九月下旬のある日の朝、石田は想い出深い大連の街をあとにした。見送りはすべて辞退し、大連港から上海へと向かうフェリーには一人だけで静かに乗り込んだ。憧れの上海に向かう晴れの船旅であったし、所持金も十分にあったから、一等船客となって上海までおよそ千キロの航海をゆったりとした気分で楽しもうと考えた。
汽笛をひとつ大きく鳴らして大連港の岸壁を離れたフェリーは大連市の位置する小半島の先端を北から南へと回り、ほどなく老虎灘の沖合いへと差しかかった。船首に向かって右手のデッキ上に立った石田は、ひとかたならぬ感慨にひたりながら住み慣れた老虎灘の奥深い入江のほうを見つめやった。そして、楽しかった友人知人たちとの生活を振り返りながら胸中でいま一度お別れの言葉を呟いた。
ナーシャと二人であの幻夢のような一日を過ごした小島の影も遠くにではあったがはっきりと望まれた。あの時ナーシャと肩をならべて小島の断崖上から沖を行く船を眺めていた自分が、まだわずか一ヶ月しか経っていないというのに、こうして船上から逆に小島を眺めやっていることを思うと、つくづく人間の運命とは不思議なものだという感慨が湧いてくるのだった。
石田の乗る船はやがて大連や旅順のある遼東半島の島影をあとにし、青島のある山東半島の先端部沖合いを通過して黄海のなかほどへと進んでいった。塘沽、天津、青島、大連と、渤海湾周辺の各地ををめぐり暮らした歳月がいまとなっては懐かしかった。それらの歳月が将来自分の人生にどれほどの意味と影響をもつものかについてはまるで想像がつかなかったが、すくなくともその間の生活が助走となって上海への旅立ちが実現したのはまぎれもない事実であった。ずいぶんと遠回りしたみたいではあったけれども、そのいっぽうで得たものも少なくなかったから、それはそれでよかったのかもしれないと石田は己に言い聞かせた。
上海までは二日余の船旅だった。貨物船に乗って北海道の小樽と台湾の基隆や高雄との間を往復していた時に比べれば雲泥の差のあるなんとも優雅な航海でもあった。たまたま台風の季節には当たっていたが、幸いにも穏やかな晴天に恵まれ波も静かで、まさに海路の日和といった感じであったし、豪奢な一等船室でのこのうえなく気ままな寝起きは、なんとも快いかぎりであった。マリーネ・デートリッヒやメイ・ウォンなど往年の名女優の登場する映画「上海特急」に魅せられた彼が、結局は上海特急ではなく上海行きフェリーの一等船客となって上海に向かうというのは皮肉と言えば皮肉な話ではあった。だが、天津で所持金のほとんどを盗まれ、そのあと青島へ向かおうと残り僅かな小銭をはたいて乗車した上海特急三等客車の凄まじい光景に較べれば、まさにその船旅は天国を行くようなものであった。
黄海から東シナ海へと入った船は、大連を出港してから五十時間余の二日目の昼頃には長江の河口付近に到達した。そして、どう見ても海洋の一部としか思えない広大な河口をしばし遡行すると、水郷地帯として名高い蘇州周辺に向かって分岐する長江の支流黄浦江へと船首を向けた。目指す上海はこの黄浦江を南へ向かって十数キロほど遡行したところに位置していた。船が黄浦江に入るのを待ちきれぬかのように、石田はそそくさと船室を出るとデッキ上に立った。そして、吹き抜ける風に身を委ねながら、「ナーシャ、とうとう僕も上海にやってきたぞ!」と胸の奥で叫んでみた。
幅五百メートルほどの黄浦江をしばらくゆっくりした速度で遡ると、やがて右手前方にちらほらと建物の影が見えはじめた。なおも船が奥へ奥へと進むにつれて、視界に入る建造物の数もだんだんと増えてきた。またそれに合わせるかのようにすれ違う船舶の数もずいぶんと多くなった。その様子からして、船が目指す上海周辺に近づきつつあるのは明らかだった。
それからしばらくすると河岸沿いに立つ建築物の数がいっきに増加した。そして黄浦江全体が大きく左手にカーブし、蘇州江かと思われる小河がそこから右手に分岐する地点に差しかかった途端、大小様々な建築物が互いの存在を誇示し合って林立する壮大な光景が大きく眼前に迫ってきた。それまで単なる知識でしかなかった摩天楼という言葉の意味するところを彼が初めて実感した瞬間だった。
それらのほとんどは西洋風の建造物で、これまで彼が見慣れてきた都市の光景とはまったく異なるものであった。もちろん、洋風建築物ならそれまでにも日本各地や天津、青島、大連などでずいぶんと目にしてきてはいたが、その数の多さといいその規模の壮大さといい、過去に経験したものなどとは到底較べものにならなかった。まだ船上にあったにもかかわらず、石田はその光景に圧倒された。
上海か、これが憧れの上海か……、ようやく夢が叶ったぞ!――心中で小躍りしながらそう呟き終えると、石田は大きく両手を広げ船上を吹き抜ける大気を吸い込めるだけ吸い込んだ。するとまるでそれに呼応でもするかのように、熱いものが身体の奥底から激しくそしてとめどもなく込み上げてきた。あらためて顧みてみると遠いとおい道のりではあった。だが、厳しい思想統制がおこなわれ、生活の自由が失われつつある日本国内の時流に鑑みるならば、どんなに遠回りをしたとは言ってもこうして夢が実現したぶん自分は幸運だと思うのだった。けっして信心深いとほうだとは言えない石田だったが、さすがにこの時ばかりは神仏に深く感謝したい気持ちであった。
