日本列島こころの旅路

(第28回)原子力発電所災害に思うこと(その18)(2012,10,15)

原発問題を一通り展望してきたが、一連の問題の処理には長い年月が必要で、一朝一夕に全ての懸案を解決するわけにはいかない。国民全体の冷静かつ先見的な判断と真摯な協力体制とが伴わなければ、事態は悪化の一途を辿るばかりだろう。過日のことだが、福島の放射能汚染地域の除染に伴う汚染物質の最終処分場候補地に鹿児島県南大隅町の名が浮上した。脱水焼却し濃縮された汚染物質を福島県内に設置予定の中間処理施設で一定期間保管し、最終的にはそれらをガラスで固めてスチール缶に詰め、最終処分地候補の南大隅町の地中深くに半永久的に貯蔵し続けようというのである。昨今の原子力政策の窮状を案じた末に浮かび上がった提案だったに違いないが、そのことが報道されるとすぐさま、周辺自治体は強い反対の意思を表明し始めた。もしもこの話が今後一層の進展を見せるようなら、率先して負の役割を担おうとする南大隅町に対して全国から深い謝意や評価が寄せられてしかるべきだろうし、同町への国家的支援もそれなりに考慮されるべきだろう。

この種の話が持ち上がるとすぐに、当該自治体などに対して、地域の安全を無視した財政優先の発想だとの批判が生じるのは常なのだが、もうそのような異論ばかりを唱えておればすむような状況ではなくなったのだ。批判をするなら、責任ある代替案を策定したうえでことに臨むべきだろう。反対の意思表明をしている住民や周辺自治体に対しても、関係当局は、放射性物質を封入したスチール缶の地中埋蔵保管処理がその周辺地域を直接に放射能汚染することにはならないことを、繰り返し科学的に立証説明するべきである。一連の事態により原子力関係の専門家が信頼を失ってしまった現在、説得は容易ではなかろうが、最早その困難を回避し続けるわけにはいかない。

過去何かと批判されることの多かった原子力安全・保安院がその役割を終え、新たに原子力規制委員会と原子力規制庁が発足したことは、ともかくも原発行政における新たな一歩には違いない。原子力規制委員長に任命された田中俊一氏に対しては、原子力ムラの出身者だという批判が多々なされているようだが、容易には適任者が見当たらない現状を思うと、当面この人選はやむをえないだろう。既に述べたように、日本の原子力工学分野の研究者や技術者は皆相互に何らかの関係を有しており、「原子力ムラ」という言葉を広義に捉えるならば、それに無関係な原子力の専門家など皆無だと言ってよい。だからと言って、原子力分野の専門知識に無縁な人々だけで規制員会を構成するわけにもいかないから、ここは現実を見据えた冷静な対応が必要だろう。委員長に就任した田中氏は福島の除染作業にも率先参加し、過去の国内原発の実態についても独自の批判的見解を持っている人物のようだから、ここは落ち着いてじっくりとその手腕を見守ったほうがよい。

反原発を唱える人々にすれば、大江健三郎や坂本龍一両氏のような、初めから旗色の鮮明な著名人の委員長就任を願ってもいたのだろうが、それはあまりにも短絡的な発想だと言える。米国の原子力規制員会にみるような人材は期待すべくもないが、原子力に関して一定の専門知識を有していないかぎり的確な任務の遂行は不可能である。もし、人選に納得がいかないようなら、単に批判するだけでなく、それなりの能力を持つ適任者を推薦するなりの代替策を講じるべきだろう。

なお、これは一般論になるのだが、今後我が国では、高い見識をもつ科学者や社会科学者の政治的な発言力を一段と高めていく必要があろう。ニュース番組やバライエティ番組に登場するような専門家もどきの存在ではなく、一定の影響力を有し、重要な行政に直接関わる真の意味でのブレイン的存在が不可欠となってくる。とくに国の将来を左右する学術行政、なかでも国際的にも遜色ない科学行政を実践するには、功成り名遂げた著名な学者などが政治家に転身することも考えられるべきだろう。欧米先進諸国や隣国の中国などでは、高度な科学知識を持つ専門家が有力な政治家になったり、政府の要職を務めたりしている。それに比べると日本の現状はあまりにも見劣りがしてならない。各種の諮問委員会などに名を連ねる研究者は多いが、あくまでもお客様的な存在にすぎず、事実上何の決定権も主導権も与えられてこなかった。諸々の原発問題の対応に当たった専門家らの状況を見るにつけても、日本の現状が危惧されてならない。

近代社会の誕生以前は「安全確保」は自力頼みのものであった。動物的な嗅覚をもって迫り来る危険を察知し、集団内での助け合いはあったにしろ、基本的には個々が具え持つ危険回避本能を頼りに己の身を守った。限界はあったにしろ、身を守るのは自己責任だという自覚が先にあったからリスク対応能力にも磨きがかかったし、万一不慮の事態に陥ったとしてもその運命に耐え甘んじるだけの決意があった。だが、近代社会にあっては「安全確保」は他力頼みのものとなり、危険から身を守ってくれるのは国家であり社会であるという考え方が当然のようになってしまった。自らは何をしなくても公的存在が危険を防いでくれるはずだとするこの他力依存の体質は徐々に危険察知本能を蝕むとともに、不祥事の際に自己責任を極力回避してしまう昨今の国民性を生み出すことにもなったのだ。

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