日本列島こころの旅路

(第33回)国宝渡岸寺十一面観音を訪ねて(その2)(2013,4,15)

胸の高さに上げられた十一面観音像左手の中指、薬指、親指の三指は水瓶の長い首に軽くまるめて添えおかれ、残りの人差し指と小指の二指は優美なかたちで宙に伸び出していた。また、いっぽうの右手は体の側面に添うようにして自然な感じで下方に伸び、感情、頭脳、生命の三線の深く彫り刻まれた(てのひら)の先につく五指は、いずれもまっすぐに地を指していた。水瓶を支える左手の親指と中指が輪を成して触れ合っていることから、敢えて仏像個々に固有な印形にこだわった見方をするならば、それは中品中生(ちゅうぼんちゅうせい)印のデフォルメとでもいうことになるのではなかろうかと思われた。

死者の魂が昇る浄土は上品(じょうぼん)中品(ちゅうぼん)下品(げぼん)の三界に分かれ、さらにそれぞれが上生、中生、下生の三層に分かれているという。すなわち、極楽界は上品上生(じょうぼんじょうせい)から下品下生(げぼんげせい)に至る九つの階層に分かれており、「九輪の塔」なる存在はその象徴なのである。九品仏と呼ばれる九体の阿弥陀仏が安置された寺などがあるが、異なる印を結んで並ぶ仏像は、九つの階層に分かれた各々の極楽界を守護しているのだそうだ。不信心なこの身には極楽往生など無縁な話だし、万一極楽界に縁が生じたとしても、九輪の塔の最下層にあたる下品下生の世界の端に指先で辛うじてぶらさがれる程度のものだろうから、来世に期待などしてはいない。

ただ、極楽界にも階級差が存在するという考え方そのものはなかなかに興味深い。そう言われてみると、奈良時代や平安時代の貴族の持念仏(個人的に所有し、それに来世の願いをかけた小仏像)などは、ほとんどのものが上品上生の印を結んでいるようだ。同じ極楽界でも最上の階層に昇りたいという願望が秘められていたことを思うと、人間というものの救い難い欲望の深さが痛感されてならない。そもそも、今は日常的に使われている「上品」とか「下品」とかいう言葉のルーツは、なんとも世俗的なこの極楽思想のあたりに求められそうだから、話はますます厄介なことになる。

もっとも、渡岸寺十一面観音像の結ぶ印形が中品中生印のデフォルメであるとするなら、この仏像は平均的な極楽界、すなわち上品でも下品でもないごく普通の庶民的な極楽世界を象徴していることになるから、その意味ではなかなかに好感が持てた。胸から腰にかけてのその豊満な体の線は美しかったが、さらにそれを妖艶なまでに引き立て強調しているのは、左側にかなり大きくひねられた腰部の造りだった。しかもこの腰部の秀麗このうえないひねり具合は、この像全体の安定感を崩すどころか逆にそれを深めさえしていた。仏師が素材の形状にかかわりなくはじめから意図したものなのか、一木造りのゆえに素材の形状を活かすべくしてこのような形に仕上げたものなのかは知る由もなかったが、その技能の程は実に見事なものに思われた。瓔珞(ようらく)(仏像が身につける宝飾)も、そして優しく流れるように全身を巻き包む羽衣様の天衣も繊細で(みやび)なことこのうえないものだった。

御尊顔はと仰ぎやると、久遠の祈りをこめて瞑目するかのような切れ長の両半眼を、端正な眉から鼻筋へとのびる秀麗な二本の曲線が半ば包み込むように取り囲んでいた。また、鼻柱を構成する線はギリシャ彫刻のそれのように端麗で、正中線がはっきりと浮き出た口元は小さくきりりと引き締まり、穏やかななかにも森厳さを湛えた表情全体の(かなめ)の役割を存分に果たしていた。また、ふっくらとした両頬は顔の表情全体に円やかさをもたらしており、頭髪との境をなす額の線は変化に富み、しかも柔らかこのうえない感じだった。

一般に十一面観音像は頭頂部の宝髻(ほうけい)に十一個の化仏、すなわち小仏面をもっている。詳しく述べると、前頭部に菩薩の慈悲を表わす三個の菩薩相面、左側頭に憤怒の形相をした三個の瞋怒(しんど)相面、右側頭に牙を剥き出した形相の同じく三個の狗牙出相面、後頭部には大哄笑している相の一個の暴悪大笑相面、そして最頭頂にひときわ大きく天に突き出すような如来相の仏面一個と、合計十一個の小仏面が配されている。本面を入れると十二面となるのだが、なぜか十二面観音とは呼ばれない。十一面観音信仰の典拠となる「仏説十一面観世音神呪経」や「十一面神呪経」にも、その形状について頭頂に前述したような十一面の小仏面を戴くと説かれているようだから、こればかりは文句を言ってもはじまらない。

ところが、この渡岸寺十一面観音は化仏の数やその配置でも型破りな存在なのだった。前頭部に三個あるべき菩薩相面が二個しかないが、そのかわりにそれら二個の菩薩面の間、すなわち本面の中心線延長上によく見ないと判別しづらい小さな如来立像が一体配置されていた。また、左側頭部には二個の瞋怒(しんど)相面が配され、残り一個の瞋怒相面は左耳の後ろ側に彫り加えられていた。同様に右側頭部には二個の狗牙出相面が並び置かれ、残り一個の狗牙相面は右耳の後ろ側に添えられ、さらに、暴悪大笑面は本面の真後ろに位置する文字通りの後頭部に彫り込まれていた。しかも、この暴悪大笑相面は実に表情豊かで、その哄笑ぶりは豪快なことこのうえないものだった。両耳にかなり大きな鼓様の耳飾りがついているのも意外なことで、それは西域の文化の影響を表すものであるに相違なかった。

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