ある奇人の生涯

128. 長年愛用のポケット事典を……

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

一九九九年の五月末のこと、私はその年になって二度目の石田邸詣でをおこなった。ドラキュラ翁お気に入りの十三日の金曜日ではなかったが、翁はとても上機嫌で私を出迎えてくれた。そして、相も変らぬ減らず口を叩きながら私をリビングルームに通すと、いつもながらの手際のよさで紅茶をいれてくれた。互いの近況についてしばらくあれこれと語り合ったあと、老翁はちょっと口ごもり気味な調子で意外なことを切り出した。

「あのう、唐突なんですけどねえ……、ミサがあなたに会って一度ゆっくり話がしたいって言い出しましてね。あいつはね、昔から一度こうと言い出すと他人の迷惑など考えようとしないところがありましてねえ……」
「そりゃまあ、穂高のドラキュラ殿下の向こうを張る魔女君のことでしょうから……」
「でもねえ、近頃はあの魔女も年老いたせいか、その神通力も大したことなくなってきてましてえねえ」

「ははははは……、でもドラキュラ殿下のほうはなお意気軒昂というわけですか……。ミサさんとは石田さんが上京された折などに私も何度かお会いしていますが、いまでも素敵な方だと思いますよ。それで、ミサさんがいったい私に何かご用件が?……」
「いやね、いつだったかミサから電話をもらった時、あなたが私の人生遍歴みたいなことを書こうとして、いろいろと下調べをしているところだっていう話をしたんですよ」
「はあ……、それで?」
 予期せぬ突然の話の展開にいささか戸惑いを覚えながらそう答えると、老翁はちょっと申し訳なさそうな口調になってさらに続けた。

「そうしたらね、彼女もあなたに会って相談したいことなどがあると言い出したんです。そして、どうしてもあなたの電話番号や住所を教えろってききませんでねえ……。だから、近いうちにミサからあなたのところへ直接電話がいくかもしれません。面倒でしょうが、まあ適当に相手してやってください。もちろん、すごく忙しいからとかなんとか言って、断ってもらってもかまいませんよ……」
「ミサさんのご用件がどういうことなんだかはわかりませんけれど、私のほうはべつにかまやしませんよ」
「あいつ、あなたに自分の人生遍歴についても書いてほしいようなことを言っていましたけどね……、ほんとうはどうなんだか……、自分のことをあなたにどう書かれるのかとミサは心配になったんじゃないですかね、ははははは……」
「石田さんの大切な人を横取りするみたいで申し訳ない気もするんですが、ミサさんがわざわざ時間をとって会ってくださるっていうなら、仕事上からしてもこちらとしては大歓迎ですよ。いいんですか、魔女君を拝借して?」

「ふふふふふ……あんな腐れ縁ババアは熨斗をつけであなたにプレゼントしてあげますよ!」
「そんなこと言ってほんとうにいいんですかねえ?……、あとになって返せなんて言われたってもうしりませんからね!」
「たしかにまあ、昔は道行く男どもがハッとして振り返るほどの美人だったんですけど、今じゃ口うるさい婆さんにすぎないですから……」
「でも、ミサさん、とっても気品があってあのお歳の方にはなかなかない雰囲気をそなえておいでですよね。それに、石田さんだって、映画スターかなにかとまがうばかりの、あの若き日の写真の姿とはもうずいぶんと違ってますでしょ。なにせ今じゃ、穂高の駅前でこの私をたぶらかしてしまったりする、なんとも手におえないドラキュラ老人っていうわけですから……」

「はははは……、まあ、ミサだって僕のことをこの減らず口のクソジジイって思ってるのかもしれませんねえ」
「当然そう思ってますよ、クソジジイの3乗くらいにはね……。ただまあ、そんなことはともかく、石田さんの古き良き時代の彼女、そして今は心の通じる生涯の友になっておられるミサさんにお会いして、その口から直接に若き日のナマの石田像や、裏の石田像などを聞出すことができたら、こちらとしては言うことがありませんね。もしかしたら石田さんのほうはちょっとお困りになるかもしれませんけど……」

