原子炉等規制法などによって、放射線業務従業者に対する年間の放射線被曝許容線量は150ミリシーベルト以下と定められていたが、それは、国際放射線防護委員会が1977年に打ち出した勧告に基づいて決められた数値であった。一方、1976年に労働基準局長通達によって定められた業務上の放射線被曝者に対する労災認定の目安となる放射線被曝総量は、1年当りに換算すると15ミリシーベルトとなり、原子炉等規制法に基づく法定被曝許容線量の10分の1という厳しさになっていた。また、1991年当時の資源エネルギー庁編纂の統計資料によると、各原子力発電所の放射線業務従事者のうち、法定被曝許容線量を超えたケースは1例もなかったが、労災認定の目安である年間15ミリシーベルトを超える被曝者は2990人で、全体の4.1パーセントにものぼっていた。
法定の被曝線量は放射線障害予防基準であるのに対し、労災認定の基準値はあくまで救済のための目安であり、双方の基準数値の性格や意味するところは異なっている。また、どの程度の放射線を浴びれば白血病になるかについては相当に個人差があって、現在においてもその因果関係の特定には大きな困難が伴っている。福島第一原子力発電所の事故に続く一連の状況が物語っているように、低線量被曝による人体への影響については、その道の専門家でさえもいまだに信頼できるデータを把握できていないのだ。
原子炉の保守や放射性廃棄物などの処理に当たる作業員の被曝量のチェックや健康管理などについては、当時からどこの原発にあっても表向きには十分な配慮と慎重な対応がなされているとの報告がなされていた。だが、現場の作業員、なかでもいわゆる協力会社傘下の下請け作業員らはリスクの高いその仕事に生活を賭けており、しかもそれなりに高い労賃を支給され、また家族を背負っていたりするとなると、相当な被曝線量オーバーがあっても直ちに仕事を辞めたりするわけにはいかず、ついつい無理をしてしまうのが実情だった。一方、電力各社にしても、熟練と機密保持を要する現場作業員をあらかじめ多人数雇用しておき、安全基準をしっかり守るために、一定期間で要員を交替させつつ作業を遂行させる体制をとるには、人事管理、財政などの面からして困難な事情もあったようだ。
だが、どんなに時間と費用が必要だとしても、本来的には十分な安全管理体制をとっていくほかないはずで、そうでなければ、先々、放射線被曝による障害者がますます増えるおそれがあった。細管破断事故を起こした美浜2号機の蒸気発生器の交換に際して、当時の関西電力は、「被曝線量が増えた作業者は配置を換え、年間許容限度のほぼ半分に被曝線量を抑えている」と説明していたようであるが、それを表向きの一時的なポーズにととどめず、徹底した安全管理の姿勢を貫いてもらいたいものだと思ったものである。
その時以来、私自身は、日本国民はもう原発問題を自分には関わりないことだとして無視し続けるわけにはいかなくなっているのだと感じるようになった。放射性廃棄物は、遠いところに棲息する原子炉という怪物の吐き出す汚物ではなく、実は我々自身の排泄する糞尿そのものにほかならないのだ。どんなにそれが汚くても、我々はそれを直視し、それなりのリスクを背負い、その処理と対応に自ら真剣に取り組む意識を持たねばならないはずだった。快適な環境のなかで美味しい料理をたらふく味わい、その料理に起因する排泄物には我関せずといった態度を採り続けることが何時までも許されるはずはなかった。時には自ら率先して粗食に耐える覚悟すら必要なはずだった。また、それでもなお美食に飽き足らないというのであれば、それに起因する汚物の処理を他人任せにしてばかりいるのではなく、その処理に当たる作業員らにもそれなりの心配りをし、さらには一定程度の費用の負担をすることも忘れてはならないだろうと思われた。
私が大飯原発を取材した18年前当時の状況なら極めて深刻な事態になっていただろうが、近年の各種節電技術やガスタービン発電技術の飛躍的進歩、揚水発電システムの普及、大震災に伴う社会全体の節電意識の高まりなどにより、今回の原発事故による東京電力管内の電電力不足はなんとか回避することができた。だが、首都圏で直下型地震が起こり、電力網や送水システムが破壊されたら、都会の住宅への電力や水の供給は完全に停止し、便利と清潔さが売り物の近代的水洗トイレなどは使用不能になってしまう。そんな事態が起こったような場合、自らの排泄物の処理は言うに及ばず、汲み取り式トイレの使用さえも不潔で卑しいものとして拒む現代の都会育ちの人々の多くは、いったいどのように対処するつもりなのであろう。意外に思われるかもしれないが、原発の問題はそのあたりのことと決して無関係なのではない。糞尿といった直接的な排泄物について考えるのは当然だが、放射性廃棄物という社会の間接的排泄物についても、その汚さや有害さを他人事のようにヒステリックに責めるのではなく、自分の問題として真剣に受けとめるべきところに我々は来てしまったということなのだ。既存の原発が残した、あるいはこれから残すであろう排泄物の処理には避けがたい負の選択が伴う。間接的であったにしろ「原発」という美食に甘んじてきた我々は、いまその覚悟を迫られている。