イギリスにやってきてからというもの、日々BBCでの仕事に没頭していたのにくわえ、見るもの聞くもののすべてが新奇なことばかりとあって、そのぶんついつい日本にいる母親や妹、友人知人らへの近況報告がおろそかになってしまった。日本では個人電話などまだ一部の富裕階層の家庭にしか置かれておらず、しかも国際電話の料金がいまと違っておそろしく高い時代のことだったから、どんなにそれが便利ではあっても日本の親類知人などに電話をかけて直に話をしようなどとは考えてもみなかった。
便りがないのは無事な証拠とはいうものの、さすがに母親らの心労のほどが気がかりになりだした石田は、ロンドンでの生活ぶりを報告する手紙を日本に宛てて何通か書きあげた。久々の手紙とあって、いざ筆を執り始めてみるとあれもこれもと書きたいことが溢れ募り、整理をつけるのがたいへんなくらいだった。イースト・エンドの住まいやBBC日本語部オフィスの近くには赤い郵便ポストが設置されてはいたが、国際郵便は料金の関係などもあってそのままポストに投函するわけにもいかないので、わざわざ最寄りの郵便局まで足を運ばなければならなかった。
日本宛ての郵便だと知った局員はちょっと首を傾げながらしばし何か考え込むような仕草を見せはしたが、とくに問題もなく差し出した封書を受けつけてくれた。まだ第二次世界大戦交戦国日本との講和条約が締結されていない時期のことで、我が国はなお国際連合軍の占領下におかれていたから、郵便局員にもなにかと事務処理上の迷いがあったのかもしれなかった。郵便局を出てすぐのところにも国内郵便用のポストが置かれていたが、やはりその色は赤かった。手紙を投函することなどほとんどなかったのでそれまであまり気にかけていなかったが、よくよく考えてみると街々で見かけるポストの色はどれも日本と同じ赤色であった。どうやら日本のほうが郵便事業の先進国イギリスに倣い、何時の頃からかポストの色を赤一色に統一するようになったものらしかった。
イースト・エンド地区での生活にある程度慣れてくると、石田は時間のある時などには市内のあちこちのパブなどにも顔を出すようになった。東京や上海の繁華街のそれなどと違ってロンドンのパブには美人のママさんやお客をにこやかに迎えてくれる接待役の若い女性などはおらず、まるまる太った男女の主人や女将がいるだけだったから、ロマンティックな話が生まれる余地など皆無だった。そもそも、イギリスのパブには女性がお客として単身ではいることが許されておらず、女性が入店する場合には必ずエスコートする男性が必要であった。
スコッチの本場のことゆえ、たとえ場末のパブであってもウイスキーの類はまあまあの味であったが、その時代のイギリスのビールときたら、アルコール度数も低くそれはもうまるで水みたいな味もそっけもないしろものだった。英国経済の落ち込んでいた終戦間もない時代ということもあったのだろうが、酒の肴に出されてくる食べ物類もずいぶんと質素でしかも大味そのものだった。
だがそんな有様にもかかわらずパブはどこもそれなりに盛況をきわめていた。それは、パブにやってくるお客たちが単にお酒を飲みにくるだけなのではなく、パブ独特の雰囲気にひたりながら、毎夜毎夜政治談義や社会談義をはじめとする様々な談義に花を咲かせるのを楽しみにしているからだった。パブの中では身分地位にかかわらずお客は皆平等というのが暗黙のルールだったから、皆が思いおもいに自分の意見を発言し議論は驚くほどに白熱した。とくに政治談義は善い意味でも悪い意味でも大いに盛り上がるのが常だった。シャイで無口でしかも他人のことなどにはよけいな関心などもつことのすくないイギリス人が、ことパブの中では人が変ったように激論を交し合う様子を目のあたりにし、当初はなんとも意外な感じをうけはしたが、よくよく考えてみるとイギリス人だっておなじ人間なのだから内にたまった思いを吐き出すそんな場所があっても当然のことなのであった。
ふらりと訪ねたパブの片隅に陣取りながら、白熱する常連たちの政治談義や社会談義にさりげなく耳を傾けるのは石田にとってこのうえない楽しみだった。彼らの話には石田の知らない様々な政治的あるいは社会的情報、生粋のイギリス庶民文化の知恵や伝統などがふんだんに含まれていて、BBCでの仕事に直接役立つようなこともすくなくなかった。ピカデリー・サーカスやブッシュハウスの近くにある洒落たパブ、あるいはまたイースト・エンド周辺のごく庶民的なパブなどに通ううちに様々なイギリス人の友人知人もできた。イギリス人男性との親密度の深さの証はジョークや猥談などを思いのままに交わせるかどうかだといわれるが、そんな尺度を十分にクリアするところまでいった彼は、もはやそれら相手のイギリス人にとっても掛け替えのない友人であった。パブでの政治談議などを聞いていると、明らかに上流階級に属すると思われる人々に案外労働党支持者が多く、逆に庶民階層に属する人々に保守党支持者が意外なほど多いのも、イギリスらしくて興味深いかぎりだった。
