もちろん、いくら大きな鞴(ふいご)があっても、燃料となる木材や木炭が大量になければ話にならない。濃縮した砂鉄を溶かして粗鉄をつくり、それをまた何度も高温に加熱して鍛錬を繰り返し、刀剣の刃などに用いる玉鋼(たまはがね)を得るまでには、途方もない量の木材と労働力を必要とした。精製技術が十分に発達していなかった初期の頃には、競技用砲丸玉ほどの量の玉鋼を精製し、それらをもとにわずかな数の刀剣を造るだけでも森林何十ヘクタール分もの木材を必要としたという。だから、たたら製鉄法による鉄器の製造に付随する自然環境破壊は想像以上のものだったろう。製鉄技術をもつ工人集団が朝鮮半島から我が国に移住してきた理由の一つは、木材を切り尽くし、製鉄に必要な燃料の入手が困難になったことだったという歴史的考証もあるようだ。朝鮮半島東岸一帯は花崗岩質の固い土壌が多く、植物の繁殖には必ずしも適してはいない。そのうえ、地理的ならびに気象学的な理由によって日本よりずっと雨量が少ないから、森林が皆伐されてしまうと、その復元には途方もない時間がかかってしまう。現在も朝鮮半島東岸に樹林帯が少ないのは、古代の製鉄作業にともなう森林伐採が一因だとする説もあるくらいだ。
一方、幸いなことに、我が国には森林形成に適した豊潤な土壌と、その土壌の上に発達した豊かな森林が存在していた。しかも、その森林、とくに照葉樹の雑木林は、大量に伐採してもそんなに年月を要せずに復元する力と条件をそなえていた。そして、その森林復元力の源(みなもと)は、太平洋を流れる暖流黒潮と日本海を流れる黒潮の分流対馬海流、オホーツク気団と小笠原気団の間に形成される梅雨前線や秋雨前線、さらには夏から秋にかけて次々に日本周辺に来週する台風にあったと思われる。我が国は平均日照時間も長いうえに、両海流に挟まれている関係で平均気温も高い。夏場に太平洋側から大陸に向かって吹きぬける南東の季節風は、黒潮の流れる太平洋から立ち昇る多量の水蒸気を日本の内陸へと運び、山脈にぶつかったそれらの水蒸気は大量の雨となって山野に降り注ぐ。逆に、冬場には、大陸から太平洋に向かって吹き出す冷たく乾いた北西の季節風が、日本海を吹き渡るときに対馬海流の表層から絶え間なく激しく立ち昇る水蒸気を吸収し、それを山陰や北陸、東北地方西岸側の内陸に運ぶ。もちろん、それらの水蒸気は、大量の雪となって山野を埋め尽くす。
おまけに、梅雨前線や秋雨前線伝いに次々とやってくる移動性の低気圧や、夏から秋にかけての台風は、洪水をもたらすほどの大雨を降らせる。このような気象条件下にある我が国の森林の復元力が、朝鮮半島や中国大陸一帯のそれより遥かに大きなことは当然のことだろう。昨今日本各地を旅してみるとよくわかるのだが、安い外材の輸入や化石燃料の普及で伐採されることの少なくなった我が国の山林は、かつての濫伐状態からすると随分復元を遂げつつある。むろん、ブナや檜、杉の森林を昔の自然林の状態にまで復元するとなるとそう簡単にはいかないが、それでも一時期よりはるかに事態は好転している。恵まれた気象条件の国に住む我々には、至極当然のようにも思われがちだが、自然条件の異なる他国の状況を考えるとこれは大変なことなのだ。
私が育った鹿児島県の甑島では、当時、照葉樹林を伐採して大量の薪を確保していたが、伐採地を数年放置しておくだけで復元し終えたものだ。その後は九州の離島も化石燃料や電力に熱源を依存するようになり、それに伴い樹木の伐採はほとんど行なわれなくなった。そのため、かつて薪の切り出しが行われていた山々の照葉樹林は、いまでは分け入るのも困難なほどに鬱蒼とした密生林に変わっている。
たたら製鉄に絶好な自然条件をもつ我が国に移住した工人たちは、その技術に一段と磨きをかけつつ国中にその熟練の技を広めていった。やがて、国内各地には、高品質な玉鋼(たまはがね)を生み出し、それらをもとに、芸術作品としか言いようのないような刀剣類を造る刀工たちが続々と誕生した。彼らはまた、刀剣類のみでなく、鎧兜から各種の精巧な装飾品、堅牢な実用品にいたるまでの優れた金属製品を生み出すようになっていった。我が国では、大乱が起こった場合でも、支配者層が入れ替わるだけで、工人たちのほうは伝統的な技術を絶やすことなく、むしろ発展的にその職人技を継承していけたことも幸いした。異民族の侵略や無差別大量殺戮などによって各種の伝統技術が途絶えてしまうような状況にあったなら、ポルトガル人がもたらした火縄銃の複製銃、さらにはその改良銃を驚くほどの短期間で大量製作することは不可能であったろう。結果的に、たたら製鉄技術は国防にも寄与したのである。
(最後に筆者より)今回をもちまして本連載の筆を置かせていただくことになりました。4年間の長きにわたり拙稿「日本列島こころの旅路」をご高覧賜りました読者の皆様には心からお礼申し上げます。記事連載に際し、ひとかたならぬご配慮とご尽力に預かりました本誌の発行人ならびに編集部の方々にも、衷心より感謝申し上げる次第です。