ある奇人の生涯

130. 「WORKS CREATIVE」空間の異変

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

二十世紀最後の年の二〇〇〇年に入っても、表面的に見るかぎり石田翁の健康状態やその生活ぶりにはそう大きな変化が起こっているようには見えなかった。車でどこかに案内したりする時の翁の様子や邸内での歩行ぶりを傍からつぶさに観察していると、ずいぶんと危なっかしく映るようなことなどもしばしば起こったりしていたが、老翁自身は相変わらず意気軒昂そのものだった。大好きなガーデニングなどにも精を出し、相当に重たいブロック類や石材類を運搬したり積み重ねたりする作業などもなお自力でこなしていた。その様子を見ていると、「老いたりとはいえども、まだまだ穂高のドラキュラは死になんかしないぞ!」という老翁の心の呟きがいまにも聞こえてきそうだった。

その年の九月末のこと、私はいつものように老翁のご機嫌伺いをすべく穂高へと出向いた。途中ノンストップで車を走らせてきたこともあったので、石田邸に到着するなり、ドアの外側に「WORKS CREATIVE」という洒落た英語の書き記された老翁自慢の創造空間、すなわち、知る人ぞ知るあの名物トイレへと飛び込む羽目になった。だが、その次の瞬間、私は「あれっ?、なんで?」と驚きの声をあげながら、中央の便器を取り巻く四方の壁面と天井とをしげしげと眺めまわした。

信じられないことに、このうえなく手の込んだ配置配列でそれらの五面を埋め尽くしていたあの数々の珍しいポスター類や美しい写真類、絵葉書類がすべて荒々しく剥ぎ取られ、それぞれの壁面や天井面ががなんとも無残な状況を呈していたからだった。大小さまざまな紙類の貼り跡、糊や接着剤の跡、さらにはドライバーなどの金具でむりやり装飾物を剥ぎ取ったために生じた傷痕などが天井や壁面のいたるところに残されたままだった。いったい老翁にどういう心境の変化が起こったのだろうと、私はトイレに入った本来の目的も忘れ、しばし呆然として壁面のあちこちを眺め回す有様だった。

だが、そんななかにあって、どういうわけか、たった一枚だけ以前のままの場所に貼り残されている写真があった。その大きな写真は、様式の便器に腰をおろした時に顔の向く、トイレのドア上の天井に近い壁面に貼られているモノクロの写真であった。それは、あの市川勝弘カメラマンが黒いグラスをかけ風のような動きを見せながら地上を走る老翁の姿を撮影したもので、見るからに異様な写真であった。その写真にうつる老翁の姿には、不思可議なまでの存在感と、その存在感をいっそう際立たせる不気味なまでの変幻自在さとが秘め具えられていた。穂高駅前で初めて老翁に声をかけられた日の夜、私は初めて石田邸のこのトイレを拝借し、言葉にならぬほどの衝撃を受けた。その衝撃のもととなったトイレ内のさまざまな装飾物の中でもとくに印象的だったもののひとつがその写真だった。もちろん、翁がその写真だけを剥ぎ取らずにそのまま残しておいたのにはそれなりの理由があるに違いなかった。

トイレから出るなり、私は老翁に尋ねかけた。
「びっくりしましたよ、石田さん!……、なんでトイレの壁の写真やポスター類、装飾物などを全部剥がしてしまったんですか?」
「いや、なんと言いますかねえ……、もうずいぶんと長い間、あのまんまだったでしょう。あなたが初めてここにやって来た以前からこれまでずーっと変りばえしないままですからね……。だから、思い切って全部の装飾物を一掃し、新しいデザインの物に取り換えてみようかと思いましてね」
「でも、また一からやり直すということですと、いくらなんでも大変でしょうに!」
「WORKS CREATIVE の空間はその言葉通り常に新たなものを創造するためにあるわけですから、たまには破壊もしてみませんとね」
「まるでインドのシバ神のようなことを……。でもそれじゃ、WORKS DESTRUCTIVE になってしまうじゃありませんか。まったく無残な状況になってますよね。それにしても惜しいですねえ……。それで、以前の装飾物は剥ぎ取ったあと全部捨てちゃったんですか?」
「ええ、捨てちゃいましたよ。だから、そのお蔭でいまは WORKS CTRATIVE の精神がもっとも必要な状態になってるわけなんです。また、時間をみて新たな創造を楽しむことにしますよ」

