日本列島こころの旅路

第25回 原子力発電所災害に思うこと(その15)(2012,07,15)

先月半ば、関西電力大飯原子力発電所の3・4号機の再稼働が本決まりになった。一連の手稿の中で既に述べたように、この大飯原発は19年前に私が取材に入り、その探訪記を綴ったプラントでもあるだけに胸中の思いは複雑である。現政権や福井県、おおい町などは関西電力管内の安定した電力供給を理由に再稼働を容認する方針を採ったわけで、最早その決定を覆すことは不可能だろう。野田首相は安全が確認されたからと強弁しているが、首相の言う「原発の安全」とは誰にとっての安全で、どのレベルの保安維持や重大事故対応基準を満たしていることを意味するのか明確ではない。ただ、そんな性急な動きの一方で、各種行政組織や政財界、電力業界などから独立した原子力規制委員会を設けて強い権限を持たせ、その事務局に相当する原子力規制庁を設置するという運びにはなってきた。従来から強力な権限を持つ原子力規制員会のあった米国などとは異なり、日本の場合には原発の推進を担う組織とそれを規制する組織とが未分化の状況にあったので、そのことによる弊害も少なくなかったから、大局的に見てそのこと自体は評価できる。

日本の原子力安全委員会などは米国の10分の1程度の規模しかなく、形ばかりのその組織の権限はあってなきがごときもので、精々参考意見を述べる程度の機能しか持ち合わせていなかった。そもそも、「原子力ムラ」という言葉に象徴されるように、国内すべての原子力関係の研究者・技術者のすべてを合わせてもごく限られた狭い専門家集団世界のことなので、相互になにかしらの関係があり、何をやるにしても大なり小なり身内意識の働いてしまうことは避けられなかった。そのため下手に原子力の安全性についての研究などを行うと村八分にされかねず、原発は絶対安全とする見方に疑問でも差し挟もうものなら直接間接の圧力にさらされるというのが実状のようでもあった。当然、米国並みに強い権限を持つ原子力規制委員会をつくることにも反対が多かった。

福島第一原発事故を契機にかなり風向きが変わり、原子力の専門家の中にも原発行政や電力会社の原発運営管理に批判的な意見を述べるものも多数現われ、その見解が国民一般にも浸透した結果、日本にも原子力規制委員会を設立しようという動きになったのだろうが、正直なところ楽観は禁物だろう。今回の事故の実態を誰よりも知る福島第一原発の吉田前所長が体調不良を理由に表舞台から姿を消し、その発言が全く表面化しなくなった裏には相当の規制圧力や特殊な事情が働いていることは間違いない。死を覚悟であの重大事故に立ち向かった吉田前所長の気性や人柄からして、不自然極まりない話であり、そのことひとつを考えても今後の原子力行政の展望が一筋縄ではいかないことがわかるだろう。

すでに何度も報道されているように、内閣府原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員89名中、斑目春樹委員長を含む24人が2010年までの5年間に原子力関連企業や業界団体から8500万円に及ぶ寄付を受けていた。また11名は原発メーカーや審査対象の電力会社、核燃料製造会社からも寄付金を受け取っていたという。当人たちは口を揃えて査定業務への影響を否定しているが、白々しいにも程がある。企業や業界団体が何の思惑もなく特定の人物に多額の寄付などするわけもないし、その恩恵を受けた人間が真の意味で相手に対して厳しい査定を下せるはずもない。自分がそのような状況に置かれているとすればどうであるかを想像してみればよい。もちろん、企業や業界団体による学術界への寄付が悪いとは思わないし、むしろそのこと自体は奨励すべきことではあるが、その寄付行為が社会的重大事故にも直結するような判断を左右するとなるとおのずから話は別である。

そのような状況を考えると、日本において強い権限を持つ原子力規制委員会を設立し、5人の員を選出するのは決して容易なことではない。米国の原子力規制委員会のメンバーに要求される条件は、原子炉全体の構造設計、核燃料のペレットつくりから実際の原子炉運転作業に至る一連の工程、安全保守作業、原子力関連法規などのすべてに通じていることであるとされ、その条件を満たすための厳しい事前訓練や実践体験過程も設けられているようだ。だが、日本の場合には、将来的はともかくとして、現時点で直ちにそのような人材を確保することは事実上極めて難しい。国内の著名な原子力工学の研究者で、労多くしてリスクの高い日常的原子炉の保守作業や、各種配管作業までを実体験したことのある人物など皆無に違いないからだ。「言うは易く行うは難し」の典型的な事例ではある。
飛行機や新幹線、船舶、自動車、宇宙探査機、各種生産プラントなど、科学技術と深く関わるシステムの安全性を検証し、その適否を判断するのは独立したその道の専門家と決まっており、政財界関係者の介入の余地はまったくない。しかし、日本の原発の安全性のみに関しては、その道の専門家でなない政財界関係者が大きな発言権や決定権を有してきた。この構図が異様であることを我々は今一度真剣に考えてみる必要があるだろう。

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