時流遡航

第9回 先端光科学研究の世界を訪ねて(1) (2011.3.1)

電子シンクロトロン(円形または長円形の電子加速器)で光速近くまで加速された高エネルギー自由電子は、弧状や波形の曲線軌道をとるように制御すると、軌道となる曲線の接線方向に強い光を放出する。便宜上、電子というものは小粒子として説明されているが、実際には「電子雲」とでも呼んだほうがよさそうな不定形のエネルギー塊である。超高速運動をするそのエネルギー塊が強い磁場で曲げられると、エネルギーの一部が剥ぎ取られ、曲線の接線方向に光となって飛び出す。シンクロトロン放射と呼ばれるこの現象の原理を詳細に説明するのは容易でないが、比喩的には、一杯に水の入った小型容器を空中で円弧状に振り回すと、水の一部が飛沫となって弧の接線方向に飛び出すときの光景を想像してもらえばよいかもしれない。

高輝度で均一かつ強い指向性(散乱せず一定方向に進む性質)をもつこの白色光は「放射光」と呼ばれ、近年、多領域にわたる先端科学研究に大きく貢献するようになってきた。なかでも、97年、兵庫県佐用町光都に建設された大型放射光施設「スプリング8」(Super Photon ring-8GeV の略称)は、世界最高の能力を誇る8ギガ電子ボルト(80億電子ボルト)の放射光専用の電子シンクロトロンを備え持ち、世界をリードする最新光科学の研究に寄与している。

世界最高輝度を持つ放射光

超高周波の放射光を扱うこの研究システムは、ミクロンレベルの微震動によっても大きな影響を受ける。瀬戸内の海岸線からかなり離れた中国山地の一角に位置するその地がスプリング8建設用地に選ばれたのは、震動に十分耐え得る強固で安定した巨大岩盤がその一帯に広がっているからだ。また、都市部などとは違って人工的な震動にも無縁な場所だからである。

スプリング8は、理化学研究所播磨研究所(石川哲也所長)放射光科学総合研究センター傘下の大規模研究施設で、その実質的な運営は財団法人高輝度光科学研究センター(スプリング8/JASAI)が担当している。

スプリング8では、電子銃で発生させた電子ビームを全長140メートルの線型加速器によって1ギガ電子ボルトまで加速し、その後、1周400メートルの長円型シンクロトロンに導入する。そこに誘導された電子ビームは、強力な電磁石群によって制御されている長円軌道を周回しながら8ギガ電子ボルトまで加速される。加速された電子ビームは、さらに1周1・4キロメートルの巨大な円型蓄積リング(写真)に導入され、8ギガ電子ボルトのエネルギーを維持しながら同リング内を周回し続ける。運動しながら貯蔵されている電子のエネルギーロスを防ぐため、この蓄積リング内は1億分の1パスカルという超低圧(人工衛星の飛ぶ宇宙空間と同程度のほぼ完全な真空状態)に保たれている。

また、放射光の発生過程や極微量の残留ガス分子との衝突、電子同士の衝突などによって失われる分の電子エネルギーを4ヵ所に設置した高周波加速装置で補充し、常に蓄積リング内の電子流を一定に制御する。それによって、放射光発光用の各種機器に安定した電子ビームを供給できるのだ。

巨大な円環構造を持つ蓄積リングの周囲には、リングの反時計回り接線方向に伸び出すように、「ビームライン」と呼ばれる放射光の応用研究施設が設けられている。総計62ラインまで付設可能になっており、現在、長さが50メートルほどのものから1キロメートルにも及ぶものまで合計53本のビームラインが稼働中で、ほかに2本が計画・調整・建設中である。近い将来、すべてのビームラインが完成する予定だという。

蓄積リングを周回する電子ビームをビームラインに誘導し、偏向電磁石で進路を曲げたり、アンジュレータ(電子ビームを強制的に蛇行させる装置)で激しくうねらせたりしてやると、電子ビームの曲線軌道の接線方向に進む放射光が発生する。スプリング8で生成生可能な放射光は、波長100万分の1メートルの赤外線レベルから波長1兆分の1メートルの硬X線レベルにまで及ぶ。なかでも真空紫外線レベルから硬X線レベルの波長の放射光は、世界最高の輝度(明るさ)を誇っている。現在、物質科学から生命科学に至る諸々の先端研究に威力を発揮しているのは、可視光線より遥かに波長の短いこの領域の放射光である。

太陽光や従来のX線の1億倍もの輝度を持つスプリング8の放射光を応用するため、東大・京大・阪大やトヨタその他の民間企業なども続々とビームラインの運用に積極参画するようになってきた。また、JAXA(宇宙航空研究機構)の惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」から持ち帰った貴重な微粒子の組成分析なども、このスプリング8のビームライン(BL47XU)を用いて進められている。イトカワのものと思われる微粒子のうちの40個の分析がスプリング8に委託されているが、詳細については回を改めて述べることにしたい。「はやぶさ」の快挙が契機となって、世界に誇るべきこの光科学研究センターの存在が衆目を集めるようになってきたのは、ともかくも喜ばしい限りである。

超短パルス高輝度光の重要性

生命科学や物質科学の先端研究にとって、なぜそんなにも波長が短く輝度の高い光が必要となるのか。その訳は、ナノ(10億分の1)メートルサイズの蛋白質の分子構造やオングストローム(100億分の1メートル)サイズの水素原子の構造などを調べるには、それらのサイズと同程度かそれよりもずっと短い波長の高輝度度光が不可欠だからだ。波長が長く輝度の劣る光線下での探査は、喩えるなら、薄明かりのなかで、1センチメートル間隔の目盛しかない定規を使って蟻の足先の細毛の太さを測るようなものだ。その点、驚くほどに波長が短く輝度の高い放射光は、超極微な世界の事象の分析やイメージングを行うのに最適かつ無二の存在なのである。

現在は各種化学変化の反応過程における電子の動きを50億分の1秒ほどの発光時間を持つパルス光で調べている。だが、その動きを完全に解明するには、金属原子間の電子のやり取りを発光時間ピコ(1兆分の1)秒レベルのパルス光で調べることが必要となる。そのため、石川所長らが完成に尽力中のX線自由電子レーザー(XFEL)の稼働が待ち望まれている。

XFELについては追って詳述するが、それは可視光線のレーザー光同様、綺麗に波長の揃った強力なX線のことで、スプリング8の放射光の10億倍もの輝度を持ち、発光時間が秒(1000千兆分の1秒、光が0・003ミリメートル進む時間)単位レベルのパルス光である。XFELを用いると原子・分子のようなナノ構造体の3次元像や、それらが瞬時に変化する様子などを直接観測できると期待されている。

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