時流遡航

~大学乱立と学力低下の背景(1)~(2013,01,15)

「暴走老人」の向こうを張っていた「暴想老女」の田中真紀子前文部科学省大臣は先の衆議院選挙で落選し、今後急速に政界からその影が薄らいでいくことは避けられそうにない。ただ、衆議院解散を前にして大学新設の不認可発言を行い、日本の大学の質低下に対する危惧を訴えかけた前文科大臣の真意やその背景については、この際もう少し考察を深めておいたほうがよいかもしれない。田中前大臣自らが真摯に日本の大学の現状を憂えたうえでの意見表明だったのか、それとも文科省官僚らの二重三重の思惑に誘導されての振舞いだったのかはいまひとつ定かではないけれど、その発言の唐突さや時期的問題、さらには過去10年来の急激な大学新増設の裏事情に鑑みるかぎり、後者の見方のほうがより実態に近かったのではないかと思われる。

多方面からの厳しい批判を受け、結局、不認可発言は撤回される運びになったのだが、一時的ではあったにしても、新設不認可の槍玉に挙げられた札幌保健医療大をはじめとする3校がいずれも公立大学であったという事実は、実際のところ、なんとも暗示的である。いささか詮索が過ぎるとお叱りを受けるかもしれないが、その意味するところをいま少し深く考えてみると、問題の本質が垣間見えてくるような気がしてならない。新・増設認可申請の出されていた私立大学のほうは問題にせず、公立大学3校の新設申請のみを不認可の対象にしたことからしてなんとも不自然な話なのだ。田中前文科大臣が当初からそれら3校の認可申請に疑義を抱き、さらにはその申請内容になんらかの不備や不適切さがあることを確認したうえでの行動だったとは到底思われない。任期終了間近な文科大臣を巧みに操り、特別な意図のもとで問題の3校を槍玉に挙げるよう裏で手引きしたのが、ほかならぬ文科省の官僚たちだったと考えるのは、筆者の勘ぐり過ぎなのだろうか。

(大学新設不認可発言の裏事情)

どう見てもこれ以上の大学の新設増設が望ましいとは思われない状況下のことゆえ、田中発言には一理があると考える人も少なくはないだろう。だが、それにもかかわらず、その発言は一種の暴言として関係自治体やマスコミからの批判に晒され、不認可の撤回を迫られたばかりでなく、田中氏が衆議院選挙で落選する遠因のひとつにまでなったようだ。率直に言うと、近年の大学急増の実態やその理由に精通していたとは言い難い田中氏が、十分な情報もないまま、自ら進んでその種の危ういスタンドプレーに政治家としての前途を賭けたとは考えにくいから、他に得をした存在がどこかにいたということだったのだろう。

詳細については後述するが、新設された私立大学や法人化後の国立大学は官僚らの格好な天下り先になっている。だが、制度上の理由もあって地方自治体の管理下にある公立大学は国家官僚らの直接的な天下り場所にはなりにくい。そのため、行く先短い政権の文科大臣を巧みに操り、不認可の一石を投じて一時的に混乱を惹き起こし、手際よくそれを収拾するかたちで自治体側や公立大学当局に恩を売り、その影響力によって天下り先の拡大を図ろうとする意図が見え隠れするようにも思われてならないのだ。不認可表明が撤回されたあとも、大学の質的低下の問題や経営状態について議論し、その対応策を検討する委員会みたいなものが設けられはした。だが政権が交代し肝心の前文科大臣が政治の表舞台から姿を消した今となっては、検討委員会そのものが掛け声倒れに終わってしまう可能性が高い。

少子化の進む我が国では選り好みさえしなければ大学への全員入学が可能となり、定員割れの大学も続出する有り様だ。それにもかかわらず、現在、国内には、国立大学86校、公立大学92校、さらには私立大学605校の合計783校にも及ぶ大学に加えて、550校余の短期大学が乱立している。さらに法科大学院などの各種専門職大学院、通信制大学院、株式会社立大学院などが次々と登場しているほか、既存私学における学部学科の新増設は目に余るばかりである。いまこの国は大学の花盛り、名花だけならまだよいが、醜悪な色と香りを放ちまくる怪花までが我が世の春を謳歌している。

過去10年間において国立大学は統廃合などもあって99校から86校へと13校減少、公立大学は75校から92校へと17校増加しているが、国公立大学全体としては3校増加しただけで数の変化はほとんどない。だが驚いたことに、私立大学はこの10年間に512校から605校へと93校も増加している。特に2003年から2007年の4年間には68校もの私立大学が新設された。またその流れに呼応するようにして、テレビによく登場する評論家や新聞雑誌記者、タレントらの多くが、いつのまにか、耳慣れない大学や大学院、研究所、あるいは学部学科などの教授や助教授、講師としてその名を連ねるようになっていった。その有り様を一口に形容すれば、大学教師になるためには、基礎学問をじっくりと修得するよりもテレビや雑誌で顔を売ったほうが早道の時代が到来したということにもなろう。どう見てもこれは異常な事態あり、大学の質の低下を物語るなんとも悲しい出来事にほかならないのだが、いったいこの事実の裏にはどんな事情が隠されていたのであろうか。

(大学設置基準改正が発端に)

この問題の発端は、小泉政権下において2002年~2003年頃に画策された大学設置基準や学校教育法の改正と法令解釈の変更にあった。それまでは、大学や既存大学の学部学科の新設にはその数年前までに新設認可申請を行い、設置諸条件を満たしていることを当該大学就任予定の教職員以外の専門家からなる機関に厳しく事前認証してもらう必要があった。ところが、その折の法令改正や法令の新解釈に伴って、大学や学部学科を新設する場合には、事後認証を受けるべく、新設後にその教育研究等の状況を自ら点検評価し、その結果を公表すればよくなった。公表された自己評価の公正さや透明性を保証するため第三者による新たな事後認証制度の導入もあわせて規定されていたが、当初その検証法や認証機関の組織化は暗中模索の状態で、明確な基準が具体的に定められているわけではなかった。

その当時、たまたま建物の耐震設計評価に当たった民間検証機関の杜撰さや同機関への役人の天下りの是非が取り沙汰される事態が生じたが、民間機関による新・増設の大学評価はそれ以上に問題となる可能性が高かった。耐震性は設計図をもとに再検証が可能であるが、学問の専門研究や教育、さらには人格そのもの評価さえも絡む大学の実効的な事後評価など現実には困難至極な話だったからだ。最悪の評価が出た場合でも改善勧告を出すのが精々で、新設の大学自体を容易に廃止するわけにはいかないにもかかわらず、大学設置のプロセスは「事前規制」から「事後評価による認証」へと大きく転換することになった。

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