そんな会話を交したあと、翁がちょっとワープロの使い方がわからないというので、寝室兼書斎になっている隣の部屋へと場を移した。それまでずっと手書きで通してきた老翁は誰かが持ち込んできてくれた中古のワープロを使ってみようとしていたのだが、うまくいかない様子だった。机上には英語の原書が数冊積まれていたはが、もっぱらそれらは翁が読んで楽しむためのもので、もう翻訳作業にはほとんど手をつけていない感じであった。ちょっとワープロをいじる手を休めて仕事机のある側の壁面を眺めると、どこから入手したものなのだろうか、ヴァイオリニスト川畠成道の写真入りの大きなポスターが貼ってあった。川畠一家とかねてから親交のある私は、石田翁に川畠成道についての話をし、機会があれば是非その演奏を聴いてもらいたいと伝えてあった。

そしてその折に、「川畠君はシャーロックホームズの大ファンで、ロンドンでの住まいもベーカー街の近くらしいですよ。彼は八歳の時旅先のアメリカで服用した風邪薬が原因で生死の境をさまよう難病に罹り、両眼の視力を失いました。その時の入院先で回復するまでの間読んでもらっていたのがシャーロックホームズ・シリーズの日本語翻訳だったんです。なんと全巻を読破ならぬ、『聴破』したんだそうです。ですから、石田さんが翻訳なさった作品などもあったんじゃないでしょうか。もしそれが児童向きの翻訳本だったとしても、石田さんが関わった成人向けの翻訳作品をもとに児童用にリライティングしたものだった可能性は大いにありますね。なにかの機会に川畠君とお会いになることでもあれば、シャーロックホームズについての話やロンドンの想い出話などを通して、きっと意気投合なさるだろうと思いますよ」とも話しておいた。

そのためだろう、石田翁はテレビやラジオに度々出演する彼の姿や声を何度も見聞きし、さらには録音テープや市販のCDでその演奏を聴いてすっかり川畠ファンになってくれたらしかった。
「川畠君のポスターが貼ってありますが、どこから入手なさったんですか?」
「あなたから薦められて川畠君の演奏を聴くようになったんだけど、たしかに、あのヴァイオリンの音色は天才的なもので、ほんとうに心の奥底まで沁み透ってくるんですよね。英国のロイヤル・アカデミーを首席で卒業しただけのことはあると……。それで、このポスターなんですが、たまたま川畠ファンの知人が持っていたんでそれを貰ったんですよ」
「なにかの折があれば、川畠君にも石田さんを紹介したいですねえ。一度は生演奏を聴いてもらいたいとも思いますし……」

「そうですねえ、そんな機会があれば嬉しいですね。ただ、ちょっと気になるんですが、川畠君の演奏ね、最近ちょっと音が軽くなり過ぎているような気がするんですよ。まあ、演奏会のスケジュールがあまりにも過密で、疲れ過ぎているというか散漫になっているというか……。それに、演奏会が続きすぎると、大衆に迎合するあまり選曲も単調になってしまって、結果的にはせっかくの才能を駄目にしてしまうおそれもありますよね」
「そのへんのところまで感じとっておられるなんて、さすがは石田さんですね」
「もし、会えるチャンスでもあれば、そんな率直な思いも含めて、あれこれと将来の川畠君への期待を伝えたいですね。彼のトークには英国流のユーモアやウイットがあってなかなかいい……日本人であんな洒落たトークのできる演奏家はまずいませんからね」

子供の頃から大の音楽好きだったうえに、イギリス時代はさまざまなクラシックのコンサートに足を運んでいた石田翁の耳はさすがに肥えており、その指摘は鋭くそして的確だった。ただ、残念なことに、老翁がその天才ヴァイオリニストと対面する機会が訪れることはついになかった。

そんな会話が一段落したあと、翁はふと思い立ったかのように机上の一角に手を伸ばすと、茶の皮で装丁された古いポケット版小型ディクショナリーのようなものを取り上げた。そして、それをおもむろに私のほうに差し出しながら言った。
「これをあなたにあげることにしましょう。長年私が愛用してきたポケット事典なんですが、とても使いやすいうえに、内容も充実していて、英文で文章を書いたり、翻訳をしたりする者にはとても役に立つんですよ」
「ええっ?……でも、石田さんがまだお使いになるんでしょうに……」