前方に建ち並ぶ建物群の影がその大きさを増すにつれて彼の乗る船と黄浦江河岸との距離はぐんぐんと縮まっていった。そして、それからほどなく航行を終えた船は、高らかに入港を告げる汽笛を鳴らすと、外灘(バンド)と呼ばれる黄浦江沿いの地域に近い一角にゆっくりと接岸した。それはまた、それまで以上に波瀾に満ちた新人生の扉がおもむろに開かれた一瞬でもあった。
おもむろにタラップを踏みしめながら下船した石田は、埠頭に降り立つと携行した大小のトランクをいったん地上に置き、胸中の興奮を抑え鎮めるかのように大きく呼吸を整えた。まだ九月末のこととあってか、南方に位置する上海の陽射しはなお強烈で、湿度もかなり高かった。大気の爽やかな大連からやってきたばかりなので多少は暑さがこたえはしたが、貨物船員として小樽・台湾間を往復していた頃にもずいぶんと経験したことなので、それほどまでには気にはならなかった。
それからしばらく、彼は黄浦江沿いの埠頭周辺の様子を眺めやっていた。あたりを取り巻く空気のすべてが、それまで体験してきたものとは明らかに違う感じだった。一口に言うならば、それは、これまでになく開放的で、どこまでも明るく自由な雰囲気を湛えた大気なのだった。まだ船から降りたばかりで上海市街にも足を踏み入れてもいないのに、そんな印象を覚えるというのはなんとも不思議なことだった。
上海には友人や知人など誰もいなかったので、ともかくいったんどこかに身を落ち着ける場所を探さなければならなかった。当然のことながら周辺の地理などまださっぱりわからなかったから、たまたま通りかかった人力車を呼びとめると、まずはそれに乗り込み、自分を上海の中心街へと連れていってくれるように依頼した。埠頭のある外灘から上海の中心街一帯にかけての大通りの両側には、ネオ・バロック風やネオ・ルネッサンス風、アール・ヌーヴォー風、さらにはアール・デコ風といった建物などがそれぞれに偉容を競って建ち並び、まさに国際都市上海の面目躍如という風情であった。
その時の石田にはそれらの建造物個々の建築様式の相違などまだよくわかりはしなかったが、初めて目にするその街並みの光景には唯々驚くばかりで、どうみてもそこが東洋の街であるなどとは信じられないのだった。賑やかな街路にあふれる人々の服装もずいぶんとモダンかつカラフルで、それらがどこの国の人なのかまでは見分けがつかなかったものの、その多くが西洋人であることだけは疑うべくもないことであった。
欧米列強国の租界地の中央を東西に貫く大通り沿いの上海中心街には当時からヨーロッパ風の豪華なホテルが建ち並び、世界各国から訪れる数々の旅行者やビジネスマンらの交流と憩いの場になっていた。現在では南京東路、南京西路と呼ばれているその街路の中ほどで人力車を降りた石田は、近くにめぼしいホテルを探し出すと、そのフロンに向かって足をはやめた。弱冠二十四歳の石田ではあったが、大連での銀行勤めのお蔭で当面ホテル代に困るようなことはなかったし、同僚行員や老虎灘での諸外国人との交流を通し英語・フランス語・ドイツ語は言うに及ばず、ロシア語や中国語にさえもある程度は通じるようになっていたから言葉に不自由することもなかった。だから、目指すホテルが欧米系一流ホテルであろうと、またフロントマンが何語で応対してくれようと彼には臆することなどまるでなかった。
たまたま対応してくれたフロントマンにしばらく滞在したい旨を英語で申し出ると、どこか日本人離れした感じの石田の様子を即座に見取った相手は、快くその申し出を受け入れてくれた。チェックインを済ませると、ボーイに先導され、見事な吹きぬけ構造をもつホールを抜け、エレベータに乗って高層階にある部屋へと案内された。それは想像していた以上に立派な部屋で、そんなところに泊まるのは石田自身も初めてのことであった。
外気温や湿度の高さに較べるとホテルの中はずいぶんと爽やかで快適そのものだった。上海の欧米系一流ホテルや劇場、ビルディングなどには当時から既に大型空調設備が導入されており、そのお蔭で上海のような高温多湿の地域でも建物内ではとても気持ち良く過ごせるようになっていた。その頃の日本にはまだ空調設備など存在していなかったから、石田にはそのシステムそのものがたいへん素晴らしく、また物珍しく思われた。
ホテルの部屋の窓から眺める上海市街の景観は感動的だった。眼下に広がる広大な街並みや大きくうねりのびる黄浦江の遠景を見つめながら、いつしか石田は深い想いに沈んでいった。彼の脳裏をよぎったのはほかならぬあのナーシャの姿だった。
――いったいこの上海の街のどこにナーシャはいるというのだろう。上海にはやってきたものの、いまの自分は彼女を探すなんの手掛かりもなんの手段も持ち合わせてなどいない。まるでそれは大海の中から特別な一滴の水を探し出すようなものではないか!――そう考えると石田はとめどもなく悲しい気分になるのだった。この際奇跡をと念じたいのは山々だったが、こうして上海にやってこられたこと自体が一つの奇跡でもあったわけだから、そのうえさらに奇跡をと望むのは虫のよすぎることだった。実際また、天運のほうも、そんな彼にそれ以上優しく微笑みかけてくれるほど甘くはなかった。
心理的な緊張や思わぬ興奮からくる疲れなどもあって急に睡魔に襲われた石田は、そのままベッドに倒れ込むように横たわると、周辺の散策に出るのも夕食をとるのも忘れ、唯々ぐっすりと眠り込んだ。どのような事態が待ち受けていようとも明日からはこの上海で生き抜いていかなければならない彼にとって、それは未来との戦いを勝ち抜くに必要な活力を貯えるための眠りでもあった。