老翁はさりげなくそんな言葉を吐いたのだが、その心の奥で何事かが起こっているのは間違いなかった。
「でも、創造の神様のお写真だけはトイレのドアの上の壁面にまだ残っていますが……。いや、破壊の神様をも兼ねた掴みどころのない存在の不思議な写真ということになりますが……」
「ふふふふふ……、あれを剥ぎ取り破棄してしまうと、あの創造空間の主の姿が……、ひいてはこの屋敷の主の姿がどんな様子をしていたかわからなくなってしまいますからねえ。いずれ家の主がこの世から消えたあとも、あのドラキュラ風の遺影は怨念を込めてWORKS CREATIVE  の場を凝視し続けるというわけなんでよ」
「なんだか、意味深長なおっしゃりかたですねえ……」
「私はきっと、この世におさらばする日の最期の瞬間まで、あの創造空間を愛し続けると思いますよ。だから、まあ、あんな風に殺風景になってしまっても、驚いたり、呆れたり、悲しんだりすることはありませんよ」

いまひとつ真意の汲み取りがたい老翁の言葉ではあったが、いささか暗示的なものが秘められていることだけは確かだった。しばらく考え込むようにして私が沈黙を守っていると、こちらの思いを察知した石田翁は突然に話題を変えた。
「そう言えば、何日か前、ミサがね、久々に穂高まで会いに行きたいって電話をよこしたんですよ。だから、お前が来ると何かと手がかかって面倒だから、余計な心配をしになんか来なくていいって返事したんですよ」
「だって、ミサさんが石田さんのことを心配なさるの当然でしょう?……、そんな冷たい対応なんかなさって大丈夫なんですか?」
「もう自分で車を運転して駅まで出迎えに行けるわけでもないし、あいつは結構方向音痴だから、たとえタクシーに乗ったとしても、奥まった細道の奥にあるこの家まで辿り着くことなんかできないでしょうね」
「もしミサさんがいらしゃる日時でもわかれば、私もそれに合わせて穂高までやってきて、駅でミサさんを拾うことにしましょうか。もし、ミサさんのほうさえ構わなければ、東京から車で直接ご案内することだってできますよ」
「いや、そんな面倒なことはしなくていいですよ。だって、この家にやって来たら来たで、あいつは我がままだから、ああでもない、こうでもないって言い出して、手のかかることこのうえないことになってしまいますから……」

「そんな……、せっかくの魔女様とのご対面のチャンスをみすみす無になさっていいんですかねえ。それに、私だって、ドラキュラ翁と老魔女様の忌憚なき舌戦をこころゆくまで拝聴したいもんですよ!」
「ははははは……、でもねえ、もう、ずいぶんと老いさらばえた身なのに、あの口うるさい婆さんの相手をして、これ以上寿命を縮めたくはないですからねえ。そう言えば、去年の秋だったか、ミサがあなたと会えてよかったて喜んでいましたが……」
「ええ、お会いしていろいろとお二人にまつわる昔話を伺えてとても楽しかったですよ。もちろん、石田さんの善いところも悪いところも含めていろいろな話が飛び出したりしましたがね」
「善いところ一つに対して悪いところが九十九ほどだったっていうんでしょう?……どうせあのミサのことですから!」
「いやぁ……、善いところについての話はただの一つもなかったような気もしますが……」
「ははははは……、まあ、それもそうですねえ。お互いにこれという善いところが一つでもあったら、こんな面倒な腐れ縁に振り回され続けてなんかいないですよ。お互い悪いところばかりだったから、ついつい罵り合ってここまできてしまったんですよね」

