今年5月に行われたプロ棋士とコンピュータとによる将棋の対戦は、コンピュータ側の初勝利に終わった。コンピュータがプロ棋士を破ったという事実を前にして、一部のメディアなどでは、遂にコンピュータが人間の能力に追いつき追い越す時代が到来したと報じられもした。だが、既に述べたように、将棋に較べてゲーム構成の遥かに複雑な囲碁などではコンピュータはまだまだ人間の思考力には及ばないし、将棋の場合でも、森内名人や羽生三冠らに確実に打ち勝てるようになるまでには、なお長い時間が必要なことだろう。
敢えて厳しいことを言うなら、コンピュータの能力が人間のそれを超えたと判断できるのは、少なくともコンピュータ自らが将棋や囲碁に匹敵するような奥深いゲームを創造するようになった時である。スーパーコンピュータは複雑高度な数理科学の演算を超高速で処理することはできるが、その科学研究遂行のために必要な微積分方程式を自らが立てたり、新たな研究手法を独自に開発しそれを体系的に発展させたりしていくことはできない。コンピュータがプロ棋士に勝利した先般の出来事は、科学研究の世界に置き換えて考えると、人間なら何十年もかかるような計算をコンピュータが数秒間で処理できるようになったというケースに相当しているに過ぎない。
人間の人間たる所以は、思考力や認識力のオグメンテーションツール(能力増幅拡大装置)としてのコンピュータが従来の常識を破る演算データなどを提示したような場合、それらの適否を慎重に検討し、もし得られた結果が正当かつ有意義だと判断したならば、当該データを基にしてより高度な理論や演算処理体系を創造していくところにある。そして、その場合に不可欠な革新的ソフトウエア構築を実現可能にするものは、高度なコンピュータ言語や根源的な各種プログラミング技術を駆使する人間の力以外にはありえない。
(コンピュータ通信社会の誕生)
ところで、そんな人間の持つ特殊な能力のひとつと言えば、他の生物には類を見ない、豊で多面的なコミュニケーション力である。人類は、相互のコミュニケーションを高度化し迅速化することによって諸々の文化を築き、社会を発展させてきた。その意味では、コンピュータ技術が進化するに伴い、それをコミュニケーションツールとして活用しようという流れが生じたのは必然の成り行きであったろう。
コンピュータ科学を基軸に米国で芽生えた認知科学の発達に呼応するかのように、同国においては70年代に入るとコンピュータ通信技術が急速に進展し始めた。多種多様な文字や複雑な表記法の必要な日本語などとは異なり、アルファベット26文字と数字、それに簡単な補助記号だけで済む英語の場合、通信データ処理量やデータ処理技術がコンパクトなもので足りることも、米国でコンピュータ通信が先行発展した理由であった。
むろん、当時はまだテキストメールと呼ばれる文字データの送受信のみが可能で、直接かつ迅速な画像送受信などは行われていなかった。通信回線で画像を送りたい場合には、描画ソフトや当該画像データを文字記号コード群として送信し、受信側が受け取ったデータをいったんファイルとして保存し、あらためてそれをコンピュータで再現するというプロセスを経なければならなかった。画像の場合には、データ量が大きくなるうえに当時の通信速度は極めて遅かったこともあって、膨大な時間と高額な回線使用料が必要だった。
もっとも、そんな状況下にあったにも拘らず、米国社会では80年代初頭までにはインターネットの前身であるコンピュータ通信網が十分に発達普及し、諸大学の研究所や各種政府機関はむろんのこと、一般家庭の多くまでもがパソコンで相互に交信することができるようになった。そして、それに伴い、当然のように、現代の各種先端サイバー犯罪の原型ともいうべき原初的なコンピュータウイルスやロジック爆弾、トロイの木馬などが登場し、さらには諸重要機関システムへのハッキングといったような社会問題も生じ始めた。
ただ、米国の国防省や一部の先端IT技術研究機関などでは、一流のシステム・オペレータらが、通信回線を経由して管理システム内に侵入してくるハッカーをわざと遊ばせながら相手の能力レベルをチェックした。そして、その能力が極めて高いと判断すると侵入してきたハッカーの身元を逆探知し、責任者が接見したうえでその人物を先端技術開発者として雇用するということまでやってのけた。ハッカー出身のそんな天才的技術者らが高級人工知能言語LISPの開発で重要な役割を演じたり、国家のIT情報戦略組織の中枢メンバーになったり、IBMやINTELの根幹ソフトウエアの開発者に転じたりしていったわけである。我が国などでは到底考えられないような人材の発掘と活用法で、そのような面からしても、日本の国家的な情報戦略が完全に立ち遅れ、今更追いつきようのない状況に立ち至ってしまったのは当然のことだった。
(セキュリティ後進国の日本)
80年代半ば以前の日本においては、当時NTTが占有管理していた電話回線を用いてコンピュータ通信をすることは、外務省などの政府機関や特別に認可された商社・企業の一部関係者以外には許されていなかった。大学研究者や学校教育関係者などがパソコン通信の先導的な実験などを行おうとすれば、その都度NTTに認可申請をする必要があった。そんな面倒な手続きを踏んだうえで、アップル社製の8ビットPCを用い、米国と日本との間で英語によるパソコン通信を初試行した時代のことが今は懐かしい。日本でもコンピュータ通信の自由化が実現し、総合通信ネットワークのVANシステムが始動したのは85年4月のことであった。ようやく国内にもパソコン通信時代の夜明けが到来したのである。
近年頻発しているサイバー犯罪に対抗するため、昨年からホワイト(善玉)ハッカー養成の必要性が認識されるようになり、日本でも産官学挙げて若い人材の育成に取り組むようになった。そして今年4月には、総務省が、情報通信研究機構内に「サイバー攻撃対策総合研究センター」を設立した。初年度には100億円を投じるというこの国内初のサイバー犯罪対策研究開発組織は、NTTなどの民間企業や諸大学の協力を得て運営されることになっており、サイバー攻撃に対する実用的な検知・防御技術の早期確立を目指すのだという。だが、米国などに比べ実に30年余も遅れての対応であることを考えると、如何にこの国が複雑で高等な記号言語としての根幹ソフトウエアの存在意義を軽視してきたかが判ろうというものだ。無防備のままでいるよりはましだろうが、率直に言って、他国による国家レベルのサイバー攻撃に対抗することは最早不可能なように思われてならない。むろんそれなりの理由があってのことだが、それについては追って詳述することにしたい。