もう随分と以前の話になるが、福井県の若狭大飯町へと向かう途中、わざわざ関ヶ原インターチェンジで名神高速道を降り、国道365号伝いに車を走らせたことがあった。いつもながらのことではあるが、体内深くに根づき巣喰う「脇道走行癖」に促されての展開だった。雪に覆われた伊吹山の南麓を抜け、「姉川の合戦」でその名を知られる姉川を横切り、織田勢に敗れた浅井長政の居城「小谷城」のあった小谷山を右手に見ながら木之本方面へと北上を続けていると、突然、国宝十一面観音のある「渡岸寺観音堂」の入口を示す標識が目に飛び込んできた。いったんはその場所を二百メートルほど通り過ぎたのだったが、長年のうちに培われたある種の嗅覚が働いたこともあって、すぐに引き返し同寺を訪ねてみることにしたのである。幸運と言うべきか、結果的にはそれは正しい選択となった。
国道365号そのものはそれ以前にも何度か通ったことがあったのだが、うかつにも渡岸寺十一面観音堂の存在を見落としてしまっていたのである。渡岸寺のある付近では、車の通行量が極めて少なく、幅広い直線状の走りやすい道路になっているため、ついつい高速で走り抜けることが多く、それまでそんな案内標識があることなどまったく気づかなかったのだ。この日はたまたま、親交のある若狭在住の著名な画家渡辺淳さんの貴重な作品群を満載していたこともあって、意識してゆっくりと車を走らせていたのだが、逆にそれが幸いして、渡岸寺観音堂の存在に気づいたようなわけだった。
琵琶湖北岸に位置するこの長浜市高月町の渡岸寺十一面観音については、松本清張の作品や井上靖の十一面観音紀行などを通して一応その存在だけは知ってはいたのだが、なぜかそれまでは進んで訪ねてみようという思いが湧くことはなく、そのままになっていたのである。十一面観音というと、秋艸道人の号で知られる歌人で書家の会津八一が、「ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひみる ごとく あかき くちびる」と詠んだ奈良法華寺の十一面観音が有名で、青春時代に会津八一の歌に傾倒していた私などは、彼の歌集である「自註鹿鳴集」などを片手に法華寺を訪ねその尊顔を拝しもしたものである。現在国内には六体の国宝十一面観音があるそうなのだが、そのなかでも、渡岸寺十一面観音はその法華寺十一面観音と一、二を争う美しさだとのことであった。だから、偶然の成り行きとは言え、渡岸十一面観音像を拝観できるというのは願ってもないことだった。
渡岸寺脇の駐車場に車を置き寺の境内に入ると、ひんやりとした大気が、「いま少し心に緊張を」と囁き促しでもするかのように両頬を撫で包んだ。まだ冬の名残さえある三月初めのこととあってか、境内に人影はほとんど見当たらなかった。一見したところではどこにでもありそうな感じのこのお寺に、あの高名な国宝十一面観音像がほんとうに安置されているのかとさえ思いたくなるような閑散ぶりであった。その様子だと、たとえ観光シーズンであっても参詣者はそう多くないのではなかろうかとも想像された。
お寺入口のごく簡素な造りの受付で拝観料を支払うと、すぐに左手奥にある観音堂へと案内された。先客が二人ほどあったようなのだが、入れ違いになったので、お堂に入ったときには案内役の地元の古老らしい人物と私の二人だけになった。お堂の中央には重要文化財だという胎蔵界大日如来坐像が安置されていた。そして、その向かって右手に並び立つ立派な木像こそがお目当ての国宝十一面観音像にほかならなかった。如来像が中央に配されているのは、仏様の格としては菩薩よりも如来のほうが上位にあるからに違いなかった。菩薩とは、ゆくゆく如来になるために衆生を救済する行を積んでいる修行仏のことで、さしずめ弥勒菩薩や観音菩薩は菩薩群のなかの優等生といったところになるわけだった。
大日如来の前に坐し一通り古老の解説に耳を傾けたあと、私はおもむろに腰を上げて十一面観音像の前に立った。噂にたがわず、それは素晴らしい仏像であった。こちらの想像をはるかに超えた実に美しい観音菩薩像であった。なるほど、法華寺の十一面観音の向こうを張ると言われるだけのことはあると、素人の身ながらも納得したものである。穏やかな表情と流麗このうえないたたずまいの奥に揺るがし難い気品と存在感を湛えたこの観音像が、奈良でも京都でもなく、琵琶湖北岸に近い長浜市高月町という小さな町の一隅において、1150年間に近い歳月を超えて伝承され続けてきたことは文字通り奇跡に近いことのように思われてならなかった。
高さ194cm、檜の一木造りの見事な観音像は、寺伝によると、天平8年、時の聖武天皇より除災祈祷の勅命をうけた僧泰澄が祈りを込めて自ら彫り上げたものだということになっているらしい。ただ、専門家による詳しい調査に基づけば、実際には会津八一が歌に詠んだ法華寺の十一面観音と同じく、平安初期の貞観の頃に造られたいわゆる貞観様式の仏像の傑作であるとのことのようだった。