ある晩のこと、石田はふらっとはいったイースト・エンドのパブでちょっとしたハップニングに遭遇した。彼がそのパブにはいったのは初めてのことで、先客たちはまったく知らない顔ぶればかりだった。若くて気性の激しそうな男がたまたま石田の席の近くに坐り、酒をあおりながら他のお客と声高になにやら議論に耽っていた。石田はまずビールを注文し、店の女将や夫婦連れらしい何組かの地元の人々を含む先客たちと初対面の挨拶を交わすと、しばし他のお客たちの談話に耳を傾けた。そして、いっとき経ってからその場の雰囲気に慣れてくると、彼も他のお客たちの談笑の輪に加わった。ところがそうこうするうちになぜか話が太平洋戦争における日本とイギリスとの戦いのことに及んでいった。そんな流れのなかで、石田のことをアジア系だと察知したお客の一人が、とくに悪意があったわけでもなく、出身国はどこかと彼に訊ねてきた。
話の内容がかつての不幸な戦争がらみのことだったので内心いくらか気おくれはしたのだが、とくに隠す必要もないと思ったので石田は正直に日本人であることを告げた。ところが、彼のその言葉を聞いた次ぎの瞬間、くだんの若い男は血相を変えて立ち上がった。その様子はどうみてもただごとではなかった。
「チクショーツ、ジャップ野郎めが!……俺の兄貴を返しやがれ、てめーらジャップのおかげで俺の兄貴はビルマで殺されたんだぞ!」
男はそんな意味の言葉を吐きながら憎悪まるだしの形相で突然石田に掴みかかってきたのだった。どうやらその男は、日本軍の捕虜となり泰麺鉄道建設に強制従事させられ死亡した元英国軍人の弟にあたる人物らしかった。
「戦争中に日本軍が犯した不当な行為については一人の日本人としてほんとうに申し訳なく、また恥ずかしくも思っています。償えるものなら……」
冷静かつ穏やかな口調で石田がそこまで言いかけると、激昂した相手は大声でその言葉を遮った。
「兄貴を返せよ……返せねーっていうのならテメーを殺すぞ!」
「私は日本人ですが個人的はあの戦争には反対でした。ですから結果として起った悲惨な出来事には心が痛みますし、ほんとうに残念に思います。でもいま私に責任を取れといわれてもそれは……」
「テメー出て行け、この店からとっとと出て行け!、俺はジャップの黄色い面を見るだけで吐き気がするんだよ!、出ていかねーか!」
男は石田に近寄りその襟元をむんずと掴むと力ずくで彼を店の外に叩き出そうとした。
「二度とこの店にくるんじゃねーぞっ……テメーさっさと日本に帰りやがれ!、今度ロンドンでその面見かけたらぶっ殺してやるからなっ!」
必死に身を守りながらもあまりの相手の強硬ぶりに返す言葉を失った石田は、一瞬その場で棒立ちの状態になってしまった。するとその男はさらに追い討ちをかけてきた。
「俺は兄貴の仇を討たなけりゃならねーんだ!……テメーみたいなジャップ野郎に死んだ兄貴の苦しみなんかわがかるもんかよ! さあ、出ていきやがれ!」
相手は顔を真っ赤にし今一度大声でそう怒鳴ると、無抵抗の石田を身体ごとむりやり店の外に引きずり出そうとした。ところが予想外のことが起ったのはその直後だった。
「店の外に出ていくのはあんたのほうでしょうが!」
「そうよ、あんたこそイギリスの恥だわよ! それに較べて、この人は日本人だけどとても立派な紳士だわよ!」
「そもそもこの人になんの責任があるというの? この人が直接あんたのお兄さん殺したわけじゃないし、殺せって命令出したわけでもないでしょ?……、それに、そんな大声で喚き散らすなんてみんな迷惑だわよ!」
口々にそんな言葉を発しながら石田をかばうようにして男を取り囲んだのは、パブの女将や夫とともにお客として店にいた地元の中年の女たちだった。彼女たちは誰からともなく毅然として二人の間に割ってはいり、顔を真っ赤にしながらも予想外の展開に面食らうその若い男を有無をいわさず店の外に追い出してしまったのだった。その間、他の男たちのほうはその一連の女たちの対応ぶりを当然とでもいった表情で眺めていた。下手に男が割ってはいるとかえって面倒なことになるから、ここは女たちに任せるにかぎる――そんな彼らの胸中が無言のうちに伝わってくる感じだった。
石田をかばってくれたそれら中年の女性らはみなイースト・エンドに住む人々で、日本風にいえば日々の暮らしに追われる貧しい下町のオバチャンたちみたいな存在だった。無教養だとしてイギリスでは一段と低く見なされがちなはずのそんな女性たちが、しかも日本人へのすくなからぬ憎悪や嫌悪がなお残るその時期に、なんとも公平な態度で初顔の自分を守ってくれたことに石田は心の底から感動した。そしていまさらのように、この国の人々はやはり大人だと思うのだった。
騒動がおさまったのをみはからってから、自分を守ってくれた女性たちにお礼を言いながらあらためて石田が席に落着くと、店内にいた男性のお客たちも次々に彼のところに握手を求めてやってきた。順々に差し出される人々の手を熱い思いで握りしめながら、石田は胸中で感謝の涙を流していた。この夜、石田にはたくさんの友人ができた。むろん彼らは上流や中流の階層にこそ属してはいなかったが、皆が皆明るくて天性の叡智を内に秘めもった素晴らしい人々だった。