そう答えながら、とりあえず差し出されたその小さな事典を受けとってまずは表紙の金文字に目をやった。「CONKLIN’S VEST-POCKET WRITING=DESK BOOK」とその事典名が表記されていた。縦十四センチ、横六センチ、厚さ一・五センチほどの英文事典で、中には細かな文字で文章作成や文章解読に必要な各種の実用的知識が満載されていた。長年使い古された関係で皮表紙は黒光りし、背表紙には補修のあとが何重にも残っていた。総ページ数は三六〇ページほどで、事典の内側のあちこちもセロテープによって丁寧に補修されていた。
「これ、石田さんの大切なポケット事典なんでしょう?……それをどうして私なんかにくださるというんですか?」
戸惑いながら、私はもう一度そう問い返した。

「どこかへ出かけるときはいつも肌身離さずそれを持ち歩いていましたし、常々自宅で仕事をする時もずっと愛用してきました。でも、たぶん、これから先はもう、これを使うこともないでしょう。ほとんど仕事もしなくなりましたんでね」
「そうはおっしゃっても、このポケット事典って石田さんにとっては想い出のぎっしり詰まった宝物みたいなものなんでしょう?」
「そうなんですけどね、人に差し上げるのならいまのうちだと思うんです。僕がこの世をおさらばしたあとでは、こんな物なんかに見向く人なんかきっと誰もいませんよ。掲載事項もすべて英語表記の事典ですから、どんな内容のものかもわからぬままに塵箱にでも捨てられるのが落ちでしょう。それらならいまのうちに、すこしでも価値の判る人にでもあげておこうかと思いましてね。翻訳などもやる府中のドラキュラさんにならちょっとくらいは役立ててもらえるんじゃないかということで……」

私は反射的に「そんな縁起でもないことを……」という言葉を吐きかけたが、すんでのところでその一言を呑み込んだ。表紙の見開き部に「To Mr. S. Honda from T. Ishida with old heart」と記されていたからだった。老翁がそこまで考えてたうえでの話ということになると、もはやその好意を無にするわけにもいかなかった。
「そうですか……、そこまでおっしゃるなら有り難く頂戴することにします。たいした語学能力などありもしない身なんですけど……」

そう言って、私はその小事典をそのまま受け取って自分のバッグの中に大切に仕舞い込んだ。翁は何かを予感し始めているのかなという想いが一瞬脳裏をよぎったが、その様子を窺うかぎりでは特に変ったところなども感じられなかったので、それ以上深入りすることはやめた。すると、石田翁はこちらの気持ちを察したかのように笑顔を見せながら付け加えた。
「そんな深刻そうな顔なんかしなくていいですよ。まだまだ穂高のドラキュラは死んだりなんかしませんよ。そもそも容易には死なないのがドラキュラのドラキュラたる所以なんですから……。それに、あなたの訳したあの十九世紀の珍発明を紹介した本は本当に面白かったですよ。たしか荒俣宏なんかも現代の奇本五十冊の中に入れて絶賛してましたよね。あの訳本中のユーモアやウイット、諷刺などは僕の感性にぴったりなんですが、それらは原本にはない雰囲気で、あなたが大胆な意訳を試みたからこそなんでしょう。まあだから、そんなあなたにこの事典を進呈できるのは僕としても願ってもないことなんでね……」

かねがね老翁には自著本のほかに、哲学書を含む何冊かの自分の翻訳本なども献呈していた。翁は、翻訳本の中ではレオナルド・デ・フェリス編著の「VICTORIAN INVWNTIONS(ビクトリアン・インベンションズ)」という大型図版本(現在は工学図書から「図説・創造の魔術師たち」として復刊されている)を特に喜んでくれ、名訳だとも称えてくれていた。十九世紀の欧米の様々な大発明や珍発明の紹介記事を満載した図版付きの珍本で、初版刊行当時は諸々の新聞や雑誌に大きく取り上げられ、その図版や中の珍発明はテレビなどで紹介されたり、各方面の広告に転載されたりもしたものだった。十九世紀の科学界の動向ばかりでなく、古き良き時代のイギリス社会の雰囲気などを活き活きと伝える記事や図版などもふんだんに含まれていたので、老翁はかつてのイギリスでの想い出などを重ね合わせながらその本を心底楽しんでくれていたのだった。

その後二年間にわたって、老翁との間ではなおさまざまな想い出深い親交が続いたのであるが、そのような経緯のもとに翁から贈られたそのポケット事典は、結果的にいうと私にとって掛け替えのない形見の品となったのだった。

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