時流遡航

《時流遡航》電脳社会回想録~その光と翳(26)(2014,05,01)

当然の結果としてBBCは財政難に陥った。BBCを敵視する大衆紙デイリー・エクスプレスなどは、「BBCの崩壊は目前」という大見出しのもと、煽動的な論調で同放送に対する辛辣な批判を書き立てた。リースはBBC問題の調査委員会に対しニュース放送の規制緩和を申し出たが、その委員で新聞経営者協会長のパーナム伯爵は、ラジオ放送の独占体であるBBCにはニュースの規制緩和を認めるべきでないと強硬に反対した。それでは既成の新聞社と通信社だけがニュースを独占することになり不公正だとするリースの反論に対し、パーナム伯爵は、傲岸な態度で、「君、それは新聞社と通信社の昔からの特権なんだよ。その特権を新参者のBBCごときに侵されるとなど論外なのさ」と言ってのけた。

(孤軍奮闘した理念の鬼リース)

逓信省は「BBC以外にも放送免許の交付は可能だし、BBC株は誰でも取得できるから独占とは断じられない」と弁明したが、「事実上は独占状況にある」としてBBCは厳しい批判に晒され続けた。各方面からのそんな糾弾に対して、リースは、「英国の将来の放送発展のために、いまは独占という蛮力が必要なのだ」と開き直った。それは、「確固たる信念の伴わない理想主義は悲惨なる結果をもたらすのみである」という、BBC応募時の主張そのままの強い決意に基づく開き直りであった。それから数年後、英国新聞界の象徴的存在であるザ・タイムズ紙はその時にBBCのとった態度を高く評価し、「独占を排除したあとに現れるものは単なる混乱でしかなかったであろう」とBBC擁護の論陣を張った。

BBCの広告放送は逓信大臣が特別に許可した場合をのぞき完全に禁止されていた。新聞業界が広告収入の減少を危惧してそれに反対したのと、スポンサーつきの放送を行うと番組水準が低下してしまうというおそれがあったからである。そのため、リースは多くの有力な国会議員らに自ら掛け合って彼らの信頼と支持を獲得し、その支援によってBBC放送が受信者から確実に受信料を徴収するための法律を制定してもらうことに成功した。BBC放送を受信する者に受信契約を義務づけ、違反者には相応の処罰をおこなうというこの法律の施行により受信契約数は一挙に増大し、BBCは広告収入などにまったく依存することなく収益を得、独自の方針にそった公正かつ高水準な放送を継続することができるようになった。そしてリースはその業績により常務取締役に抜擢された。

その前年までは関係者以外には知られていなかったBBCという名称は、23年度も終わりが近づく頃になると国内では知らない人のほうが少ないくらいになっていた。職員数も当初の4人から2百人近くにまで膨らんだ。そんな黎明期のBBCを指導するにあたって、リースは娯楽主義路線ではなく徹底した教養主義路線を敷くことにした。そのため彼はとくにアナウンサーの役割を重視し、「アナウンサーというものは豊かな教養と経験と知識を身につけるようにしなければならない。そして放送の準備と放送素材の研究に全力を傾けるように心がけなければならない」という訓示を通達し続けた。

国王の国会開会演説を中継したいと申し出て内大臣に断られても、リースはめげることなく何度もなんども中継放送の許可を申請した。ダービーやボートレースの中継を新聞連盟が禁止しようとすると、「蹄の音やオールが水を切る音を聴衆に聴かせるだけなら文句あるまい」と反論し、その不当な圧力に抵抗した。国家予算関係の報道やヴェルサイユ講和条約の解説などを行おうとし、大蔵省や外務省の怒りを買うことをおそれる逓信省官僚からその放送を中止させられたりする一幕もあった。政治家や省庁役人を番組に登場させる場合には逓信省との事前協議が不可欠とされており、その種の話はほとんど立ち消えになってしまうのが常であった。BBCの監督省庁である逓信省とすれば、物議を醸し出す前に手を打っておいたほうが無難だと考えていたからだった。だが、リースにはそんな逓信省の思惑に同調する気などさらさらなかった。論争を巻き起こさないような内容のものは報道番組として放送するに値しないというのがそもそもの彼の信条だったから、逓信省に対するBBCの戦いは時が経つにつれ熾烈を極めることにもなった。そして、抑圧されればされるほどに激しく反発するリースにとってその信念を貫く絶好のチャンスが到来した。

(BBCに利したジェネスト)

26年5月初め、英国のTUC(労働組合会議)は、石炭労働組合のストライキを支援してジェネラルストライキに突入するようにと国内労働者に広く呼びかけた。ただ、英国政府もTUC側も、実際にジェネラルストライキが敢行されるところまではいかないだろうと楽観していた。現実ににジェネラルストライキが強行されれば国民生活や国家経済にもたらされる影響は甚大だったから、当事者双方ともにまさかそのような事態にまで進展することはないだろうと踏んでいたのだった。

しかし情況の悪化を直感したリースだけは、交通機関が全面的に運行停止し、新聞や雑誌もまったく発行されないような非常事態にそなえて万全の対策をとった。BBCの社員のうち、徒歩のほか自転車や馬などに乗って通勤可能な者250人ほどをリストアップし、それらの人員でストに備えた臨時のシフトを組んだ。また、遠隔地居住者の50人については、自動車によって職場に出勤できるような態勢を整えた。そして、残りの従業員には事態の進行に従って柔軟に対応できる準備をしながら自宅待機をするようにと命じた。

空前絶後の一大ジェネラルストライキ突入の機運が高まるなかで、その回避を願う双方の内なる思いとは裏腹に、企業経営者側に立つ政府とTUCとの対立は激烈をきわめ、最終的な交渉は決裂するに至った。交渉決裂との確たる情報を5月3日午前1時に調停官筋から入手したリースは、千載一遇の機会到来とばかりに即刻行動に打って出た。リース直々の指示に基づき、BBCはこの情報を午前1時10分にニュースとしてではなく「お知らせ」というかたちで放送した。ニュースとしてこの情報を扱うには新聞社や通信社の許可を得なければならなかったからだった。しかしながら、そのささやかは「お知らせ放送」こそは、BBCが報道機関としてのその地位を広く国民に承認された瞬間でもあった。

新聞連盟は従業員のストライキによって新聞発行が不可能なことを確認すると、BBCに対するニュース配信の規制を一時的に解除した。それに対応してBBCは調停委員会およびロイター通信社との間に専用通信回線を設け、スタッフを常駐させてなにか動きがあるたびに報告をうけとりそれを臨時ニュースとして流しつづけた。必然的にその間ニュースはBBCの独占するところとなり、一般民衆の多くが刻々移り変わる情況を知ろうとしてラジオのまわりに集まり、真剣にその放送に耳を傾けた。

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