維新の実情を知るために東京に出た主人公の青山半蔵が目にしたものは、「祭政一致」の理念も「神仏分離」の願いもすべて反古にされ、神社行政に貢献した国学者らが誰一人として国政に重用されることもなく、ひたすら西洋化を急ぐ維新後の近代日本の姿だった。挫折し絶望しきった半蔵は明治天皇行幸の際に、「蟹の穴ふせぎとめずは高堤やがてゆくべき時なからめや」という和歌を扇子にしたため、行列に向かって投げ入れる。そして、駆け寄った巡査に取り押さえられてしまう。後日なんとか放免されて馬籠に戻った半蔵は、気を取り直して村の子供らの教育に当たろうとし、また、時代の流れを学ばせるために自分の息子(すなわち藤村)を東京に遊学させる。しかしながら、日々の生活に追われる馬籠の人々はもはやそんな半蔵の姿を快くは思わなくなっていた。
明治十九年の春のある夜、青山半蔵は発狂したように近くの寺に向かい、お堂に放火する。『夜明け前』」の中には、「半蔵の放火は仏教への放火だった。我慢に我慢を重ね、仏教に背こうとした放火であった。仏に反逆したのではない。神を崇拝するためでもない。神仏分離すらまっとうできなかった『御一新』の体たらくが我慢できなかったのだ」と書かれている。半蔵は長男に縄で縛られ、親族や村人らが用意した座敷牢に幽閉される。牢中で古歌をしたためたりはするが、結局、そのまま五十六歳で死んでいくのである。
藤村が生まれ育った馬籠の本陣跡には、現在、島崎藤村記念館が建っている。そしてそのすぐ隣には有名な詩「初恋」に登場する「おゆふさん」の実家だった大黒屋がいまもなお存続している。藤村が文豪として大成した背景には、幼児期に木曽の豊かな自然の中で育ったということのほかに、各種文化情報や文物の集まる本陣という当時としてはきわめて恵まれた文化的環境下におかれていたことなどがあったのだろう。フランス留学時の資料や諸々の作品の原稿・草稿類など、記念館に収蔵されているその膨大な足跡を目にしていると、ただもう驚愕し圧倒されるばかりだった。漱石や鴎外もそうなのだが、「真のエリートとして国を背負う」という強列な責任感のもとで欧州に学び、帰朝して後進の育成と文学界の発展に心身を捧げた明治の大文豪の気迫が時を超えて伝わってきたからである。
以前に記念館を訪れたときには、藤村が恋したという東北学院時代の教え子、佐藤輔子の写真と日記なども展示されていた。先日訪ねた際にはそれらの資料を目にすることはできなかったが、その知性美、達筆このうえない毛筆文字、簡潔ながらも的確かつ切れ味鋭い文体などは、さすが藤村が見初めた才女だけのことはあると思われるものであった。
「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」と詠んだ初恋の相手の「おゆふさん」は、もうその頃には妻籠の脇本陣の奥谷(林家)に嫁いでおり、藤村にとっては既に遠い過去の人となっていたのであろうが、まあ、それはやむをえないことである。現在資料館になっている隣の妻籠宿の奥谷(林家)には、大成を遂げたのちの島崎藤村自身が「おゆふさん」に寄贈したという、直筆の「打てや鼓の春の音」の書き出しで始まる詩額が飾られている。
藤村記念館収蔵の資料の中で人間的に見て大変に興味深いのは、父親の島崎正樹が勉学中の息子春樹、すなわち藤村に与えたといわれる戒めの一文である。全体的な大筋は、「盛り場や遊興の地への逗留を避け、山師や糸師、賭博師といった一獲千金を夢見る詐欺師まがいの連中との交際を慎むように」といった内容の文書だが、その中に、「嫡子が生まれない場合をのぞき、妾女は持たないように」という当時ならではの訓戒が記されている。ところがなんと、そのすぐあとに、「ただし、このことはなかなかに難しい問題なので、大体のところを記しておいた」という趣旨の意味ありげな補足文がついているのである。書いたあとで己の人生を振り返り、ついつい付け足したものなのであろうが、如何にも人間らしい島崎正樹の心の内が偲ばれて、思わずにやりとさせられもした。
展示館の一角には小部屋があって、藤村が生前原稿執筆に用いた机や座布団、火鉢などの調度類が当時のままに復元配置されていたが、それらは見るからに簡素なものであった。昔風の木机に向かって背筋を伸ばして正座し、一心不乱に原稿の筆を執ったであろう在りし日の藤村の姿が偲ばれて、眺めているほうもなんとも厳粛な気分になってきた。「そうだよなぁー、こうやってちゃんと姿勢を正し、真摯な気持ちで筆を執るのでなきゃ、良い作品なんか絶対に生まれてこないんだよなぁー。どう考えたっていまの自分なんか失格だよな……」という、感嘆とも懺悔とも諦めともつかない思いが一瞬脳裏をよぎっていった。
馬籠の集落のすぐそばにある永昌寺の墓地には、島崎藤村一家とその父島崎正樹のと墓がすこし離れて設けられている。それらの墓所周辺から仰ぎ見る早春の恵那山の姿は冠雪が陽光に映え眩いばかりに美しかった。