ある奇人の生涯

57. 英国大使館よりの電話

河口湖ホテルに勤務するようになる数ヶ月ほど前のこと、都内のある溜まり場において、石田は当時まだ大学を出たばかりのひとりの若者と顔見知りになった。学徒動員で徴兵され軍務に服したあと母校の早稲田大学に復学し、同大学を卒業して間もないとかいうその若者は加島祥造と名乗った。みるからに個性豊かで聡明そうなその若者となぜか石田は不思議なほどに馬が合った。

7歳という年齢差などはまったく気にならなかった。上海での想い出話を中心にした年長の石田の中国体験談に若い加島は笑い興じ、さらにまたいろいろな質問を浴びせかけてきた。けっして体系的なものではなかったのだけれども、石田のもつ奥深い語学の知識はその加島という向学心旺盛な若者の心をくすぐったようだった。その片鱗はうかがえたにしても、加島祥造というこの青年がのちのち英米文学の大家として高名を馳せるようになり、老いては独特の文体で知られる「タオ(老子)」の翻訳(英語訳からの日本語転訳)を通じ一世を風靡するようになろうなどとは、まだ誰にも想像すらつかない時代のことであった。

石田と出逢ってまだ間もない頃、加島は周囲から彼がホモセクシャルであるという噂を耳にした。中国ではあれほどに浮名を馳せていたにもかかわらず、実際、石田はこの時期になると個人的な生活空間の中に女性を迎え入れることはなくなってしまっていたというから、そんな噂が彼の周辺に流れるのはやむをえないことだった。第三者を通じてそんな話を聞かされた加島は、いったんはそんな男と付き合うのは嫌だと思ったりもし、それなりの警戒を強めたりもした。

しかし、石田のほうはえらく加島のことが気に入ったとみえ、心を割って親しく接しかけてきたし、また、そうだからといってべつに巷の噂にのぼっていたような付き合いを求められるわけでもなかった。だから加島のほうもとくに気にするようなこともなくなり、結局、二人の間ではその後もそのまま親密な交流が続くことになった。もっとも、ちょっとした出逢いがきっかけで始まったその交際が生涯にわたる親交にまで発展していくことになろうなどとは、まだ二人とも予想だにしていなかった。

1948年(昭和23年)に入ると加島は雄鶏(オンドリ)通信社に勤務するようになった。同通信社の業務やその他の人脈を通じ講談社をはじめいくつかの出版社とも付き合いのあった加島は、石田のところに翻訳の仕事を持ち込んできてくれるようになった。もちろん石田は喜んでその仕事を引き受けるようになったのだが、その仕事だけで十分に生計が立てられるわけではなかった。しかも博多には上海から引き揚げてきた母親が住んでいたから、それなりの仕送りもしなければならなかった。そこで得意の語学を武器にして働くことができ、しかもその合間に翻訳の仕事にも専念できるような静かで恵まれた環境の職場はないものかと虫のよいことを考えていた矢先、たまたま舞い込んできたのがほかならぬ河口湖ホテル勤務の話なのだった。渡りに舟とばかりに石田がその勧誘に応じたのはごく当然のことであった。

河口湖ホテルに勤務し、オフのおりに加島から依頼された翻訳の仕事に専心するようになった石田は、正直なところ渡英してBBCに勤務するという話はもう過去のものとしてすっかり諦めてしまっていた。一連の成り行きからしても、さらにまた、状況が整うまでしばし待機するという条件で身を置かせてもらっていた英国大使館の報道モニターの仕事を辞めてしまったことからしても、いまさら渡英の話が復活するようなことはありえないだろうと考えていた。時折、ジョン・モリスとの出逢いのことを懐かしく想い起すことはあったが、その度ごとにあれは一時の淡く儚い夢だったのだと自らに言い聞かせるばかりだった。

1948年(昭和23年)11月末のこと、河口湖ホテルの従業員室の一隅で翻訳の仕事に携わっていた石田は突然電話口に呼び出された。受話器を耳に当てるとどことなく聞き憶えのある人物の声が流れてきた。その相手の話す言葉は落ち着いたイギリス流の英語だった。なんとも驚いたことに、その電話をかけてきたのは一時上司として彼が仕えたこともある英国大使館の一等書記官であった。いったい何事かと意外な展開に戸惑う石田に向かって電話の向こうの相手はちょっと思わせぶりな口調で話しかけてきた。

「ミスター・イシダ、久しぶりですね。その後も元気でやってますか。実は、突然君に電話したのは、ちょっと確認しておきたいことがあったからなんですがね」

「お久しぶりです。おかげさまで私のほうはなんとか変わりなくやっています。英国大使館在勤中はずいぶんとお世話になりました。ほんとうに感謝しています。さてところで、私にご確認なさりたいことっていったいどのような……?」