石田翁はあまり釈然とはしないロジックを用いて、その場の会話を収拾してしまった。そして、結局、ミサさんにいま一度穂高を訪ねてもらうつもりなのかどうかについては、明確な意思表示をしなかった。表向きの言葉の流れからするとミサさんの来訪を何故かあまり歓迎していない風に受取れはしたが、それが本心なのかどうかについては正直なところよく判らなかった。また、そんな微妙な言い回しの裏には、石田翁ならではの有終の美学のようなものが秘められているようにも感じられた。

ミサさんからまた電話がかかってきたのは、それから一月ほど経ってからのことであった。ミサさんの声はちょっと沈み気味だった。
「何度も穂高に電話を入れてみたんですけどね、タッツアンがね、どうしても穂高になんか来るなって言うんですよ。いまさら私に来られても困るからって……」
「そうなんですか……。なんともはや、それは……」
「先月穂高にいらしたそうですが、その時、私のことについて何かタッツアンにおっしゃいました。たとえば、タッツアンについての裏話を私から耳にしたとか?」
「穂高にまた一度お出でになりたいってミサさんが電話なさったという話はあの時に石田さんからお聞きしましたが……。でも、意地悪な告げ口のようなことはなんにもしていませんよ……。それどころか、なんなら、私がミサさんを東京から車でお連れしても構わないですよって石田さんに伝えたくらいなんですよ。私だって、お二人の丁々発止のやりとりを傍でゆっくり拝聴したいというのが偽らぬ気持ちだったんですから……」
「そしたら、タッツアン、何て言ってました?」
「正直言いますとね、なんとも要領を得ない受け答えで、結局、はぐらかされてしまったんです。石田さんもご自身の老いをずいぶんと感じておられるようで、もしかしたら内心いろいろと思うところがおありなのかもしれませんね」
私は、過日穂高で直接耳にした石田の言葉をそのままは伝えず、少々ぼかした感じの返答をした。

「もう来るなって、ずいぶん強い調子でタッツアンが言うもんですから、私もちょっと驚いたんですけどね。私の顔を見るのがそんなに嫌になったんですのかしらねえ……」
「いえ……、私の率直な感想を申しますと、もしそんな風に石田さんがおっしゃったとすると、ミサさんにいまのご自分の状況を見られるのが嫌だというのがご本心なのではないでしょうか。石田達夫流の美学として、これ以上老醜をミサさんの前に曝したくないとも……」
「あのタッツアンがねえ……、でも、確かにそれもまたタッツアンらしいところかもしれませんねえ……。わかりました……、また穂高にいらっしゃるようなら、あとでそっとタッツアンの様子でも教えてください」

ミサさんは半ば溜息まじりの呟き声でそう言うと、静かに電話を切った。私のほうもそっと受話器を置きながら、石田翁の胸中にあらためて想いをめぐらした。よくよく考えてみると、あのトイレの中にしろ、風呂場にしろ、キッチンやリビングやベッドルームにしろ、以前のようには手入れが十分に行き届いてはいなかったし、食料その他の生活用品の備えも万全には程遠い有様だった。そして石田翁自身の五体の動きそのものがずいぶんと衰えてきているのはまぎれもない事実だった。翁がそんな自分の状況を内心で明確に認識するようになってきているとすれば、輝いていた日の自分を誰よりもよく知るミサさんにだけはいまの姿を見られたくない、と思うのも道理ではあった。想像を絶する波瀾の人生を踏破し、いよいよその最後のステージを迎えつつあいることを自覚した者ならではの「有終の美学」とでも言うべきものが、老翁の心の中を大きく占め始めているのだろうと想像せざるをえなかった。

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