面姿で4の字固めが決め技のザ・デストロイヤーの死闘などは、プロレス番組の象徴的な存在だったし、後楽園などの特設試合会場も大盛況そのものだった。
 大人から子供まで、男性は言うに及ばず、多くの女性ファンをも巻き込んで国民を熱狂させたこのプロレス興行に、かく言うわたしもまた一時夢中になった。もちろん、絶対的正義の味方・力道山が敵役のザ・デストロイヤーを完膚なきまでに打ちのめす姿に胸をときめかせ、歓喜の拍手を送ったものである。
 それほどまでに観衆を熱狂させたプロレスなるものの実態は、極めて巧みな演出やもっともらしい筋書が用意され、ひたすら大儲けのみを狙った一大興行だったのだ。力道山とザ・デストロイヤーは、リング外の裏の世界では手を携え互いに利益を分かち合う興行仲間にほかならなかった。もちろん、その興行に陰で関係するテレビ局や新聞・雑誌などのメディア業界は、そんな裏事情を熟知しながらも、自社の利益のために視聴者や読者を煽る報道を繰り広げた。興行主やその傘下のプロレスラー、さらにはそのお零れに与る諸メディアの関係者は、こぞって高笑いに身を委ねていたことだろう。
(米国対中国のプロレス興行?)
 あえてプロレスの想い出話を書いたのは理由あってのことである。日本を取り巻く昨今の情勢が何故かかつてのプロレス興行そっくりに思われてならいからなのだ。正義の味方の力道山をアメリカに、悪の権化の敵役ザ・デストロイヤーを中国に、そしてプロレスの観衆を現在の安倍政権やその熱心な支持者たち、さらには南沙諸島周辺の国々に置き換えてみると、意外な背景が垣間見えてくる。
尖閣諸島や南沙諸島その他でザ・デストロイヤー役の中国は国際的な平和を乱す不埒な行為を平然とはたらく。日本や南シナ海周辺諸国は力道山役のアメリカに依存しながら、ザ・デストロイヤーの撃退を嘆願する。そこで力道山はどこまでも不遜に振舞うザ・デストロイヤーを、表向きには適度の緊張感を高めながらそれなりに懲らしめる。ただし、力道山は完全に相手の息の根を止め再興行が不可能になるようなことはしないし、ザ・デストロイヤー側も危険な必殺技を繰り出して力道山を再起不能にさせるようなことはしない。もちろん、悪役のザ・デストロイヤーにもそれなりのファンがいてこその興行だ。
 両者による緊張とスリルに満ちた巧みな興行が繰り返されるごとに、熱狂した観衆は相当額の観覧料を払ったり、その興行主やレスラー経営の系列店で大量の応援グッズや飲食品類を購入したりすることになる。知らず知らずのうちに観衆が支払うそれら多額な経費が、日本や韓国、さらには東南アジア諸国の負担する軍備拡張費・軍事基地維持費に相当しているのは言うまでもないだろう。儲かるのは、当然、陰の興行主や、実際には裏の秘密ルートを介して相互に意思を通じ合っている両レスラーたちである。
 国際紛争においては、対立する両陣営間の緊張が高まれば、軍需産業やそれを主産業とする国々は当然大きな利益を獲得し経済的にも発展する。もちろん、現実に両陣営間の戦争になってしまえば元も子もないが、寸止め空手なみにそこは互いに巧妙に振る舞う。表向きは平和の実現を唱えはするが、真の意味での絶対平和な世界の到来など双方にとって有り難いわけがない。暴利を貪ることができなくなってしまうからだ。
現在のアメリカと中国はその象徴的存在にほかならない。もちろん、観客の身であるとはいえ、軍事上必須な特殊技術を有する日本の一部大手企業などがそのお零れに与ることはあるだろう。だが、高笑いするのは、あくまで力道山たるアメリカとザ・デストロイヤーたる中国、そしてその両国の奥に潜み息づく蔭の興行主たる死の商人たちである。中国の科学系名門清華大学の設立由来や、第二次世界大戦中の中国に対するアメリカの貢献、米国の先端科学技術を支える数多くの中国人研究者の強靭なネットワーク、さらには両国の深い経済的依存性を考慮すれば、アメリカと中国の関係には二重三重のカラクリ構造が隠されているのは明白だ。それは日本の政治家や官僚らが想像するほど単純なものではない。
互いに斜向かいの家に住み、長年親交のあった故五十嵐武士東大名誉教授の言葉が今も耳に残る。アメリカ外交史の専門家でアメリカ学会長も務めた五十嵐教授は、「冷静なアメリカ指導部は日本をアジアの中の一国としてしか見ていない。特別同盟国扱いされていると信じて疑わない日本の政治家や官僚にその事実を指摘しても、彼らは聞く耳を持たない」と常々嘆いていたものだ。このプロレス談義が妄想に過ぎないことを願ってやまない。

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