そう言いながら、石田は以前の英国大使館関係の仕事で知らず知らずのうちに何か不都合なことでもやってしまったのだろうかと急に不安な気持ちになった。

「実はですね、最近BBCの極東部局統括責任者からBBC海外部門全体の統括責任者に昇格したばかりのジョン・モリスさんから突然連絡がありましてね……当大使館のほうからぜひ君の意思確認をしてほしいとの依頼があったのですよ。ミスター・イシダの現在の勤務先がどこかわからなくてしばし困ったのですが、駐留軍筋を通して君が河口湖ホテルに勤務してるということがわかりました。それで早速こうして連絡の電話をしたような次第なのです」

ジョン・モリスからの意思確認の依頼と聞いて、ことによったらもう諦めていたBBCがらみの話に関する電話かとも思いかけたが、いくらなんでも今更そんなことなどないだろうと石田はあらためて自らに言い聞かせた。そして、きわめて冷静な口調で問い返した。

「それで、私の意思確認をなさりたいというお話の内容なんですが、いったいどのようなものなのでしようか?」

「ミスター・イシダ、これは朗報だと思いますよ。BBCのジョン・モリスさんは、渡英してBBCで働く意思が君にはまだあるかどうか確認を求めてきているんです。予定よりずいぶんと遅くなってしまったんですが、なんとかBBCに貴方を迎え入れる態勢が整ったので、どうだろうというわけなのです」

相手のその言葉を耳にした石田は一瞬我が耳を疑い、そのあと続いて胸中に湧き起った異常な興奮のためにしばし絶句する有様だった。

「どうですか、イギリスに渡ってBBCで働いてみる気はありませんか?……もともとミスター・イシダはBBC日本語部局スタッフに採用されることが決まっていたんですよね。モリスさんはぜひ君をロンドンに呼びたいと言ってますよ!」

相手のその言葉に対し石田は間髪を入れずに応答した。

「もちろん、OKです。喜んでお引き受け致します。お断りする理由など私にはまったくありません!」

その声はすくなからずうわずっていた。

「そうですか、それはなによりです。それでは、なるべく早く東京に戻り、英国大使館に出向いてください。いろいろな下準備やBBCとの打ち合わせなどはこちらでゆっくり進めることにしましょう」

「わかりました。早速身辺を整理して上京することにします。それで、渡英の時期はいつぐらいになる予定なのでしょうか?」

「そうですねえ、BBCサイドはなるべく早くと言ってきているようですが、GHQのマッカーサーの許可も必要なことですし、渡英手段やそのルートの検討もしなければなりませんから、たぶん3月か4月頃になるでしょうね」

「それではBBC海外部門統括責任者に就任されたというジョン・モリスさんにくれぐれもよろしくお伝えてください」

「もちろんです、ミスター・イシダ!……君がBBC行きを快諾してくれたということを早速モリスさんに報告しますよ。君の渡英を誰よりも心待ちにしているモリスさんもきっと喜んでくれることでしょう」

「わかりました。でも、これは、まさか、小悪魔かなにかのなせるちょっとした悪戯なんかじゃないんでしょうね……もしかしたら地獄の底から電話をしてくださっているとかいうんじゃ?……万一そうだったら、僕は大天使かなにかに化けて小悪魔退治に出向くことにしますよ」

すこしばかり落ち着きを取り戻した石田は、それまでの緊張を解くかのようにそう軽口を飛ばした。すると相手もすかさずそれに応じてきた。

「もちろん、地獄の門から私は貴方に電話しているんです。ここは悪魔や亡霊がうじゃうじゃしているところですから、十分にその覚悟だけは決めてやって来てください。ただし、イギリス人は冒険好きの国民ですから、ミスター・イシダが真に立派で勇敢な日本人だとわかれば過去の不幸な戦争の記憶などを超えて君を心から歓迎してくれるはずですよ!」

「では、柄にもない大天使なんかに化けたりしないで、このままの愚かな人間の姿で伺うことにします」

「OK!、では地獄の門をいっぱいに開いて待っていることにしましょう!」

そこで英国大使館からの電話は切れた。電話が切れたあとも石田はまだその一等書記官の言葉が信じられない思であった。一時的な激しい興奮がいったん鎮まり、あらためて喜びがじわじわと湧き上がってくるまでにはしばらく時間が必要だった。

渡英にそなえ、翌日から石田は早速身辺の整理に取りかかった。お世話になった河口湖ホテルの支配人に一連の事態の進展を伝え、突然のことで申し訳ないが辞職したい旨を伝えるとさすがに相手は驚いた。しかし事情が事情であることを納得するとすぐに快く石田の申し出を諒承してくれた。そして英国大使館から電話をもらった数日後、彼は河口湖ホテルをあとにしてそそくさと東京に戻っていった。その胸のうちは不思議なほどに高鳴っていた。

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